メロンダウト

メロンについて考えるよ

NikeのCMとその騒動を見てゴチャゴチャと考える

NikeのCMが物議を醸しているので見た。なんというか賛同するにも批判するにも論点がいろいろごちゃまぜになっているのでいろいろ整理してから考えたい。いつもと違って長いです。(5400文字)

 

www.youtube.com

 

論点1 ウイグル自治区での強制労働及び貧困搾取の件

はじめにCMそのものよりもNikeが行っていた貧困搾取について知っておくべきだろうということで調べたので列挙しておく。

ベトナム及びカンボジア縫製工場での貧困搾取

Nikeが業務委託したベトナムの工場では最低限の生活ができる賃金の半額程度の給与しか労働者に支払われていなかった。

90年代初頭にベトナムを生産拠点にして低賃金の労働者を使うようになってから生産コストのうち人件費が占める割合は下がり続けてきた。変わりに広告費が増えた。

また、妊娠すると解雇など人権侵害に相当するような労働環境であったことも報道されている。

元ナイキの縫製労働者が語るカンボジア工場における搾取の実態 | 海外ビジネスニュースを毎日配信!− DIGIMA NEWS

労働者らは共用の小さなスペースに住み、1日10〜14時間、週7日働いていたが、毎月の給与はわずか約153米ドルであった

同記事にこれらの状況にたいする査察を拒否したことも書かれている

スポーツアパレル大手のNikeが独立系労働問題監督機関で、180以上の大学が加盟するWorker Rights Consortium(WRC)による工場の査察を受けることを拒否

 

ナイキだけではなく多くの多国籍企業が生産コストの安いベトナムなどの発展途上国に業務を委託していたがバングラデシュでのラナプラザ崩落事故により状況が変わる。

ラナ・プラザ崩落事故(ダッカ近郊ビル崩落事故)とは・意味 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD

ファッション史上最悪の事故から5年、バングラデシュは変わったのか

ラナプラザの工場が典型的なスウェットショップであったことも明らかになった。グローバル展開しているファッションブランドらが、こぞって労働者を低賃金かつ劣悪な環境で働かせることをよしとしていたのだ。労働組合の結成も、認められなかったという。

事件後、ブランド側は「そんな状況にあるとは知らなかった」と責任を否定。業界における、サプライチェーンの透明化が叫ばれることとなった。

 

ウイグル自治区での強制労働

中国共産党による同化政策が行われているウイグル自治区で製造されたコットンがナイキを含めた多くの多国籍企業で使用されているといった疑惑があり糾弾されていた。

「中国ウイグル族弾圧」で行われる苛烈な「強制労働」。日本企業も関与 | ハフポスト

ウイグル族のモデル、中国の収容施設から動画 BBCが入手 - BBCニュース

ギャパーさんが中国のメッセージアプリ微信ウィーチャット)を使って収容施設から送ったメッセージには、おぞましい状況が記されていた。

「50平方メートルもない狭い部屋に50~60人が拘束されていた。男性は右側、女性は左側にいた」

「全員、『フォー(4)ピース』と呼ばれるものを身に着けていた。頭にかぶる黒い袋、手錠、足かせ、手錠と足かせをつなぐ鉄チェーンだ」

 これにたいするNikeの声明

Nike Statement on Xinjiang | Nike Purpose

 Our ongoing diligence has not found evidence of employment of Uyghurs, or other ethnic minorities from XUAR, elsewhere in our supply chain in China.

自社の生産ラインにおいてウイグル自治区が関係していることを示すエビデンスは見つけられなかったとしている。 

 

しかし以下のような記事もある。

ウイグル人の強制労働に、多くの世界的企業が間接加担か | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

アディダスボッシュBosch)、パナソニックなどの企業はASPIに対し、報告書で指摘されていたサプライヤーとは直接的な契約関係にないと述べたが、その先に存在するサプライチェーンとの関係の有無を除外できる企業は一社もなかった。

世界的なサプライチェーンは、次のことを意味する。今や、中国で製造された商品について、強制労働によるものではないことを保証するのは難しい状況だということだ

 アップルのCEOが訪れた工場でウイグル自治区から移送された労働者が働いているといった事実もあるようで関係の有無を否定できる企業はないとされている。

 

この増田にもまとめられてる

anond.hatelabo.jp

下請け工場の実態を把握していないで反差別を謳うのはどうにも気持ち悪いものがある。典型的なリベラル仕草であるがアメリカ大統領選挙の時に見たこの記事を思い出した。

バイデンでは癒せない米国の分断とハイパーバトルサイボーグ達|畠山勝太/サルタック|note

リベラルは隣人が酒におぼれていようが薬でラリっていようが意に介さないと書かれている。莫大な広告費をかける一方で足元の労働者の人件費は削っていたナイキのそれととてもよく似ている。

