メロンダウト

メロンについて考えるよ

人生無理っていうか男性無理~被害者意識と男性性の相克~

なんかいろいろとしんどい話題。人生無理バーの件。

この増田に書かれてることとか

anond.hatelabo.jp

人生無理って言ってるやつに限って無駄にプライドこじらせてる

 

・根拠のない自信と歪んだプライド

この件とは別にたしかトイアンナさんの記事だったかでできる男性は根拠のない自信を持っているとかそういう記事を読んだのを思い出した。一方で上記の増田ではプライドは回復のためには障害であるといったニュアンスで書かれている。根拠のない自信と歪んだプライド。前者が自己肯定として有難がられて後者は歪んだ障害みたいなことになるのってなんなんだろうと考えていた。考えていたといっても理由は明白で現実に沿っている自己肯定感は是とされ、そうではないプライドは回復に邪魔なものと見なされる。実態を伴っていればプライドや自信は全方位から肯定可能だけれどそうではない場合には自分の殻を守ることになり外部からの助けを受け入れずらくしてしまう。

そんな単純な違いかというとそうではないようにも思うけれど、大別すれば自己肯定している場合かそうでないかという境遇の違いが最も大きなものではないだろうか。

なので内面的な意味においてそこまで大きな違いがあるようにも思えないのだ。違うのは自己現実感みたいなもので自分自身にたいして謙虚だったり自分のことを見えているとかそういうもっと細部の心性であって自己肯定感やプライドは誰しもが持っているものでそれ自体は悪くはないのだろう。自己を肯定できない人間が回復できるはずもないので問題はその肯定の作法のようなものではないだろうか。経験としてそう思う。

 

・男性性と後天性

なんというかこれは男性性そのものの話にも見えてくる。人生無理バーの店員が発達障害の男性に言い寄られたり依存されそうになったり店員と客の関係を超えてくるのが主な閉鎖理由だと書かれていたけれどうまいこと生きられない人間は結局なにもかもうまくいかないんだなと同情すら禁じ得ないのだ。

男性の自己肯定感とか人生の歯車みたいなものってとてつもなく危ういものだという実感がある。薄氷の上を歩くようなもので歯車がすこしでもずれればすべてが崩壊していったりして社会的立場と連動して精神も弱体化して依存心も強くなり人生無理に着地して件のような始末になる。そして何もかもうまく回らなくなる。

仕事をクビになったので離婚した。アルバイト期間が長すぎたので就職できない。彼女ができたので自己肯定感がついてモテルようになった。結婚したので社会的地位が認められて出世した。良い大学を出ているのでエントリーシートが通った。

もちろんすべて努力や研鑽(あるいはその逆)の結果としてそうなるのであって一概に歯車だと言うことはできないしすべきではないけれど、うまくいった結果としてさらにうまく人生がまわるようになるということは誰しもが経験しているはずでその後天性を否定することはできないだろう。そして男性性はその後天性に乗っかっている部分がとてつもなく大きい。だからうまくいっている時にはすべてがうまく回りだすように感じたり、実際そうなったりする。そしてすべてが駄目になるとなにもかも駄目になる。そういう地獄が特に男性においては強烈にある。それはみな知っていることだろう。

 

・男性性と社会性

男性性ってのは厄介なものでこの社会では本来的な意味での男性性なんてのは無くなってて男性性がほとんどイコールで社会性と同じ意味になっているのでその矛盾に苦しむことになると思っている。吉本隆明がすべては女性から始まっているとか男性は比較的生きている意味などないみたいなことを書いていたけれど結局、男性は社会的肯定感をそのまま自己肯定感に置換するしかないので社会的に駄目になったときに男性的、ひいては人間的にも駄目になるものなのではないか。すべてが社会性と連動した結果、男性性なんてものは存在してなくてそれでもなんとか生きている意味みたいなものを探そうと躍起になることでそれが依存心として表れ今回みたいなことになる。

平たく言ってしまえば服(社会性)を脱いだ男性は全員変質者であるが女性の場合、そうとも限らない。服を脱いでいる女性がいたらなにがしかの被害にあったのかなと察したり男性が集まってきたりする。男性は変質者でしかない。それが男性の地獄である。

 

・裸の男性がそれでもまとおうとする男性性

まずtyoshikiさんが関連して面白い記事を書いていたので引用したい

www.tyoshiki.com

被害者という感情は罪悪感を相殺する

現世に留まり続けたいのであれば、「被害者意識」と「罪悪感」を混ぜないように気を付けないといけない

 

上に書いたように今の社会では裸になった男性は社会的に服を脱ぎ捨てた状態なので古来の男性性に還ることになると思っている。なにもかもうまくいかなくて人生無理となった瞬間に再童貞化するのであってけれどそうした時に肯定できる文脈は今の社会にはまったくない。そうなると被害者意識に塗り固められてしまう。でも被害者感情というやつはとても厄介なものでなにもかもを肯定してしまいかねないんだよね。自分の境遇だったり自分の現実だったりもっと言えばtyoshikiさんが書いているように最終的には自分の罪までも肯定しまいかねなくてそうなると一番上の増田で書かれているようにとてつもなく歪んだプライド、自己肯定感という化物に変換されてしまう。

男性は「最終的」に歪む。おそらくは僕も、誰も彼も例外ではない。だから人生無理バーの件を読んでいるととてもしんどくなってしまった。

裸になって助けが欲しくなった時にどうすればいいのか本当によくわからない。謙虚でいるだとかちゃんと泣くことだったりとか嫉妬や怒りを簡単に表に出さないこととかそういう諸々が大事なのはわかるけれど「そうなった時に自分がどういう化物に変身するのか」わかったものではないとも同時に思うからである。