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メロンダウト

メロンについて考えるよ

与党なき選挙、そして野党すらない選挙

参議院選挙が始まる。正直もうどこにも投票したくないので無所属の方に入れようかと思っている。選挙をボイコットしたいのだがそうすると投票率が云々という話をしてくる人がいるので選挙には行くのだが投票したい政党がないのでボイコットしたい。

ボイコットを表明するために白票があるのだろうが白票なんてあやふやなものではなく選挙ボイコット票のような形で意思表明できる手段があればいいのに。

支持政党なし。それがこの国の国民の声なんだろう。それはずいぶん前から言われてきたことでなにを今さらと言われるかもしれないが個人的な話をすればこれほど選挙に興味がなくなったのは成人して選挙権を得てから初めてだ。

 

もうなかば諦めている。グレートリセット新自由主義もトリクルダウンもTPPもなにもかもなにひとつ僕の肌に触れて感じた結果はなかった。なにしろ僕が生まれて自我が芽生えてからこの国が好景気に湧いたということが一度たりともないのだ。一度もだ。それでどうして政治や経済に期待することができるのだろうか。国に期待していないとかいうわけではないし感謝もしている。

僕が車で走る幹線道路も公共事業で作られたものだ、健康保険も年金もあらゆる福祉も教育もなにもかも今ここに僕がいるのは国のおかげだということも承知している。国に義理を感じないわけではない。ただもう絶対になにも変わらないだろうというじくじくたる諦めが僕のなかの政治への思いを粉々にしてしまったのだ。この20年、そして成人してからの数年によって。

おそらく市場競争が公権力を超えたところで動いているのでもうどうしようもないのだろう。いまここにあるものを守るだけでとんでもない努力を要するものなのだろう。グローバル化する世界で一国の利害を超えたところで勝手に人・物・金が蠢くようになり国が管理して予測できる範疇を逸脱している。だから「おい政治家よ、ちゃんと仕事しろ」などという気にもならない。ただもう何も変わらないと、結論をつけそうになっているだけだ。

 

 

 

すこし具体的な話をしていこう。

僕が政治に興味を持ち出した最も古い記憶が小泉・竹中政権のころだった。XJAPANが好きだった小泉首相に若かった僕は単純に好意を抱いたのが僕の政治的原風景だ。新自由主義を掲げ郵政民営化や派遣法の改正などいまにして思えば愚策のかぎりをつくした政権だ。国民には人気があった。たしか支持率で8割を超えたんじゃなかったかな。その実態は人気ばかりで行ったことはまぎれもなくこの国の労働形態の破壊であって現在まで続く非正規労働者や貧困の最も大きな要因になった政権だった。しかし当時は小泉さんもそんなことわからなかったのかもしれない。小さい政府が市場経済を促し株価をつりあげ好景気に向かわせるものだと信じていたのかもしれない。国民を犠牲にして格差を拡大するのを是と考えているようには、少なくとも僕には見えなかった。

 

その後自民党の中で首相が安部さん、福田さん、麻生さんなどなどと転々としていたがそのころのことはあまり覚えていない。覚えていないということは良い政権だったんだろう。政治家や官僚の功績はだいたい報道されないので僕の耳にまで届かない。

 

そして民主党に政権が変わる。当時メディアで気持ち悪いくらいに自民党にたいするバッシングがあったことを覚えている。故・中川さんのお酒の問題や誰だか忘れたが3000円のカレーなどどうでもいい報道を耳にした。もう冷静に判断がつくような年になった僕にとってあの報道はとても気色悪いものだったことを覚えている。そしてそんな報道を真に受けた国民によって民主党政権が生まれる。

たしか嘘みたいに理想的なマニフェストを振りかざしてこの国を変えると息巻いていたがほぼ全部嘘のまま民主党政権は終わった。あの民主党政権に国民が期待していたのは「変化」だったのだろうがドル円相場は80円までさがり日系平均は8000だか9000円まで下降して自民政権になってから暴騰した。ただ今になって思ったのがあの時のドル円相場を見てみると

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下降しながら月足で支持線を受けて上昇しながらちょうど抵抗線をブレイクした瞬間だった。テクニカル的に超重要な節目でちょうど自民党に政権が変わったことを考えると民主党政権のままでも上昇していたんじゃないかとたまに思う。アベノミクスの日銀介入で急上昇したがあれほどの暴騰がなくても今現在の値はそう変わらなかったのではないか。これは結果論なので意味のない話であるが。

 

そんなことより民主政権になって国民が期待したのは「変化」だった。この変化というのは魔性の言葉でなんかつまんねーなとか面白いことないかななんて日常生活でも思うことがたびたびあるが、何か変わらないかなと考える人間が望むのは別に良い変化だけではない。なんかそのへんのちょっと自分には被害が及ばないけど刺激的な事件に遭遇しないかななんて考えることもある。変化のよしあしは関係なく人は変化そのものを望むんだ。チェンジチェンジと連呼してオバマさんが当選したけどあれも良い悪いを超えて変化を望む人間の習性が出ただけなんだろう。

だから日本も同じことをした。変化を期待していた。なにかを変えることは良いことだと考える。しかし何かを変えず守り続けるというのはつまらないうえに努力を要するしマスコミには報道されない。しかし影で変化に耐え甚大な努力をしている官僚も政治家もいる。そういう人に僕は投票したい。おそらくもうこの国が考えるうえで可能な変化はやりつくした。もう何も変わらないし変えようがない。株価などつりあげても国民に波及など絶対にしない。少子化問題も待機児童という(失礼だが)瑣末なものが原因ではない、生まれてこのかたいちども経済的に希望を見出したことがないこの国でどうして子供をつくろうと思うのか。

 

義理はある。感謝もしている。しかし僕は政治にたいして完膚なきまでに諦めている。僕の日常は民主党の時と比べても何ひとつ変わっていない。もうどこが政治をやろうがどうでもいいし政策もどうでもいい。何も変わらない。だからなるべく静かな人に投票しようと思う。もうこの国がこれ以上変化しませんようにと