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国立ガン研究センターが適用した平山論文は30年前に書かれたデタラメ+β[タバコ・副流煙]

タバコの副流煙リスクが「ほぼ確実」から「確実」にあがったらしい。

なぜこんな対テロ警戒レベルみたいな発表の仕方をするのかわからないし、数ある論文のうち「適用基準」とやらを設けた理由もわからない。なぜ全て読まないのかわからない。だが最もわからなかったのがデタラメである30年前の古文書「平山論文」を適用しているのが最もわからない。

 

これは副流煙のリスクを調べてみるとネットでもすぐに出てくる論文で禁煙運動のパイオニアとなった論文なのだが養老孟子氏などからも問題外と批判されている。

論文にしてはかなり短いので時間のある人は読んでみてください。

Non-smoking wives of heavy smokes have a higher risk of lung cancer: a study from Japan

 低温で不完全燃焼したタバコだったことや換気性、病理学的診断の無実施、そしてなによりも統計的な有意性なし。さらにへヴィースモーカーの配偶者の肺がんリスクが高い(これも標本数から見て有意ではないとの指摘がある)と書かれているが時々吸うソーシャルスモーカーの世帯はノンスモーカーよりも発がんリスクが低いことには触れていない。

このことから屋外での副流煙のリスクを裏付けるどころか軽度な副流煙は発がんリスクを下げる論拠にすらなり得るとも読むことができる。

9万人余いる非喫煙者妻のうち肺がん死した人数は、夫が非喫煙者の場合は32人、喫煙者の場合は142人。人口比で見ると、前者は0.15%、後者は0.20%と僅差に映るが、平山式の計算では相対リスクは1.61倍(夫が1日20本以上吸う場合は2.08倍)の有意差を示すという。

 だが、BMJにはその年だけで平山論文に対するコメントが12本掲載されているが、ほとんどは疑問か異議の部類だった。その後も批判が相次ぎ、ついには1984年、7人の専門家がウイーンに集まり、「受動喫煙に関する国際円卓会議」まで開催された。

 その議事録を通読すると、孤軍奮闘する平山を吊るし上げる会かと思えなくもない。平山はその経歴からも明らかなように、医学博士とはいえ臨床経験がないこともあってしどろもどろな対応に終始するなか、平山のデータと結論が正しいとしても有意差は認められないと判定される。

「受動喫煙=悪」の拡散は慰安婦問題の嘘と同じ構図との指摘│NEWSポストセブン


この論文をざっと読んでざっくり検索するだけでも疫学の知識を持っていない自分ですら統計的におかしいと気づくことができる。

この論文は今回、肺がんリスクを引き上げた国立ガン研究センターの元部長であった平山雄氏が書いたものであることも加味すればたぶんに恣意的で結論ありきのものと疑うべき資料なのだが禁煙=善とされている社会ではそんな主張はたちまちに抹殺されてしまう。

僕は喫煙しているが絶対に人には薦めないし分煙もすべきだと考えている。タバコは社会的に完全に受容されるべきではないと考えているのでタバコを吸いながらすこし反喫煙というややこしい考えなのだが

 

自らの主張を裏付ける発表が出たら無根拠に信じることはネトウヨと何も変わりない

はてなどころかインターネットでは喫煙に関して完全悪のようなコメントがずらりと並ぶがそういうコメントを見ているとネトウヨのそれを見ているような感覚になる。

 

世論形成においては往々にしてこういう事態が起きるが禁煙運動もそうした側面があってネットでなんでも情報が手に入る時代だからこそ確証バイアスには気を付けたほうがいい。

さらになぜかタバコに関する話になると喫煙のメリットには触れられていなくてデメリットしか発表されない。喫煙はアルツハイマーなどにきくとされていることはあまり知られていない。またアイヌ人が1300年ものあいだけっして戦争をしなかったのも彼らが愛煙家だったからという説もある。対比して世界で最初に禁煙運動を実施したのはヒトラーで国民は健康であるべきでタバコは吸ってはいけないという優生思想が暴走しホロコーストに繋がった。国民は健康であるべきでタバコを吸ってはいけないなど現在の日本の健康信仰とまったく同じことを言っている。愚行権を排除していくのは優生思想でたいへん危険だということは知っておいたほうがいい。

