メロンダウト

メロンについて考えるよ

はてなブックマークは廃止するのではなく意識的化するべき

はてなブックマークの是非について廃止論を唱えたfujiponさんが炎上しているみたい。

 

fujipon.hatenablog.com

功利主義の話なのかな

功利主義は行為や制度(今回の場合ははてなブックマークというサービス)の社会的な望ましさは結果として生じる効用によって決定するべきという倫理学における考え方のひとつ。

 

はてなブックマークのメリットとデメリットを鑑みて語る時にどちらのほうが趨勢として強いか判断しましょうって話をブクマカもfujiponさんもしてるみたい。デメリットのほうが強いよねって言ってるのがfujiponさんの主張でそれに反対してるのがブクマカの皆さんだけど、

この手の功利主義の議論はたぶんに主観的な観測範囲によって印象づけられるものなので一概に定量化できるものでもない。特に快不快の総量は数値化できないので平行線だと思う。

 

fujiponさんのブログは昔からちょくちょく読んでるけど基本的には穏やかな人といった印象が強い。そのfujiponさんが極論ともいえるブックマーク廃止論を言っていること自体にすこし違和感があるがそれほどまでにブログ側とブクマ側での「はてなブックマーク」は違ったものに見えているということなのだろう。

 

 

この手の議論で一番問題なのは不快だと感じる人が出ていけばいいだろというコメントをする人だと思う。

はてなブックマークが議論をするためのプラットフォームとして生き残りたいのであれば思想が違う人を排除していくのは完璧に間違ってる。排除していくと先鋭化してはてなブックマークのメディアとしての価値自体がなくなる。マスメディアとネットメディアの最大の違いが相対化であってそこがなくなっていくとシロクマさんが書いていたインターネットのメリット(クソをクソと言える環境は尊い)そのものを手放すことになる。

p-shirokuma.hatenadiary.com

はてなブックマークはクソだと書く人が逆説的にはてなブックマークの価値を支えていることを認識するべき。

功利的な快不快の話はたしかにある。それは平行線かもしれない。しかし不快だから出ていけという言葉ははてなブックマークの存在意義そのものをひっくり返すことになる。

 

 

対立とか炎上とか不快とかのネットでのやりとりを見ていると基本的になにか作法の問題なのではないかと最近は思えてくる。批判それ自体が不快なことと認識されやすいけれど99%の批判は非不快化できる。

敬語を使うでもいいし単純に「ブログ主の主張は理解できますけど」のように接頭文に丁寧な文句を入れるだけでも全然違う。心無いブクマカのやってることを具体的に言うならケーキをカッターナイフで切り出すようなものだ。何で切っても(何を言っても)味(意味)は同じだがケーキをカッターナイフで切るともう食べる気はなくなる。というよりもその感性に面を喰らって味を感じる(意味を理解しようとする)余裕はどこかへいってしまう。そんな印象を受ける時がある。

 

なぜ無作法なコメントなりをする人が多少なりいるのかと言えば緊張関係と継続関係がないからだろう。

炎上したブログ主のその後のことは興味ないからその場かぎりで最大級の批判を書く。

また、対面で話すのとは違い相手の感情を逆撫でしても殴られることはないからまさに「関係がない」。

よく言われるネットの対面性のなさのことだけど

はてなブックマークは外部のサイトをブックマークすること、対話をするインターフェイスもないことからあらゆるプラットフォームの中でも特に対面性がないほうだと思う。これはほとんど確信してそうだと言える。完全に客観的というか観客的なコメントが多い。とまあこれは自分にも言えることなのだけど

 

多くの場合、人がその場面でその人の性格を発揮するのではなく場面にその人が適応するということが起こりやすい。人間は可変的だ。特にはてなブックマークのように意識的にならずに済むような場面においては承認や適応、あるいは反射にはしりやすい。設定に飲み込まれていくともいえるかもしれない。

 

その意味で僕ははてなブックマークを廃止しろとは言わないけれど人を「意識的」にする設計の余地があるんじゃないかと思いました。はい。おやすみなさい。