最初に西部さんをまともに知ったのはいつだったかもう覚えていない。宮台真司さんからだったかな。議論の途中で退席した動画を見て感心を持ったのが最初だったような気がする。
それからあまり積極的には追っていなかったんだけど先崎あきなかさんを検索して出てきた西部ゼミナール
そこでされていた話が面白かったのでそれから本格的に番組を時間がある時に見たり本をいくつか買ってみたりした。「表現者」も一冊だけ家にあったりする。本は積み本になっていて読めていないものもあるけど・・・
西部さんの莫大な数の著作や発言からすれば自分が知っていることなどほとんどないようなものだけれど、浅学を承知して西部さんが言いたかったことを考えると
西部さんは一貫して保守というか人間的リアリズムを書き説いていたのだと思う。
核武装論にしても自殺にしても反電力にしても人間そのものからけっして目を切らないで事物を語るその晴眼にはうなずくところが多かった。
人物的なことに関しては何よりも78歳になっても色あせないあの目の輝きがとても印象的な人だった。ともすれば言っていることは誰よりも絶望的なのに少年のように語る人。それが西部さんに抱く僕の最初から最後まで一貫したイメージである。
本当に残念でならないが
西部さんが残した著書や番組の過去動画などでまた見聞きすることができるのかと思うと西部さんが一貫して嫌っていたインターネットやスマホにもひとつ価値が出てくるのかなと思う。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
蛇足ですが
保守を無変革で安定した生活を営むことを好む人たちと定義するならば老いさらばえる人間の生がある限り
きっと人間は不可避に不可分に、運命的に保守を考えざるを得ないものなのだろう。それが保守主義なのかもしれない。
さればこそもういくばくか歳をとり、変容に耐えられなくなったそのときにまた西部さんの本を手に取る。きっとその日が来る。そのときに本当の意味でもう一度西部さんに会えるような、そんな気がしています。