メロンダウト

メロンについて考えるよ

生産性と市場構造について、あるいはいつまで日本はアメリカに搾取されるのか

日本の生産性が低いのは中小企業が乱立しているからだといった記事を読んで思ったのですが現代における生産性は以前とはすこし違う種類のものになっているのではと考えています。記事では産業構造を問題としていますが今は市場構造も問題だと考えられます。

 https://toyokeizai.net/articles/-/305116

産業革命以降、工業製品などはオートメイションへの設備投資によってその生産性をあげてきた。

金融革命以降は資本金を市場から調達できるようになり起業のハードルがさがった。

IT革命以降は情報技術の発達によってコミュニケーションにかかるコストがすくなくなった。

電卓を叩くよりもエクセルでマクロを組んだほうが生産性が高い。紙の帳簿をつけるよりも会計ソフトをインストールしたほうが生産性は高い。

デジタル技術を使うことによって今までは逐一紙に書き込んでいた事務作業もかなり時短できるようになった。

 

技術の発達によって絶対的な生産性は常に向上してきているしこれからも仕事の効率という意味の生産性があがり続けることは間違いない。

ならばなぜ僕たちは「生産性」などというものを問題とするのか。生産性は常に上昇しているのだからこのまま行けばいいではないかとも考えられるがそうではない。それをまず考えなければいけないように思う。

 

日本の生産性が低いという言葉はそれだけでは充分な説明になっていない。資本主義経済下において生産性とは競争力とほとんどイコールであってどこどこの国よりも生産性が低いから現実の問題として噴き出てくる。生産性という言葉は市場競争の結果でてくる問題である。

市場競争、自由貿易を論じる時に考えなければいけないのが比較優位と絶対優位の原則である。

二国間あるいは多国間において絶対的な生産性で競争するのではなく比較的に優位な産業に特化して生産することで全体のパイを増やすことができるというのが自由貿易を基礎づける比較優位の原則です。

例えば

A国の小麦の生産性を10、車の生産性を15とする。

B国の小麦の生産性を9、車の生産性を7とする。

この場合、絶対的な比較で言うなら小麦も車もA国のほうが生産性は高い。しかし相対的に比較した場合、B国はA国にたいして車を生産するよりも小麦を生産したほうが比較的に優位になる。

 

これをIT産業に置き換えれば日本はアニメなどのコンテンツ産業が充実していてその生産力も比較的高いのでプラットフォームを運営するのではなくてコンテンツを生産するほうが「比較的生産性が高い」ということになる。

しかしIT産業におけるプラットフォーマーは市場そのものであるのでどれだけいいコンテンツをつくっても原理的に下請けとしての報酬しか回ってこない。

どれだけ良いアプリをつくってもアップルやグーグルに手数料をとられる。どれだけいい映画をつくってもネットフリックスやアマプラにはかなわない。どれだけいい本を書こうともキンドルに搾取され、どれだけいい動画をつくってもYoutubeの1コンテンツに過ぎない。

以前のように神の見えざる手が働くような市場であれば生産力の勝負ということも言えたのだろうけれど今は市場そのものをどう創り出すかにシフトしていっている。だからこそ中小企業ばかりなのはまずいということが言える。中小企業が頑張って効率よく商品をつくってもほとんど意味がなくなっているので中小企業は生産性に寄与しないということになる。

なのですごい簡単に言えば日本の生産性をあげるには国産プラットフォーマーが出てくるしかない。しかし上述したように日本ではほとんどのサービスが外資プラットフォーマーに独占されている。

そしてその市場をつくった企業(グーグルやアップルなど)を抱えている国に生産性を吸われているというのが実情だろう。すくなくとも単純な税収の面から言ってもグーグルやアマゾンのサービスが国内企業によって運営されていれば何百億と違うはずである。

 

市場そのものを管理するグーグルやアップルなどのプラットフォームを有するアメリカの生産性が高いというのは仕事の効率の問題ではなく単に市場構造の問題であって日本はそれに負けたというだけに見える。

Youtubeのように何億人もの人達がコンテンツを提供する市場を持つYoutubeもといグーグルの生産性が高いとされるのは仕事の生産性の問題ではなく市場競争による「結果論」でしかない。もしかしたらYoutubeではなくニコニコ動画が勝っていたかもしれない。フェイスブックではなくミクシーが主流になる道もあったように思う。メッセージサービスもラインではなくSNSツイッターが主流ではなかったかもしれない。

 

原理的に一次産業は二次産業に勝てなく二次産業は三次産業に勝てない。そして三次産業も市場そのものには勝てない。どれだけ仕事ができる社長がいても株主がやめろといえばやめるしかなくツイッターがあなたの投稿はヘイトですといったらヘイトになる。それは生産性云々の話ではない。原理の話だ。

それは言及先記事でも書かれていた通りだと言える。経済の原理の話を誰もしないで仕事の効率をあげれば生産性はあがるという幻想に逃げ込ませている。勝てないゆえに搾取され、搾取されるがゆえに問題となる。それを生産性という言葉でごまかしている。 

 

仮に市場を席巻された場合、市場構造そのものに手をつけるしかなくなってくる。実際に中国はアンドロイドを禁止にしてアメリカはファーウェイ製品を締め出してヨーロッパはアップルやフェイスブックに莫大な税金を課そうとしている。しかし日本は何もしていない。通販シェアトップのアマゾンの売り上げすら不明。

政府として何もしていないので負ける。IT担当大臣にスマホを使えない人間を据えるという始末。そのくらい切迫感がない。いまだに財政政策と金融政策に躍起になっているが今問題となっているのはグローバルに開かれた市場をどうするかのほうであり、生産性という言葉自体がすでに時代遅れなものだと言える。