話がそれたがその資料が喫煙を支持するのか批判するのかはさておきなにかを議論する時にメリットとデメリットを両方あげなければ話にならないのは常識。

 

肺ガンリスクの話はけっこう眉唾物の大本営発表であって禁煙運動の元本である平山論文はわずか3ページの個人ブログのような内容であり肺がんリスクだけあげてメリットを提示しないのは不誠実だと言って良いだろう。

www.itmedia.co.jp

ゆえに僕はこの発表にはかなり懐疑的。じゃあなぜ自分が反喫煙なのかというと


 タバコを吸うことは無駄だから。喫煙は推進するものではないと思っている。勝手にすればいい。

 

人に迷惑をかけるとかいう話はどうでもいい。人は人に原理的に迷惑をかけなければ生きていけないから。自分が時に(最小限にしようと努めるが)他人に迷惑をかけることは当然で他人から迷惑をかけられることも当然なのはすこし生きればわかることだ。特に東京という街では。

自分は豚骨の背油ラーメンや油ぎったラーメンが嫌いで二郎とか家系ラーメンなど店の前も通りたくないのだがあの匂いが好きだと感じる人がいまいち理解できない。昔連れられて入ったことがあるが油のせいで床がギトギトになっていて靴の裏に腐った油がついて店を出ても滑って歩くのに気を使って大変に迷惑した。

じゃあラーメンに油を必要以上に入れるな、あの油くさい匂いの店を駅前にたてるななんてことを言うのか?なんてそんなこと言えないし言わないんだよ。香水くさくてお尻を振って歩いている姉ちゃんとかも見てて嫌な気分になるけど言わないし言えないんだよ。

 

社会は混沌としてるべきで自由があるから平和が担保される。

 

大学の時に社会学かなにかの授業で秩序と無秩序は等価交換であるということを教授が言っていた。

アメリカで1920年代に禁酒法ができて飲酒はokだがお酒を流通させることは法律で禁止されていた。禁酒法が成立したらどうなったかというとアルカポネなどのギャングが出てきて酒の流通を一手にひきうけたことで莫大な資金を蓄えることができて治安が悪くなった。つまり禁酒法という秩序ができてギャングという無秩序が生まれた。

日本でも脱法ハーブがそうで大麻などを違法にしたので成分を改変して法律を潜り抜けるようになった。化合物の規定をすりぬける形でできた薬は純粋な薬よりも危険性が高い。秩序ができたせいで無秩序が生まれた。

仮にタバコを全面禁止にして他の薬物と同じように違法にすれば禁酒法と同じように歩きタバコがかわいく見えるほどの無秩序が生まれる可能性は十分にある。

 

秩序がいらないなんてそんなネオリベ的発想もまた危険だがありとあらゆる社会問題はバランスであって真善とか完全悪とか決めて排外することではない。タバコだって同じ。だから税金がある。きちんとした計算のもと税金をあげたりして社会的なバランスをとっていくことは多いにやるべき。

 

しかしくさいなんて主観的な感情論をぶちまけるなんてのは幼稚すぎて話にならない。自分も幼いころに両親ともにタバコを吸っていたのでタバコがくさいという感覚は知っているので嫌だという気持ちはわかる。それでもタバコは禁止という思考にはとんでもない論理の飛躍がある。

 

最近の禁煙運動もとい健康ブームなどを見ていると全体主義のそれにしか見えない。タバコが良い悪いなんて些末な話であって個人的には勝手にすればいいと考えているのだが

おかみの言う健康信仰をまにうけて健康で働いて長生きしてという幸福の偶像を崇拝するほうがタバコがどうこうというよりそっちのほうがよほど怖い。

 

健康はおおいに目指せばいい、僕も毎週ジムに行ってるし健康なほうがいい。しかしそれは国や世間がどうこう言うからそうしているわけではない。僕が僕や僕の周囲の人間のために勝手にそうしてることが重要で自由な幸福追求をしているからジムに行く。しかしタバコを吸ってジムにも行かないで不摂生で堕落した生活をしている人間がいてもいいと思う。

 

なぜなら個人が不健康になれない社会は不健康だから

 

禁煙運動という危うい社会実験 養老孟司 | 愛煙家通信 Web版 - 喫煙文化研究会

 

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