メロンダウト

メロンについて考えるよ

「長年の悲願」ほど厄介なものはない

ロシア・ウクライナ間で起きた戦争について様々な考察や記事などを見ているのだけどこれといった回答はないみたいだ。

どの媒体でも「ロシアに正義はない」という論調だ。私もそのように思う。現象としてはプーチンが狂ったとしか言いようがないものの、なぜ狂ったのかについては一考の余地がある。そのあたりについて愚考していきたい。

 

プーチンの経歴を見るに2000年に大統領に就任して以来、「ロシア世界」の復興を政策目標に掲げてきたことがわかる。

振り返るにクリミア併呑、オレンジ革命の発端となった不正選挙、そして今回のウクライナ侵攻はいずれもロシアとウクライナ歴史観がすれちがっていることから生じている。

ロシア側は「ウクライナはロシアに帰属する国」と考えているようであり、ロシアの起源は9世紀のキエフ大公国にあると主張している。

一方のウクライナは、ロシアの首都モスクワに関するはじめての記述は1147年であるとし、そもそもキエフをロシアの起源であることを認めない立場をとっている。

キエフ大公国 - Wikipedia

 

どちらが正しいかは私のような門外漢にはさっぱりわからないものの、こうした歴史のすれちがいの上に衝突が起きていることは想像できる。

ロシア側は建国の起源が現ウクライナ領土のキエフにあることから軍事的な侵略を正当化する論理を持ち出しているし、ウクライナ側はそもそもそんな歴史は間違っているという立場をとっている。

オレンジ革命における不正選挙に関しても、ウクライナはロシアに帰属するものであるため、選挙に介入することは正当であるという論理を構築していたのであろう。

「クリミアはロシア固有の領土」と語っていたクリミア併合に関しても同様である。

今回の戦争に関してもNATOの東方拡大はロシアに帰属するウクライナへの侵攻だとしており、そのためにこの戦争は自衛戦争だという立場をとっている。

なんにせよロシアにはロシアの論理があるのだろう。

無論、こうした歴史のすれ違いだけを背景に侵略戦争が正当化されることは断じてない。しかしながらロシアがどういう理屈でこの異常な戦争を始めたのかをすくなくとも想像することはできるのではないだろうか。

 

こうした話は歴史の専門家の方やメディアが書いているものを参照してほしいのだけど、問題は「こうした歴史と訣別し、さもなければ付き合っていくにはどうしたら良いのか」ではないだろうか。

 

結論から言えばプーチンは権力の座に長くありすぎたのではないか。

上記の歴史的背景から言えばロシアにはロシアの歴史観があり、時にそれは秩序を超える大儀として機能してしまう。

そしてそんな歴史的背景を糧に20年近く政治のトップにありつづけ、クリミア併呑やロシア経済の回復といった成功体験をいくつもしてきたプーチンは老齢にありながら万能感に溢れてしまっているのではないだろうか。

本来、時代が変われば世界や社会のルールブックも変わり、どうあれ適応しなければならない。それは国も個人も同じだと言える。万能感をいつまでも持っているわけにはいかない。現在の国際秩序にあっては、クリミアを併呑したような「ノリ」でキエフを侵攻すれば多大な批判を受けることになる。しかしそれをプーチンはわかっていなかったか、わかっていてなお歴史観を重視した。

言ってしまえばこたびの戦争はけだし「前時代的」なのである。世界の大国として冷戦を繰り広げていた20世紀の世界線をそのまま引用してきたかのような傲慢さがプーチンにはある。20世紀のイデオロギーが全面に押し出されていた国際情勢をいまだにひきずっているように見えてしまう。共産主義は事実上終わり、ナショナリズムは衰退し、自由を至上とするこの世界だが、いまだにプーチンは列国としての国家のあるべき姿を追い求めているゆえに歴史にその根拠を求めてしまうのではないだろうか。

他国といかなる歴史があったとしても侵略してはならないというのはいまや大前提の秩序であるが、そうした秩序がいかに重大な意味を持つかすら認識していない可能性がある。クリミアの件からしてもその兆候はあったのだ。KGB出身というプーチンの経歴からしてもファシズムと闘っていた前時代の記憶がいまだに張り付いており、そうした構造から抜け出せていないと考えることができる。

仮に「ロシアの歴史」が正しいとしても戦争を始める理由としてはあまりにも弱い。歴史を背景にして戦争を始めることは大義というよりも前時代的及び老人的イデオロギーのそれに見えてしまうのだ。

僕達からすればいまさら共産主義ファシズム、1000年前の国の起源だと言われたところで戦争を始める理由になると考える人はほとんどいないだろう。イデオロギーとはいまやその程度のものでしかない。あるいは政治そのものがもはや平和のためにのみあると言っても過言ではなく、全世界でも実際に戦争を起こす国は当然ないと考えられていた。大国であればなおさらだ。それが僕達が共有するイデオロギーとも呼べないイデオロギーであり、良くも悪くも前時代のイデオロギーは正義ではなく政治を語る道具に成り下がっている。そうして現状の秩序を維持しようと考える人が世界の大半であるけれど、プーチンは突然それを破った。いまさら前時代のイデオロギーを持ち出して「歴史戦」をやるなんてはたから見れば狂ったとしか見えないのである。

 

もはや歴史的大罪人となることが確定したプーチンと比較するのはあまりにも恐れ多いが、こうした前時代の名残みたいなものはたとえば森元首相女性差別(的)発言もそうであった。歳を重ねても過去の記憶は時に抗いがたい嗜癖として個人に刻まれているものだったりするのではないだろうか。

無論、老人を差別したいわけではないが、人にはその人に刻まれた歴史が「良きようにも悪しきようにも」ある。それだけは確かであるように思うのだ。そしてその時間の長さと比例し、歴史に重みが増し、正義にまで昇華してしまったイデオロギーが最悪の形で出てしまったのが今回の戦争の一端ではないだろうか。

プーチンからすればウクライナの併合は「長年の悲願」なのであろう。クリミアやオレンジ革命といった紆余曲折を経て、政治生命も残りわずかであろうプーチンが老齢にして「歴史の重みに狂った」。振り返ればただそれだけだったと後世に記されても不思議ではないように思う。