メロンダウト

メロンについて考えるよ

インターネットという身体的怠惰の集積地

いきなりだが、いわゆるノンバーバル(非言語的)なもののほうが価値があると思っている。発している言葉がきつくても、とても穏やかに笑う人に僕たちは好感を持つ。逆にどれだけ正しい事を言っている人でも無表情で淡泊な人の話は耳に入ってこなかったりする。コミュニケーションにおいて喋っている言葉は10%程度しか影響しないとどこかで読んだことがあるけれど

活字メディアにおいてのインターネットはつまり10%にしかならないということだろう。言葉なんてその程度の価値しかない。

言語が言語そのままとして価値があるのであれば今のようにYoutubetiktokなどの動画メディアが支配的になることもなかったはずだ。動画配信者はブロガーが必死で10%を構築している間に100%自分を表現できる場所で表現している。一方でこうしてブログなどを使い必死で文章を書いても文字通りたかが知れている。Youtubeと比較すればアクセス数にして3ケタは違う。言葉はその程度の価値しか持たない。活字がインターネットにおいて有用なのはニュースメディアなどで情報を瞬時に知ることができる点だけであり、活字だけでコミュニケーションするのは明らかに不完全だと断言できる。

ツイッターはてなも5ちゃんねるも見れば見るほど不完全ではないか。今も昔もさして変わらないだろう。5ちゃんねるが2ちゃんねるだったころは良かったとか、はてなはてな村があったころは良かったとみな言うけれどそう変わったとも思わない。相変わらず10%でしかない。

そんな上等で知的な交流ができる場所ではもともとなかったはずである。インターネットは。はてなブックマークどころかインターネットがそんな大層なしろものではないはずだろう。人々を繋いだというだけでありインターネットはインターネットでしかない。インターネットをどう使うかやつながった関係をどう構築するかは個々人の人柄に依存している。つまりインターネットは言語と同様にツールでしかない。

 

問題はツールでしかないのにそこから見えている言葉が全てだと思うことである。それによる弊害がたくさん出てきているではないか。

言葉の論理のみが論理的だと思って正論や論破などが取り沙汰されたり

政治においても言葉のみで政治思想を語るから実質がない思想であるポピュリズムに飲まれていく。それを象徴しているのが安倍政権であるが彼らも言葉だけを問題にしている。反社の定義云々や「募集ではなく募っている」など実質は棚上げにされ言葉だけを問題にしてすり替えようとしている。言葉だけをなんとかすればなんとかなってしまうのがインターネット社会の現実なのをよくわかっているのだろう。

ラディフェミも言葉の熱量だけで熱狂しているし、左翼も差別だと聞いた瞬間にその言葉に脊髄反射している。

言葉尻を切り取った炎上などもそうである。

 

インターネットはつまり人間をより「言語的動物」と化したのだ。実質は棚上げされ身体的な感覚は無用の長物となり、言葉のみが問題となったネットは身体的怠惰の集積地だと言うことができる。

はてなブックマークが知的怠惰の集積地なのはそうなのかもしれないがインターネット全体を見渡せば知的なものもある。しかしより包括的にインターネット全体を論じるのであれば問題はむしろ身体性がないことだと言えるだろう。

身体性が発揮できないから言葉を駆使しようとした人が書く面白い文章を読むこともある。一方で身体性がないゆえに言葉だけで耳目を集めようと過激な言葉を使う人も出てくる。それによって集団は先鋭化し、クラスタ化していてそれを助長しているのがフェイスブックのいいねやはてなスターだと考えられる。

 

言葉はなんとでも言えてしまう。なんとでも言えてしまう状況でなんとでも言ってしまうのが言葉における怠惰であるが、なんとでも言えてしまうインターネットという怠惰な場所で喧々諤々とその怠惰を批判してもなんていうかしょうがないんじゃないかと思う。なんとでも言えてしまう場所でなんとでも言ってしまっている人もなんとでも言ってしまっている場所だからなんとでも言ってしまっている。その程度の場所なんだよ、インターネットは。もともとこんなものは10%にしかなりはしないんだから。

その10%がすべてだと思い込むほど個々の人間が分断され弱っている状況は別にあるにせよ、だからといってインターネットが重要かといえばそうではない。ただ影響力と動く金がでかい。それだけでしかないだろう。そんなに期待して何かするものじゃないと思う、インターネットは。

 

大事なのは個々人の実存である。

人は女として生まれるのではなく、女になるのであり、人間は人間として生まれるのではなく、人間になるのである。人間になるのにインターネットは10%程度しか役に立たない。

論理とか真理など正しい真理や本質がネットで形成されたとしても個々の現実においては本質よりも実存のほうを考えるべきである。

実にならないことをいくら並べてもしょうがない。実存は本質に先立つ。

それがPragmatism実存主義)の基本原理なのだよ。

 

はてなブックマークという知的怠惰の集積地|ショーンKY|note