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メロンダウト

メロンについて考えるよ

インターネットで集める承認は原理的に無意味、人は承認や目的では繋がれなどしない

トイアンナさんの記事に言及させていただきます。前回言及させてもらった記事はこちら。

無敵の人VS無謬の人 - メロンダウト

今回はトイアンナさんのこちらの記事に言及。感受性、論理、経験を駆使しはてなでも際立って「文章に実がある」方なのでこんな泡沫ブログで言及させていただくのは畏れ多いのですがすこし書いていきます。

toianna.hatenablog.com

 

北条かやさんの炎上、自殺未遂について書かれている。北条かやさんはSNSでの承認をイコールでアイデンティティーと捉えてしまったから傷ついてしまったという論旨。だからSNS以外にも依存先を増やすことが解決になると書かれている。

報酬を得られる場所を1つに絞りすぎると、そこがダメになったとき心が折れてしまう。だから依存は、しまくったほうがいい。ありとあらゆる方向へ、少しずつ。

この話には同意できる。しかし承認をあつめてそれも依存先のひとつとしてしまうというのは僕はけっこう無意味だと思っている。インターネットで集める承認については特にそう。僕はインターネットで有名になることそれ自体が時間の無駄だという点でトイアンナさんのエントリーとは見解が異なる。

 

「目的」で人は繋がれない

インターネットのつながりは基本的に目的で繋がる。あの人の書いてるブログは論点が明確で面白いな、あの人のブログは独特のキャラクターで笑える、あのアマゾンのレビュアーは示唆に富んでて面白いな、あの生放送主にカンパしてドローンを首相官邸に飛ばさせようなどなど。普通のことを普通に書いているだけのブログなどまあ読まれない。キャラクターや目的がまず先にきて、それから繋がる。

しかしキャラクターや個性というのは諸行無常であって個人のある特殊な期間のある特殊な状態で発揮できる一過性のものである場合が多い。

僕もいまこうしてブログを書いているが気分が乗らない時は書かないしブログには書かないような卑しさであったり劣等感であったりはたまた優越感のような俗情に支配されることもある。それ自体は気分的なもので一過性の気の迷いなのだがブログに書いてしまえば少々幻滅されるようなことも当然ある。そうしたことを気の迷いで他人に話した時に人が離れていくのと同じように、一時的な状態と言って良い気の昂ぶりで人から承認されるのもまた「ピーキーすぎる承認」と言ってしまえる。

北条かやさんの件がまさにそうだった。過程はどうであれ自殺するほど傷ついて通常の判断ができない状態なのは容易に推測できる。彼女が通常の状態で書いてきた文章とは違って当たり前だがSNSではバッシングにあってしまう。でもそれって北条さんの状態がピーキーなのだろうか?違うんじゃないだろうか。人間は泣くし怒るし喜ぶものだ。

インターネットで承認を集めること。それ自体がもう針の穴に糸を通し続けるようなとんでもなくセンシティブでピーキーな行いなんじゃないだろうか・・・

 

つまりある特定の事柄とかある特定のキャラクターとかを維持しつづけることで承認されてそれを本人も自我だと錯覚していつのまにか自我が求められる形に変形し、小さくなっていってしまう。そして小さくなった自分の枠からはずれるようなおかしな行動をした時には叩かれて人が離れていく。人間は酒など飲まなくても酔っ払うというのにだ。

 

 

 

だから繋がるということはインターネット上のキャラクター戦争では実現しえないと僕は思っている。酔っ払っている時にわけのわからないことを言ったりする愚考も愚行も汲んでくれる関係でないと意味がない。取引ではない関係と言ってもいい。

 

だからトイアンナさんの依存先を増やすという論旨には同意できるがインターネットで不特定多数に向けてそれをやるというのは承認という面においてははっきりと時間の無駄だと思う。せめてやるのであればチャットやスカイプのように対個人でやったほうがいいと思うポン。

 

ちなみにこの文章は酔っ払って30分で書きました。