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オンライン無償労働について

マルクスガブリエルの記事に僕たちはGAFA無償労働させされている的なことが書かれていて自分も似たようなことをそういえば書いたなと思ったけど

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「日本はソフトな独裁国家」天才哲学者マルクス・ガブリエルが評するワケ | News&Analysis | ダイヤモンド・オンライン

実際問題GAFAだけでなくはてなやしたらば、5ちゃん、ばくさい、ツイッターYoutube、メルカリ、ヤフオク、pixiv、ゾゾタウン、ヤフーニュースなんかもそうでウェブ系プラットフォームのやっていることってビジネスモデルとしてパチンコ屋とそれほど変わらないと思ってる。

他人がつくったものをならべて陳列することで市場化して手数料をとっているのは

パチンコ屋が他人のつくった台を並べてやってきたお客さんが打っているのと変わらない。事実上、パチンコ店は場所を提供しているだけで他人のつくったものを並べているに過ぎない。

パチンコをする人もする人でやっていることは盤面の玉を見つめていたり高速で回るリールを正確に押していたりするけど、ライン工が検品しているのとやっていることは変わらない。違いは給料が出るかどうかだけである。

ポケモンGOポケモンが出現する場所に戦略的に移動することもタクシー運転手が乗客を乗せるのとやっていることは変わらない。

一方では労働としての収入となり、一方では「娯楽」と考えられている。これが大きな欺瞞だとマルクスガブリエルは言いたいのだろう。労働法により雇用関係にある者は社会保険や労災などで法的に守られているがその雇用関係とやらが実際のところかなり曖昧である。

ここでこうしてブログを書いているが僕はなぜはてな社の従業員として守られていないのか。馬鹿馬鹿しく聞こえるかもしれないが増田やブログに書いた記事がはてなへのアクセス流入に微力ながら貢献しているはずだ。しかしはてなからの報酬はまったくない。サーバー代を償却する程度には記事を書いているが事実上、無償労働していると言うこともできる。実際は好きでやってるから「取引が成立している」ので不満もなにもないのだけど雇用関係という考え方もできてしまう。

 

ウェブサービスというけど実際のところサーブしているのはどちらなのかみたいな話になってくる。実際に労働しているのはむしろヤフオクやメルカリで必死こいて差分を見つけて転売して悪評にも耐えている転売屋のほうだという見方もできてしまう。ヤフオクもメルカリも彼らから半自動的に手数料を取っているがプラットフォーマーが非難されることはほとんどない。なぜなら「雇用関係にない」からだ。迷惑な客がきたで全てすんでしまう。実際には彼らは労働しているにも関わらず。

 

Youtubeなどにおける垢バンやツイッターにおけるヘイトスピーチ規制なども実際のところは労働者としてふさわしくないからBANすると考えたほうがむしろしっくりくる。社会的にふさわしくないという建前で排除されるが実際のところそういう職場にするとアクセス数が落ち企業が広告を出さなくなるとわかっているのだろう。

だからヨーロッパではGAFAなどのプラットフォーマーに莫大な税金や追徴金を課したりしているがそれは自国民の労働力を奪ったという理由からだと考えることができる。日本はこの点にピュアすぎてサービスをつくっている側つまりIT企業は生産性が高いのだからとしか考えていない。アマゾンに税金を課したのも最近の話だ。しかし実際のところIT企業の生産性が高いのはサービスという建前で不特定多数の人間に無償労働させているからが理由だろう。

つまり自国民の労働力が奪われている状態、みんながパチンコに行っているみたいなそんな状態で生産性の話をしてもしょうがない。まずはパチンコ屋を自国で経営するか税金を課すかしなければ経済力の話をしても始まらないだろう。

中国はその点、クレジットシステムなどで国家と連携していたりSNSは国内産のものがメジャーである。アメリカはすでに世界中で利用されているGAFAを持つ国で覇権国といっていいが日本やヨーロッパはその他の国である。そうなると当然、戦略は変わってくるべきだがグローバル化万歳アメリカに追い越せ追い抜けみたいないかにも平和主義というか不戦主義らしい考え方をIT市場の領土争いでもしているように見える。

 

 

こういった既存の概念によって真っ当に成立しない関係は以前からあってそれは運動や革命がおこり権利として獲得されてきた。過去には多くの国で奴隷制度もあり無償で働かされていたが当時の人々も奴隷を労働力として使うことに違和感を持っていた人は多くはなかっただろう。フランスではフランス革命などがあったがいずれもこれまでは当たり前にないものと考えられてきた人間の権利を獲得してきた運動だと言っていい。アパルトヘイトや虐殺などを例にあげてもいい。人権という概念がいかに後天的か、自由という権利がいかに後天的かと考えればそれほど難しい話ではない。僕達は僕達がいかに不当に労働させられているのか知らないのかもしれない。

 

僕がいまこうしてブログを書いてお金をもらえないのは現在の価値観では当たり前だがその当たり前が100年後ぐらいには馬鹿馬鹿しいものとして見られることになるかもしれない。なんであいつタダで文章書いてるんだみたいに。

そういう思考やそういう世界を構築しそういう権利を概念として現実に実装するのはそんなに不可能な話ではないように思う。おそらく自由意志あたりが壁となるだろうけど

僕達がネットを使い様々なことをしているがそれは自由意志だから問題ないならば奴隷は奴隷として人に買われたければ問題ないのだろうか?

当然問題があると言えるだろう。

 

つまり今みたいにプラットフォーマーが場を提供して客か労働者かわからない人がサービスを使う関係が自然発生的に適当な関係のうえに落ち着くということはほとんどありえないことだと歴史的に見ればそう見えてしまう。獲得するしかない。

Youtubeの広告収入が落ちたやクリック単価が下がったなどたまに聞くけれどそういう時にはYoutubeに下げるなと「労働者として」言えばいいしYoutuber組合などつくって広告収入の最低レートを訴えるデモなどをするべきである。なぜなら動画投稿者は実質的にはYoutubeと雇用関係にある労働者なのだから。

それはあらゆるプラットフォーム系の企業に言えることである。雇用関係が適用されない労働者を集める企業の生産性のその一部は誰に帰属するものかみたいなそんな話でした。