メロンダウト

メロンについて考えるよ

なぜ山口氏(人間)だけが裁かれ酒は問題にされないのか

伊藤詩織さんの件に関して

伊藤さんが長年戦ってこられた今回の事件に関して判決が出た。山口さん側は控訴するみたいですが法的に判決がくつがえったとしても

酩酊状態で吐いていた女性とホテルに行き、性行為に及んだことは合意の有無にかかわらず倫理的な問題として認知されることだけは間違いない。仮に記憶がない状態のまま合意めいたやりとりがあったとしてもその合意を合意と受け取ることはやはり問題である。

それに関して山口さんに非があるけれど密室でのやりとりなので第三者が必要以上に語るべきではないだろう。裁判を受けしかるべき罰則を受ければそれ以上何も言うことはない。

 

僕がこの件に関して思ったことは二人の判断力をぶち壊した酒の存在である。

この件に関してのみならず強制性交、準強制性交の事件に関してほぼすべてにアルコールが絡んでくる。

女性にお酒を飲ませ判断力を奪うような故意のケースもあるが、楽しく飲んでいたらお酒のせいで男性の性的衝動が高まり女性も判断力がにぶり事件に発展するなども数多くみられる。特異なケースだと二人とも記憶がないまま起きたらホテルにいたという話も実際に聞いたことがある。

慶應大学の強姦事件に関してもやはり酒の存在があった。伊藤さんの件でもそうであるし多くの性暴力にかんする事件でプラグマティック(実際的に、現実的に)に人間を狂わせるのが酒である。

 

しかしなぜか僕達は酒を問題にしない。犯した行為の責任はすべて人間にあると考える。今回の事件に関する反応を見てもはてなでは酒に言及している人は0だった。ツイッターでもほぼいない。山口氏を糾弾するか伊藤さんを擁護するか、あるいはmetooセカンドレイプに関する言説が大多数だ。

ここまで多くの事件で酒が女性を酔わせ判断力を奪い被害にあわせているというエビデンスがあるのに僕達は酒に責任を求めない。それはなぜなんだろうか・・・

実際、酒を極端に規制すれば性暴力の被害者も激減すると思うのだが。酒の販売をやめるとなるとアメリカの禁酒法などの悪しき前例があるので良策とは思えないが、例えば居酒屋などでは一人一杯までにするなど酒が人間を壊さないようにする規制などは充分考慮に入れていい。

metooが敵にすべきは本当に性暴力加害者だけなのだろうか。自宅に忍び込んで強姦するなどの異常性欲者による犯罪は防ぎようがないが強制性交及び準強制性交などの犯罪は酒によって引き起こされるものがほとんどである。

やれたかも委員会という漫画などもそれを証明しているが男性は目の前の女性を「やれるかも」と考えた瞬間に性的に駆動されうる。酒は女性をフラフラにし男性にやれるかもと思わせる。男性も男性で酒により理性が多少なり毀損している状態になりそういう状況のもとに準強制性交は発生する。山口氏も合意があったと考えていたと言っているがそれも実際にはやれた状況であると言っているに過ぎずその判断もなにもかも酒に一因があることは間違いない。

仮に彼が酒のせいだと言えば不誠実な発言と見なされバッシングされることは間違いないがそうして原因を外部に認めず当人に原因を求めすぎるのが問題を見えなくしている。当然、本人に責任はあるが原因はまったく別のところにあったりする。それを言い逃れとしてシャットアウトすることにより本質を覆い隠している。「人間という不完全な物体同士で口論している状態こそ」がまさに酒にとって思うつぼなのだ。

 

ものすごいベタな言い方をすれば人間なんかなんでもする動物でしかない。幼少期から社会性を教育され理性的に生きているように見せているけどなにかきっかけがあればむきだしの動物性が露わになる。たとえばそれは怒りだったり嫉妬だったりあるいは酒だったりする。5ちゃんねるやしたらばに罵詈雑言が書かれるのも伊藤さんにセカンドレイプするのも動物的であり他者からの目という社会性を取り払ったら人間はかくも動物的な生き物だと証明している。スマイリーキクチさんの事件で虚偽情報をもとに彼を罵倒して捕まった人の中にも銀行員などがいたけれど伊藤さんをセカンドレイプしている人も普段は善良な社会人として生きているのだろう。

その社会性を毀損するのがネットなのかあるいは酒なのかの違いしかない。人間などそんなものである。罪悪感を受容しろや更生しろ反省しろなどもそうだがみんな人間に期待しすぎだと思う。システムや物を変えるほうがはるかに効果的ではないか。それは一見人間同士のみの問題に捉えられがちなmetooに関しても言える。

 

人間が不完全で何かにクラックされる以上、そのクラックする大元に原因を求めるほうがはるかに論理的である。国家が人間に責任を求め罰を課すのは秩序維持以上のものではない。仮に性暴力をおかした人間がすべて酒のせいだとされれば秩序が維持できなくなり社会は壊れる。万引きするのは金がなく金がないのは景気が悪く景気が悪いのは政治が悪いなども言ってしまえるがそうなれば私有財産などの概念も壊れる。あらゆる犯罪においてそう言えてしまう。自動車事故などもそうだ。

犯罪を犯した当人に責任や原因がないわけではない。しかし人間という可変的で不完全な存在にその変化を求めても実際的な効果は期待できない。

人間が人間である以上、男性は酒を飲めば酒を飲んでフラフラした女性に欲情する。それは男性が抱える原理的な性そのものでありそれは普段理性によって隠されているに過ぎない。ならばその男性の理性を維持させうるにはどうすればいいのか。

その理性を毀損する酒を規制すればいい。

metooが敵にすべきは男性ではない。「男性性」なんていう何千年と続いてきたものを変化させるのは原理的に不可能である。

metooが敵にすべきは酒ではないだろうか。そんなことを思った。

 

今年はもうブログ書くかわからないので念のため

良いお年を