メロンダウト

メロンについて考えるよ

初等教育において差別すべきではないと教えるべきではない

法曹の青年がアウティングにより自殺する事件があった。そこですこし差別や多様性に関する教育についてすこしだけ

はじめに亡くなった方のご遺族にお悔やみ申し上げます

 

この事件を見た時に最初に思ったことがアウティングした学生にたいして差別に関する教育をすべきではなかったのか?ということだ。


差別は断じて許されない、本人に責任がない範囲のパーソナリティーには絶対に差別するべきではない。そんなことは大人になれば誰でも知っていることで社会常識の最も根源にあるものだと言って良い。
じゃあこの差別をしてはいけないということを学生の段階から教えるべきなのだろうか?すこし考えていた

そこがこのブログをひさしぶりに書き出した理由だ。
結論から言えば僕は教育の段階、それも初等教育において差別をしてはいけないと教えるべき・・・ではないと考えている。


なぜか?いくつか理由を書いてみる。間違っていたら教えてほしい


まず大前提として異性愛が人類が繁栄する基礎であって、子孫を残していくうえで欠かせない生理的な嗜好という事実がある。
男を愛する男は子供をつくれないし、女を愛する女は子供をつくれない。生物的に絶対に覆すことができない事実がある。これは馬鹿馬鹿しいほどまじめな話であって全員が同性愛者となれば100年後には人類は絶滅するので異性愛によるセックスほど重要なものはある意味ではない。ここで言いたいことは性の目覚めが起きてくる思春期(小学生・中学1・2年)において同性愛が「正常」であると教えることは異性愛による人類繁栄の基礎を揺るがす「恐れ」があるということ。

 

つまり性も愛も何も知らない年齢において「同性愛は正常」だと全ての子供に教えると何も知らない子供は男の子を好きになっても女の子を好きになってもいいんだと考えるようになる恐れがある。それは個人としてはどちらに寄ってもかまわないしLGBT異性愛もどちらも尊重されるべきなのは間違いない。しかし同性愛者の増加というのは社会や国というレベルで考えると人口減少というとんでもない損害が発生する恐れがある。ので性が目覚める段階において僕はLGBTの差別は教育すべきではないと考えている。君は君で異性愛で良い、だけど同性愛の人も存在すると小学生に教えることができれば良いが、これだけ差別にたいして糾弾される社会であっても、大人でも差別する人間がいることが考えると小学生に判別できるのかという疑問がある。ことが一点。

 

 

次にリアリズムな観点から書いていくと
まず差別は存在するし絶対になくならない。ペシミスティックでもなんでもなく現実として。どれだけ高度な教育やリベラルアーツ教育をやろうとも絶対になくならないと断言できる。これは上で書いたように人間の最も根源的な欲求である性欲にかかわる問題なので何も考えていない人間は自然と差別する。これはLGBTの方にたいしてはかなり残酷な話になってしまうが何も考えていない人がいなくなるというのは絶対に実現しない。


僕が通っていた中学でも菌タッチとかなんとか言いながら障碍者の方を軽んじていた事態があった。子供だから馬鹿だったんだよ、僕はいじめられていたので最後に菌タッチされて沈黙するしかなかったんだけどまあそんな話はどうでもいい。

 

つまりLGBTの差別を初等教育において排除していくとLGBTの方は自らは正常だと認識する。絶対になくならない差別にたいして対処する術を持たないまま社会に出ていくことになる。これはアウティングで自殺に至ってしまった事件でも明らかでアウティングしたほうが倫理的に絶対に悪であるが同性愛が正常だと認識して告白してしまうほどに、自らが正常だと認識してしまったことも教育の敗北なんじゃないかという側面もありうる。

もちろん理想としてはそんな低俗極まりない差別はなくなればいいとまともな大人は全員そう思っているし理想の社会というのはそうあるべき。
しかし、しかしながらそんな社会は絶対に実現しないんだよ。いまだにアメリカで黒人にたいする差別があるように絶対に実現しない。マルコムXが黒人解放運動をやったのはもう100年も昔の話でそれでも最近、白人と非白人との結婚は認めないと発言するレイシズムが存在していたり黒人が白人に銃で撃たれて騒ぎになったりしている。

同じように同性愛の方への差別も現実として存在する。
じゃあそんな現実にたいして「君は正常だよ」と教えることが教育なのか?と考えると僕は違うと思う。むしろ「君は何もおかしくない、でも異常だと差別されることがある」と言ってあげることが大人のやるべきことであって教育なんじゃないかと思っている。つまりそんな甘言を刷り込んでも現実にたいしては無力で何も解決しないんだよ。君は特殊だよと教育することが優しさとなることもある。

 


だってそんな差別が全廃するようなあまっちょろい社会じゃないじゃん。これはLGBT障碍者の方だけではなく健常者でもありとあらゆる正常から外れた人間に対して厳しいのはむしろアメリカよりも日本のほうなんだよ・・・「現実」としてね。