メロンダウト

メロンについて考えるよ

青森中二女子自殺・・・いじめについて経験者で生存者な自分が言えるほぼ完璧に絶望的な言葉

僕は死のうと思ったことがある。

中学生の時にいじめをうけていた時と大学生の時・・・理由はブログに書くような他人においそれと話すような話ではないので書かないが

 

すこしいじめについてまじめに書いていこうと思う。

 

僕はいじめに対する現実的で即効的な解答を知っている。絶対におすすめしないがそれは相手にたいして物理的にダメージを与えることだ。言葉で解決しようとしても無理だ。いじめっこはいじめられっこの話など聞かない。そういう相手にたいして言葉で解決しようとしても現実的に解決しない。いじめに関する議論がこれだけされていてもなくならないのが証拠だ。いじめっこは人間ではない、動物に近い。動物としてしつけるさいに有効な手段は言葉ではなく物理的な恐怖のほうであって人間として対応するのが間違っている。危険思想のように響くが現実的に多くのいじめの現場というのはそれだけ酷い状況にあることを理解し覚悟することからしか始まらない。

経験者の僕から見ると例えるならテロリストに対話をなどという話と同じようなものにうつってしまう。アメリカはテロリストと交渉も取引もしないとしているが同じようにいじめっこと交渉して解決することも無理。法律でいじめを行った人間は強制的に転校させるようにすれば良いのだが現状はそうではない。

じゃあどうするのか?黙って自殺するのか?いじめっこは息を殺して時間が流れるのを待つしかないのか?

いまこのいじめっこにたいして法律による罰がない以上は戦うしかないんだよ。相手がこちらを舐めて話を聞くつもりがない以上は暴力で。

 

ぶん殴る、ハンマーで暴れまわる、カッターナイフで相手を切り付けるなどなど相手にたいして危険人物だと認知させることでいじめはほぼ確実になくなる。凶器と狂気がむしろ救いになる。現実的に。事例がないのでわからないがおそらく相手を殺してしまったとしてもネットなどでは犯罪者ではなくヒーロー的な扱いをされることだろう。

僕個人的には仮にいじめっこを殺してしまったいじめられっこがいたとしたらいじめられっこのほうにたつだろう。それはいじめというのは子供という未熟な存在にとって絶望的に解決不能な事態で命と命を天秤にかける問題だからだ。

自らの命とを秤にかけて相手の命を奪う人間のことを責めたりはしない。なぜならいじめというのは小さな戦争だからだ。人を殺してはいけないなんてことは語るまでもないほど当たり前であるがいじめに関してだけは同情の余地があると考えている。

もちろん卒業までやりすごすことができたり親や教師に相談して転校できたり解決できたりすることが最も良い。それは暴力なんていう馬鹿なことをやるまえに試すべきだ。しかしありとあらゆる人や状況から見放され完全に孤立し卒業までもたないほど精神的に追い込まれ完璧に絶望しているいじめられっこがいたら僕はこう言うだろう。

 

怒れ、殴れ、そして場合によっては殺すほどの狂気を見せろと

そしていじめっこという動物を殺して刑に服すなんて馬鹿馬鹿しいことはないから絶対に殺してはいけないと

 

これはメンタリストのDaigoさんもエピソードとして語っていたことで彼も小さいころにいじめを受けていてその時に理科室でいじめっこに向けて鉈を投げたことでいじめがやんだということを語っていた。

いじめの議論に暴力を持ち出すのを見たことはない。しかしいじめに関してだけは暴力についてまじめに議論をすべきだといじめ経験者の僕はそう思っている。いじめをする人間は人間ではなく動物なので制止するのに言葉は役にたたない。

 

親に庇護され食べるものも充全にあたえられ生まれた時から完璧に満たされている全能感を振りかざしている動物にたいするすべは現実的に暴力なんだよ。大人がどれだけ言葉を練ろうとも3年間という短い時間で当事者を救うことはできない。

 

青森で自殺した女子もこれ以上ないほどの苦しみを味わったことを想像すると経験者としては同情以上のものがある。

僕はいじめにたいする現実的な解答は暴力だと考えている。

しかし暴力で解決するような残酷な世界など絶対に実現してはならない。しかし動物に言葉は届かない。いまいじめられている人間はほぼ完璧な絶望の中にいる。

しかし残酷な所業に対処する術を人類は持っている。法律だ。

 

大人はいじめに関する議論をやめていじめにたいして法律で厳罰化をすべきだ。いじめは成長してもなお尾をひきずる大罪なのだから