メロンダウト

メロンについて考えるよ

マリファナを吸っていた教師

僕は留学していたことがある。どことは書かないが日本より南のほうだ。

大学の時に海外でインターンをやろうと物価の安いその国を選んだのだが現地に到着して二月ほど語学学校に通っていた。その時にとあるイカレタが、とても優しい教師に出会った。今日は彼の話をしよう。

 

彼の名前はスティーブ、語学学校で留学生に英語を教えていた。およそ先生という形容がふさわしくないほどの浅黒い肌と目のクマがあり、その顔はぱっと見れば汚いようにも見えた。しかしあれほどに味のある顔に出会ったのは僕の短い人生でもほとんど記憶にない。拙い形容をするのであれば誰よりも悲しみも怒りも笑いも持ち合わせたつまり誰よりも人間的な顔だった。

普段、重力に負けきったようなその顔の輪郭は笑顔になるとたわみきった口角が信じられないほど上がり思わず笑顔を返すのを忘れるほどの変貌ぶりだった。

そんな彼と僕の接点は喫煙所だった。ロークラスを受け持っていたスティーブは僕との接点はなく昼休みにまずいフィッシュアンドチップスを平らげ、胃に血液を送るためにタバコを吸う時間。それが僕とスティーブとの出会いだった。

当時も世界的に喫煙に寛容ではなく現地でも1箱1000円もするので喫煙者はそんなに多くなかったのである。僕も現地に着いた数日は吸っていなかったが生活に慣れてきてまた吸い始めるようになってしまった。それでもそんな高いものを買っていたらお金がかかるので葉っぱを紙で自分で巻く安いタバコを吸っていた。

そんな折にスティーブと出会った。奇妙な表現をすると彼ほどタバコをまずそうに吸うのが似合う人はいない。彼は中毒者であった。タバコにおいても。そしてマリファナにおいても・・・

スティーブは優しかった。なんと表現すればいいのかわからないが親友や家族同士が持ち合わせるような心地よい沈黙を作る天才だった。僕と彼の間にもなんの脈絡も文脈もないはずなのに妙に安心する空気が流れていた。

それは僕のおかげではない。僕はどちらかと言えば神経質なほうだ。スティーブはそんなコミュニケーションスキルという小手先の技術のはるか高次のレベルで人に接することができる。

楽しいとかうれしいとかそういうことでもない。無言の承認とでも言えるかもしれない。それは異国から来たどこの馬の骨とも知らない、価値観も何もかも違う僕ですら感じ取ることができたのだ。

おかげで彼と吸うタバコはうまかった。おかしな話である。英語を勉強しにきている学校なのに英語などもはやどうでもいいほどの沈黙の美学を僕は感じていたのである。

 

そんなある日、スティーブの家に遊びにいくことになった。スティーブは独り身であるはずなのに馬鹿でかい家に住んでおりそこで留学生に部屋を貸しホームステイさせていたのだがその一人が同じ学校におり、一緒に学校終わりにスティーブの家に遊びに行くことになったのだ。

着いてそうそう、その家の大きさに驚いた。5LDKはあろうかというほどの家だ。日本の基準で考えるのもおかしな話ではあるがそれでも人間が一人で住むにはどう考えても大きすぎる。

そして僕は質問をした。「Is this home too big for you to live alone」家でかすぎるんじゃないの?と

今思えばなんて気の抜けた質問をしてしまったのかと思うのだが彼は一言「my wife is gone」妻はいない、と言った。離婚したのか先立たれたのか、若すぎた僕には到底手に負えない問題だと思いそれ以上は聞けなかった。しかし不謹慎ではあるのだが僕はスティーブのあの異常な人格の根源がすこし見えたようでうれしかった。

 

そしてもうひとつ彼の家に入り気になったのが嗅いだことのない臭いがするのだ。鼻を刺激するようなすっぱいような変なにおいだったのだがそれは後にマリファナの臭いだと友人が教えてくれた。

留学生を家に泊めその家でマリファナを吸っているなど日本でやったら炎上必至だが当然スティーブは学生に勧めるなんてことはしなかった。彼が彼の家で彼のために吸っているだけだった。僕には到底理解できないその馬鹿でかい家での孤独を沈めるためか、ただの嗜好品なのかわからないが若かった僕にひとつだけ言えたことは

マリファナは肯定できないがスティーブは肯定できる。

 

そして一緒に夕食を取り、彼の妙にしゃがれた声で喋るが簡易な英語と会話をし、家を後にした。

 

僕もスティーブのようになりたいとか尊敬とかそういうポジティブな呼び方はしないしふさわしくない。短絡的な感情で繋げることはそれがどんな意味や次元においても、僕は嫌いだ。ただあまり幸福ではなさそうな彼が持っていた不幸の中で持つ良性の沈黙、寛容さというものはなにかとんでもなく大切なものなのではないかと思えてならないのだ。

当時よりもむしろ今になって強く、そう思うのだ。