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メンヘラを排除する社会に未来はない~井上勝とメンタルヘルス~

井上勝、という人物がいた。明治時代にイギリスで鉄道を学び帰ってきて日本に鉄道を整備した人物だ。

 

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井上勝 - Wikipedia

 

 

井上勝は明治時代に長州5傑の一人として日本の近代化に尽力した人物で彼の功績の最大のものは東京~青森間の東北本線*1の開通として知られている。

しかし彼は日本に鉄道を開通させるのに非常に憂慮していた。美しく広がる山々や田畑を整理して線路を開通させてもいいのだろうかと常に罪悪感に押しつぶされそうになりながら仕事をしていた。

「何のためにこんな仕事してるんだ」という現在のメンヘラと呼ばれる若者が吐くような言葉と同様の気持ちを井上勝も持っていた。哲学者が持つような自己欺瞞の中に溺れていた。現在の腐った精神分析でいうメンヘラというやつだ。

 

鉄道を開通し田畑を荒らし罪の意識にさいなまれた井上は日本の美しい田畑を荒らした罪滅ぼしとして小野義眞、岩崎やのすけと共に東北のある荒地を開墾することにした。

 

それが彼らの名前の頭文字をとって名づけられた小岩井農場だ。

 

岩手南麓に広がる荒地を前に、井上の胸に去来したのは、長年、鉄道敷設事業に携わる中で、数多くの「美田良圃(びでんりょうほ:美しい田と良い畑)」を潰したことに対する悔恨の念だったといいます。このような荒野が手付かずで放置されているのであれば、せめてそれを開墾して大農場を拓くことで、美しい田園風景を損なってきたことの埋め合わせをしたい。それこそ、国家公共のためであり、自分がなすべき事業ではないか。井上はそう考えたのです。

 

小岩井農場の歴史|創業者の思い

 

 

井上が感じていたような良心の呵責によって社会はなんとか穏やかなまま次の世代へとつなげることができる。

現在は思考を停止させただ歯車の中に組み込まれることこそが正常であり井上のように社会との不和を感じる人間を神経症だと診断してしまう。

これはややもするととても恐ろしい事態なのではないかと思えてならない。

井上勝の例では鉄道を作ったから人の役に立っているはい終了。という人ばかりになれば確実に不幸な社会に傾倒していく。

そういう人文学的素養、もしくは哲学的感性というのはどんどんおざなりになってきているのではないのだろうか?どっかの政治家が大学から文系をなくすなどと発言していたのがその際たる例だろう。

理系ばかりがもてはやされ就職の面接でも「何ができるか」ばかり聞く。PDCAサイクルをただ永遠にまわし続ける。

何のために回すかということはむしろ知らない人間のほうが職場では重用される。

そんなものは文系の僕から言わせてもらえばまぎれもない糞だ。何を考えているかに比べたら何ができるかなんて本当はすごくどうでもいい。大事なのは論理じゃない。倫理だ。

 

 

井上勝のように自らと社会のバランスを必死に保とうとする行いにこそ意義があり、それはこんな過剰なキャピタリズムの中でうつになる人間こそが発揮できる思慮深さなのではないだろうか?

 

いわゆる意識高い系の人がこの社会のアクセルだとしたらメンヘラといわれる神経質な人はブレーキだ。絶対に社会から排除してはいけない。

 

 

karapaia.livedoor.biz

 

 

 

 

 

*1:id:wattoさん誤字指摘ありがとうございます