メロンダウト

メロンについて考えるよ

女性の受動性も「おそらく」問題だろう

ひさしぶりです。ゲームオブスローンズにはまってブログ更新してなかったらスパムコメントがくるようになったので更新しますよ。

 

彼氏が風俗に行ったって話と処女厨の増田が最近話題になってたのでそのことについてでも

 

男性が風俗に行く理由のひとつに処女信仰があると思うんですよね。

普通の女性はセックスする時に処女的に振舞うし男性もある種それを望んでいることが日本では多い。

処女厨の増田がたたかれてたけれどセックスする時に女性が積極的にテクニックを駆使してやることは多くの男性が望んでいないと思われているし、実際に男性も処女的に振舞うことを女性にたいして要求しているように見える。

男性が主体的にリードして女性は受動的にと。一般化して語っているわけではないしこの限りではないけれど概して考えるに実際に処女であるかどうかは別にして処女的な女性を多くの男性は求め女性もそうあろうとする。

その欲望を素直に吐露した増田は叩かれていたけれど日本における処女信仰「的」なセックス観は男性のみならず女性にとってもかなり普遍的な価値観と言える。

 

このある種一方的で歪んだ関係が男性を風俗に行かせる理由のひとつになる。

普通に出会い普通に付き合い普通にセックスしようとすると女性は処女的に行為をしようとするのでえてして言えばつまらない。処女信仰を持たない男性からすれば風俗に行って風俗嬢とセックスしたほうが「私は無垢で純粋なんです」とかまととぶってプリテンドしかしない彼女とのセックスよりも性的な満足感としては高いものとなるだろう。

ここに愛情などが絡んでくると十把一絡げにはならないのだが性欲に限定して言えばそう考えることができる。

 

男性が風俗に行くのには導線がある。そしてそれは時に女性の相手にまかせきったセックス観にも遠因がある。

 

 男性がAV的にセックスしようとするのは間違っていると女性が言うように女性が処女的にセックスしようとするのも僕から見れば間違っている。対話において弱者の弱者ゆえの神経質さが善とは必ずしもならない。

 

 

女性の受動性で思い出したのがドヌーブがmetooを批判して話題になっていたことだがフェミニズムによって男性の能動性をなくそうというのであれば女性の受動性、処女的な振る舞いが良いことという妄想もなくすべきである。

受動的で被支配的な弱者が悪ではないとしても男性がそこまで能動的にならなければいけない遠因としての女性の能動性のなさ、処女的な振る舞いもフェミニズムは問題とするべきであろう。愛するつもりがないなら愛されることを求めるなとも言える。

弱者を問題化するというのはポリコレ的にアウトなことではあるけれどもどこに原因があるのかと考えた時に弱者の弱者ゆえの傲慢さが問題とされるべき問題もある。

 

 

日本の処女信仰や風俗に行く男性などにもその構造はあるように思える。強者ばかりが問題とされるが強者として振舞うことを要求する弱者もまた問題だという話です。

おそらく説明不足ですが、以上です。

 

またね。

シガレッツ&ポリティクス

神経症的社会もここまできたかって感じがするな。もうなんかfnoithunderさん同様にブログとかどうでもよくなってきたので殴り書きだけど

 

なんでそこまでなんでもかんでも政治化してすべてを語りたがるのかね。ある事物を政治化したら民主主義なんだから全体化するゆえに部分最適からはずれることになるって側面になんでもっと慎重にならないのか意味がわからない。

タバコの害がどうこうを置いておくとしても法律が国民のありようを定義することに反対しないのが謎だ。社会的、功利的に法律を制定する意義があるものなら制定するべきだけど例外があり憲法に反する法律は通してはいけない。法律が秩序を守るものである一方で憲法は国民が国家を縛るものなのだから憲法に反する法律は民主主義のプロセスから外れている。

健康増進法憲法の幸福追求権に反しているしタバコだって幸福追求の方法のひとつとして数えることは他人から見れば馬鹿みたいだがたしかに可能だ。健康が善かタバコが悪かという問題ではない。民主主義の大前提の話だ。

最重要なことは望ましいか望ましくないかに関わらず国民の自由そのものを守ることである。ここを侵犯しようとする法律ができた場合には民主主義者なら反対するべき。

これは理念の問題であって具体性の問題ではない。タバコが嫌いだからといって理念を捻じ曲げていい理由にはならない。

 

タバコが個人の幸福を形成するかは個人差の問題としてあるが仮にタバコが幸福追求の方法として明らかにはずれていようとも当該個人がそれを幸福だと感じているのであれば国家はそれを他人に迷惑をかからない限りにおいて尊重「しなけれなならない」。するべきかしないべきかという話ではない。しなければならない。

この点で喫煙室での喫煙や自室での喫煙を禁止しようとする東京都知事憲法の理念に違反している。

対象(タバコ)を悪とし政局的に利用しているポピュリストの話なんかまともに聞く必要がない。条例が制定されようが憲法に違反している時点で無視していい。

 

 

政治的に特定の層をとりこむために何か対象を見つけて敵化するのは共産党がよくやっているが都知事も似たようなものだろう。旧来型の自民党保守を敵として都知事選を通ったがゼロゼロゼロとか掲げあげくのはてには排除して立場をつくることに怯え保守にもリベラルにもなれなくなってしまった無謬政治家という印象しかない。

 

 

記号としてタバコはいろいろなものを顕在化して表に現してくれる。

対象がくさいという幼稚園児なみのありえない意見が通ると思っている層。

愚行権を認めない神経症的弱者

不完全性を認めない多様性

悪を排除する悪を厭わない似非民主主義者

 

 

このような傲慢で無謬な全体主義者に比べたら喫煙室で思いを煙に乗せ黙る喫煙者のほうがいかにその精神は健康的かと思うのでありました。。。

 

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女性専用車両ではなく痴漢回避特別車両と呼ぶべき

女性専用車両の解決方法を思いついたよ。

 

女性専用車両の話題だけど女性専用という名前がまずい。

女性専用車両と呼ぶからフェミニズムや差別に関する議論として話題を集める。

 

思い切って痴漢回避特別車両とでも名付ければジェンダーの問題に吸収されることもなかっただろう。

けっこうレアなケースだが自分は男性だが痴漢被害にあったことがある。ケツを触られていたかと思ったら次の瞬間には揉まれていて後ろを振り返り普通に「何してんの?」と言ったらやめて次の駅で降りていった。

 

自分は痴漢にあってもなんとも思わなかったのだがもちろん男性でも痴漢被害から身を守り電車に乗る権利はある。

そしてそれは女性であってもまったく同様である。

そして女性のほうが痴漢被害に合う確率が高く自分のケースのように一対一で解決できる対等な力関係でもない。

 

性別の区別なく痴漢から身を守る方法として痴漢回避特別車両があるのだとすればその車両の性質としての男女の差別はなくなる。入り口は男女対等としての体裁をつくる。

そして痴漢被害から身を守りたい人の多くは女性なので「結果として」痴漢回避特別車両は女性専用車両になる。

これで性質としては男女平等だが結果としては女性だけの車両ができあがる。

 

さらに車両名に痴漢回避とつけることでたとえ痴漢が紛れ込んできてもその車両には痴漢を許さない空気ができて抑止力として働く効果も期待できる。

 

最初から女性だけしかダメーーーとなるとフェミニズムに問題が吸収されていくのでプロセスや呼称を変えれば痴漢だけをスクリーニングして排除できる。悪いのは男性でもなく女性でもなく痴漢だ。

 

短いですがおやすみなさい。

 

 

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