メロンダウト

メロンについて考えるよ

運動瞑想野菜自由憲法

合成の誤謬は経済学の言葉であるが哲学的な分野にも食い込んでくる言葉だろうなとタバコに関するニュースを見て思った。

 

経済学での誤謬はマクロとミクロの話で、貯金はミクロ経済ではしたほうがいいがマクロ経済にとってはしないほうがいいとされている。

この話を死についてうつしかえれば人間はマクロでは生産活動が不可能になった時点でさっさと死んだほうがいい。こんなことを政治家が言ったら恐ろしいほど炎上するだろう。とんでもない暴言である。

炎上するが死んだほうがいいというのはひとつ、真実でもある。しかし死について語ることはなぜか許されていない。

個人金融資産の8割は60歳以上が持っていて日本で経済をもう一度活性化しようと思ったらここに切り込まざるを得ない。消費活動も老年によって停滞して、余生を過ごせるだけのお金を投資に向けるインセンティブがあるわけもない。老人から富を移転させようと思ったら相続税しかいまのところない。

しかしここに切り込むのは絶対にタブーとされている。日本ではさっさと死ぬことの美徳が語られることはない。あるいは世界中でそうである。

 

そもそもなぜさっさと死んではいけないのだろうか?最近も日本健幸都市連合や健康増進法なるものもできている。ますます健康志向で長生きするのが良いと周知している。

しかし上述したようにマクロで見れば老人になって消費せずに預貯金で生きることは経済的に見れば「悪」である。もちろん経済など人間の一側面にすぎない。だからみんなさっさと死のうなんて言うつもりは毛頭ない。

ないが国が必要以上に健康を促すことには違和感を覚える。健康は個々人が個々人の自由意志によって追求するものである。憲法13条に幸福追求権が明記されている。個々人の行動は公共の福祉に反しない限りにおいては制限しえない。

 

憲法13条

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする

 

当たり前であるが、国が経済を循環させるために老人にさっさと死ねとキャンペーンするのは憲法で禁じられている。これは当然であるが、では国が国民にたいして健康を要求するのはどうなのだろうか?

個人の幸福追求の方法には運動などポジティブな方法がある一方で、ネガティブな方法も幸福追求の方法として数えることができる。堕落しタバコなど公共の福祉に反しない環境で吸い酒を飲みまくりさっさと死んだ人間を一般的には、断定的に不幸な人間と決めつける。

しかしそうして堕落し、ドーパミンに耽溺しながら生きる彼ら彼女らは本当に不幸なのだろうか?はたから見れば不幸な人に見えても本人は幸福だと思っているかもしれない。

結論としてはわからない。わからないから個人が個人の人生をどうデザインするかは当人の自由に選択できるという憲法が存在する。

 

80歳になってまでいきたくない人だっている。40代から常に健康を意識して長生きするが死ぬ間際に70歳から80歳までの人生を振り返ると生産活動が終了し、無意味に食にありつくだけの日に罪悪感を抱き、死ぬ間際にもっと酒でも飲んで遊べば良かったと後悔するかもしれない。もちろん長生きして良いことだってたくさんあるかもしれない。ありとあらゆる可能性がある。

 

不確定な未来にたいしてああだこうだ言ってもわからない。わからないからこそだから「自由」が大切なんだと思う。

健康など定型化した与えられた価値観により未来で幸福になろうと思ってなれなかった場合には、気持ちのぶつけどころが存在しない。自由意志によって選んだ未来であれば例え不幸になっても自分で選んだ生き方なんだからと気持ちを消化できるかもしれない。つまり運動瞑想野菜に代表されるようにみな一様に健康が大事なんだと言う。

もちろん大事である。大事であるが「自由意志の上に立たない健康」は破綻する可能性が高いと僕は思う。

例えばまじめにコツコツやってきたサラリーマンが自由意志を持たないまま社会的立場だけを目的として働き、突然リストラされたら人生の終わりだと感じるようなものだ。

 

同じように健康だけを目的とした運動瞑想野菜は病気になったときの後悔の度合いも増幅させる。健康を目指し無理やり運動して「病気になる確率を下げる」のと「病気になったときの後悔の量」はトレードオフでしかない。

つまり無理やり運動して野菜を食べても健康にはなれても幸福にはなれないという解が出る。じゃあ幸福になるためにはどうしたらいいのだろうか?

もうすでに書いたがなによりも大事なのが「自由」だ。自由。幼子のごとき、自由だ。

自由意志により健康を目指すのであれば病気になったときの後悔の量を軽減することができるのでトレードオフではなくなる。

具体的には運動であれば仲間と笑いながらフットサルなどする。野菜を食べるのであれば美味しく盛り付け最高のドレッシングでいただく。瞑想は・・・よくわからないので割愛しよう。

 

国が健康を布教する気持ち悪さを書こうと思ったのにいつのまにか自由意志を説く憲法13条のすばらしさと運動瞑想野菜について書いていた。健康増進法た後日かくかもしれない。

脱線しまくってしまったがかまわない。ブログも健康も自由こそが大切なのだ。