フェミ界隈の言説にはメンズリブという思想がある。自分も最近知ったのですけど男性性からの解放を求める思想のことを言うらしい。
最近読んだ記事ですが例えば「ウチの夫は仕事ができない」といったドラマのタイトルは仕事ができないことを揶揄してもいいといった思想が背景にあることから問題とされるみたいです。
端的に言えば「男のくせに○○○」というやつですね。
ブコメでもハンザワブログさんの主張に賛同する意見が多いみたいですけど自分はすこし違う感想を持ちました。
男は仕事ができないとダメだといった考えにたいしては僕も反対しますが違和感を感じたのはこのドラマをいったい誰のために批判しているのか明確な対象がよくわからないのですよね。フェミニズムだと女性の権利向上のため、労働運動だったら労働者のためだしLGBTだったら性的少数者のためだったりしますけどこのドラマに傷つく人がどれだけいるのかがよくわからない。そして最も大きな違和感は傷つくことの何がいけないのかがわからない。
ドラマの内容に関しては結婚相手が仕事できない人だったので2人で頑張って仕事ができるようになろうといった趣旨みたいです。この内容に関してはまったく問題ない。
男が仕事できないことはダメではないといった「平等原則」のようなものでタイトルを批判していますけど仕事ができない夫は現実の生活レベルにおいて回避できない問題として立ちふさがりますよね。そこで「ウチの夫は仕事ができない」と事実確認することはとても大事な作業であってその事実から目を背けるのはこれは自由への逃走でしかない。
同様の理由で「ウチの妻は家事ができない」「ウチの夫は家事ができない」というドラマが仮にあったとしても批判すべきではない。
メンズリブにたいしてフェミニズムは、女性という先天的な条件によって差別されるので権利を向上させようという運動です。女性であるというだけで差別されることに一切の正当性がない。そしてその事実(女性であること)を確認して努力したとしても努力でどうこうなる問題でもない。ゆえに権利を向上させる運動が必要になる。
つまりフェミニズムとかLGBTは理念によって活動しているのではなく条件によって動いているのですよね。
一方で夫が仕事できないというのは単なる事実であり性質であって変更不可能なものではありません。条件でももちろんない。それをフェミニズムの論理に落とし込むのは間違っているとしか言いようがない。
すこしメタな思想的な話にするとリベラルの概念はもともとは進歩主義と自由主義が合わさってできたはずなんですよね。産業革命や資本主義によりみなが努力し他者と競争しより強くより良い人間になり国家を築いていこうという理念がもともとはあった。
しかしここからいつのまにか進歩主義が消え自由主義だけが残るようになったといわれます。リベラルはお花畑としばしば批判されることがありますがこれは自由、平等だけを叫び進歩することを忘れたリベラルは堕落したという論旨ですね。
今回のドラマのタイトル批判記事も同様です。自由と平等を絶対視し男女同権と言う人がいますが彼ら彼女らもまた事実を無視しているように見えます。
仕事はできるようにならなければいけないという進歩主義を手放し仕事ができなくてもいいという自由を叫ぶ。
そうして安易な自由へ逃走する人間は、何もわかっていない、と僕は思う。