メロンダウト

メロンについて考えるよ

人間はもっとカジュアルに怒っていいんじゃないだろうか?

アンガーマネジメントという言葉がある。怒りをどう抑制するかの方法論で人間の怒りは6秒を過ぎると減少に向かうので怒った時はとにかく6秒我慢することで最悪の事態を避けることができ判断力が回復すると言われている。ぶちぎれた時に6秒我慢できればもはや純然たる怒りではないのかもしれないがともかくそういうことらしい。

他にもいろいろと怒りへの対処方法がある。アンガーマネジメントは怒りを抑制するためではなく正しい怒り方を学ぶためということでもあるので怒らないことを推奨しているわけではない。興味のある方は以下サイト参照

f:id:plagmaticjam:20161008213816j:plain

日本アンガーマネジメント協会

 

しかしこのアンガーマネジメントという言葉を見た時に思ったのだが人間、怒りたい時には怒って良いのではないだろうかということだった。

というのも自分も(めったに怒ることはないのですけど)怒ったことは当然あるのだが怒ったことで後悔したことはただの一度たりともないんですよね。むしろ怒らなかったことで後悔することのほうが多かったりします。「ああ、あの時なんでああ言わなかったんだろう。ああくそ今からでも言ってやろうか」なんてあとから思って後悔することがあったりします。怒りっていうと何か嫌なことがあったり相手の悪態や煩雑さに耐え切れなかったりすることで怒るのが通常なのでしょうけどだいたいが自分の逆鱗だとか譲れない正義だとか聖域に無責任に干渉されたことで怒る。そしてその怒りは社会的にどうであれ自己の感情においてはほぼすべて正当なんですよね。

 

たまに店員の対応に怒る人もいたりしますけど通常の感性、理性を持っている人間が怒る状況はだいたいにして怒るべき状況であって怒るべき状況においては怒るべきなんですよ。それが相手を困惑させたり空気を凍らせたりすることは重々承知のうえでその場をぶち壊すことが必要なものなんだと僕は思います。

 

怒るというとまったくもってマイナスなイメージと結び付けられて語られることが多いですけど何が最も人間のエネルギーを増幅させる感情なのかといえば怒りなんですよね。

今の社会ではありとあらゆる場面で怒ることはまともな大人ではない証左のようにとらえられて敬遠されます。まぁこれは当然の現象ですよね。他人から見た自分の怒りなんてものは往々にして醜く幼稚なものに見えて当然の感情です。しかしその客観と怒ること自体はまったくもって関係ない。なぜなら自分が怒る基準と他人が怒る基準も趣味嗜好と同じようにまったくもって違うのですから怒ることを恥じる必要はない。だから楽しい、悲しい、嬉しいと素直に感じることとまったく同じ次元でもってちゃんと怒ることも大切なことなんだろうなとそう思います。

 

 

なぜこんな記事を書いているかというとそれは先日、自ら命を絶ってしまった電通の女性新入社員の方を見てそう思ったのです。

DVや強姦被害者の件などもそうですけど女性は特に怒ることの躊躇いが非常に強いのではないのかと思います。これはなにも自殺されてしまった女性を責める意図などはまったくなく故人にたいしてはただただどうか安らかに眠ってくださいと願うことしかもはやできないのですが、追い込まれ自身が脅かされている状況において怒るということはもっとカジュアルになされるのが穏やかではないかもしれないが人間的な社会ではないのだろうかと考えているだけなのです。個人の環境はあらゆる意味で推測不可能な条件づけがなされていて一般化して語ることに甚だ意味などないのですが怒ることが時に救いとはならないでしょうか・・・

 

上司にたいして嫌だと言えなかったり従順であることは他者から好かれる能力ではあるのですけど好かれることと軽んじられたり利用されたりすることはまさに紙一重であって自己という領域を守るためには毅然と戦わなければどうしようもない場合も現実にあるんですよね。自己責任は好きではないですけど相手にたいして、そして会社にたいして自分が侵されそうになったらちゃんと大声をあげて、スマートさなど放り投げ醜くとも怒ることが大切なのではないかと思うのです。

そして意外なほどにこの上司にたいしてぶちぎれるというのは機能するんですよね。自分も一回だけ普段は敬語なのに直接「おまえほんとくだらねーな」とぶちまけたことがありますけど普段従順であればあるほど予想外の反応にたいしては狼狽せざるをえないので嫌な上司などいれば言ってみることをおすすめします。けっこう勇気がいりますし状況が悪化するだけなのではないかと思うのもわかりますけど怒っていれば相手の反応なんかどうでもいいものに成り下がります。逆上して怒鳴り散らす人が相手なのであればやめたほうがいいですけどただのマウンティング上司、上下関係の体育会系の上司先輩であれば部下の反抗は直接その人の成績に影響するので機能するものですよ。怒った翌日にでも「昨日はすいませんでした」とフォローしておけば完璧です。

 

しかし大切なのは相手を利用するのではなく自分が怒るべきときにはきちんと怒ることであって上述したように言ってみたりすることではないんですよね。

まず最初に守るべきは自分の尊厳であってそこに踏み込んできた他者への防衛本能として怒りはあるのでアンガーマネジメントで抑制するのではなく怒りという感情も喜びだったり愛と同じように大切なものだと認識することが肝要なのではないでしょうか?

 

【電通過労死事件】被害者のツイートから浮かび上がる電通の体質 – メンヘラ.jp