メロンダウト

メロンについて考えるよ

「科学的に正しい」はやばいんじゃないか

コロナウィルスの影響により全世界でロックダウンやイベントの自粛などが相次いでいる。東京も近いうちに、おそらく外出禁止になるとみている。患者数が急激に増えれば医療崩壊などのリスクがあるので当然の措置だと言える。

封じ込めは事実上失敗し、現在は専門家の意見を取り入れウィルスの拡散をできるだけ緩やかに推移させることに注力している。僕はその措置に関してそれはそうだよなと思っていたのだけれど、しかし全世界的にロックダウンや国境封鎖などが始まっている現状を見るにつけこれはどこまでやるのだろうかという懸念が芽生えてきた。

 

ひとつの結論として科学的にウィルスを封じ込めたいのであれば全員が外出せず自宅に引きこもるのが理想的といえる。実際にイタリアやニューヨークなどではそうした措置がとられているけれどこれによって発生する経済的・社会的・文化的・政治的損害は尋常ではないものになるのではないか。

感染症学は当然ながら感染症に対処する学問である。当然、今回のような事態になれば感染症学の意見を聞いてウィルスの蔓延を防ぐことが正しいと考えられるようになるし、実際そうなっている。しかし今回のコロナウィルスが他のウィルスと違うのが全世界で同時発生していることでその点がエボラ出血熱鳥インフルエンザなどと違う。エボラの時はアフリカにリソースを投入し感染を抑えれば良かった。世界中から資金を集め医療体制を確保し国境のない医師団などがおくられた結果、全世界規模のものとはならなかった。鳥インフルエンザも同様で極地的に感染が広がってもその一方で世界そのものは経済的にも社会的にも回っていた。しかしコロナウィルスはそうではない。送る医師がいれば自国で働いてもらう。送る人工心肺があれば自国の患者に使う。リソースを投入しようにも各国のキャパシティーの中でできることをやるしかなく世界各国からの支援も期待できない状態である。つまり今度のコロナウィルスによる一連の騒動は世界そのものがまわらなくなる可能性を含んだ事態だと言える。

そうなった時、はたして僕たちは感染症学のみで感染症に対処することが本当に正しいのだろうか。いままでのウィルスのように極地的にひろまった時には感染症学は100%正しかった。なぜなら世界中からそこにリソースを投入することで感染症の封じ込めも経済をストップした後の復興も支援によって成り立つからだ。平時において世界は思いのほか優しい。しかしコロナはそうではない。平時の国がどこにもないからだ。どこの国も自国民の安全が最優先でエボラの時のような医療リソースの支援は望めない状況に世界中がなっている。

感染症学の点から言えば経済をストップさせるのが正しい。エボラも鳥インフルエンザもそうして感染を抑え込んできた。しかし経済をストップさせるには条件が必要となる。ウィルスによる被害が極地的で他所からの支援が期待できる状況であることだ。

科学が科学としてその力を発揮するにはリソースが必要でありそのリソースがどこからきているのかといえば経済活動である。つまり科学的に正しいからといって経済をストップさせるのはいわゆる机上の空論に近く片手落ちの考えではないのか。その意味で科学的に正しい(だけを考えての対処)はやばい考え方に見えてきた。

もちろん、全世界的にひろがっても一過性のものであるならいいがコロナウィルスに関しては猫に感染したりしていることからインフルエンザのように定着する可能性が高い。そうなると治療薬やワクチンの開発が急務となるけれどそれまで経済をストップすることがはたして本当に正しいのだろうか。

科学的な正しさを100%発揮できる状況なら科学的に正しいは正しいが今はそうではない。その意味でウィルスによる被害を是認しながら経済を回す方向に関して考えるべきではないだろうか。ニューヨークのロックダウンは4か月にもなると言われているが、今行われているような方法でワクチンができるまでロックダウンし続ければほとんどの中小企業は倒産するだろう。その結果失業者もあふれかえるはずだ。そうなった時の被害に関して考えた時にあの時、もうすこしソフトランディングな方法で経済を回していれば良かったと将来思うことはないだろうか。

 

たとえば致死率の高い高齢者や基礎疾患のある方はもっと厳重な隔離措置をとりながら若者や健康で免疫力の高い人はそのまま働いてもらうなど

そうすれば現在検討されている現金給付なども高齢者やウィルスによる被害が大きい業種だけに絞り込めるし医療リソースの支援にも回せるはずだ。今のように全員が経済的に危険な状態で一律給付しなければいけないのは科学的に正しい感染症対策に立脚しすぎているのが理由であり、そのような正しさは上述したようにもう維持できないか、もしくは功利的に考えた時に維持しないほうがいい段階まできてはいないだろうか。

 

すべてを秤にかける必要がある。片方の天秤に重りをのせすぎた結果、もう一方の天秤に重りをのせてバランスをとってくれる他国はないのだから。