ウイグルの件は中国共産党が主な原因で多くの企業が騙されていたとも言えるがそれにしてもこれだけ巨大な流通網をしいたらどこでどのような人が働いているかわかったものではない。その点で実態を正確に把握するのは不可能でもはや倫理とか以前に構造的な問題なのだろう。

 

 

論点2 分断を煽ることについて

ナイキのCMは分断を煽っているといった批判がある。実際煽っていると思う。なのでネトウヨが言うように「日本にそんな差別はない」といった批判はある程度的を射てると思う。しかし差別がないように見えている状況こそが差別的なのではないだろうか。アメリカのように差別問題が社会的な認識として浸透し議論されている国と日本の状況はすこし違う。

日本では差別される側がマイノリティーであるように差別する側もマイノリティーのため多くの人は差別問題を意識しなくても生きていけるようになっている。人種や出自の差別などそういう場面に出会ったことすらない人がたくさんいる。もともと差別を現実的にとらえることができないのだろう。だから「日本人は差別している」とNikeのCMで言われると吹き上がる人達がいる。そんなものはない、と。

しかし当然のことながら日本にも差別はあってそれは被害者の沈黙によって顕在化してこなかった部分が大きい。通名を使う方にしても部落出身者にしても素性を隠してマジョリティーに迎合することで差別問題を無いものとして生きるのがベストオプションになっている。LGBTの問題にしてもそうだ。しかしその状況こそが差別的であると言える。差別的な言動だけが差別なのではなく差別的な環境もまた差別なのだから。日本人ではなくとも日本人の振りをしなければならない状況は当事者からすれば相当差別的に感じるはずである。NikeのCMはそれを顕在化したに過ぎない。チマチョゴリを着て歩く人の姿を現実に目にすることはない。しかし目にすることがない状況こそがおかしいのであってCMによって分断を顕在化するのはその点においては意味のあることではないだろうか。

猪瀬元東京都知事が日本は夢の国と言っていた。ディズニーランドのような、御伽話のような、現実を見ないで生きている人がたくさんいる夢の国だと。その一端がCMのチマチョゴリに表されていて、被差別者が沈黙することによってみんな日本には差別などないという夢を見続けることができていた。日本人は単一民族であるといった幻想もその一種であるが。しかしそれはとても歪な状況なのだろう。現に在日差別をしている人がどの程度いるかどうかはともかく日本社会においてチマチョゴリを着る程度の自由もないことは確かなのだから。

ヘイトスピーチにしても一部の狂人によって行われているだけだし在日差別もネトウヨによって行われているだけで多くの人は差別とはそもそも何かを知らない状態で生きている。なので差別問題を考えなくても生きていける。僕もそうだった。海外でPut on your yellowと言われ生卵を投げつけられたことがあるけれど、それまで人種差別などとは無縁に生きてきた。

そういう幸運な国に生きているからこそそうではない人々の不運を見過ごしかねない。そんなことを思う。

 

・分断煽りと差別の可視化の違い

 勘違いしてほしくないのは僕は分断を煽ったり対立構造を意図的につくって政治利用したり商業利用するのには反対だ。それはネットを見ていればいろんなところで見られる手法で右左、意識高い系低い系、男性女性と対立を煽ってフォロワーを競う不毛なやりとりがあって意味のない細分化が行われている。しかし分断を可視化するのはすこし違う。対立を煽ることは差別を生産することだが差別を差別と言えない状況を可視化するのは違う。分断を可視化するのには一定の反発があって当然だがその困難を受け入れてでも可視化すべき問題はあると思っている。在日差別などがそうだけれど可視化して意識の上に乗せることではじめて被差別者は声を上げることができる為だ。

 

 

 

論点3 日本人というアイデンティティ

アイデンティティーに関わる問題はとても厄介だ。それは宗教と化したネトウヨを見るとよくわかる。NikeのCMは日本人を貶めていると非難して不買運動までも始めたが、彼ら彼女らは日本への批判といった式が成り立つのであればそれは無手に悪いことだと考えている。ほとんど脊髄反射に近い。しかし当然、日本人でありながら日本人というアイデンティティーよりも大事なものを持つ人はいる。あるいは単に方法論が違う人もいる。既存の日本の枠組みを壊してでも変化させなければならないと考えている人もいるだろう。それは当然のことで誰しもが国民国家を主体とした価値基準で生きているわけではない。しかし多くの人が日本という国にルーツを求めそれを守ろうとしている。それ自体は非難されるべきではないがそういう強烈なアイデンティティーや立場の明確化は時に考えることを困難にしてしまう。

日本人にアイデンティティーを持っていてもより良い日本に変えるために差別を可視化して撲滅しようと考えることもできる。強固に凝り固まった保守主義はそこらへんが厄介で国家主義と保守を同列に考えるようになってしまう。NikeのCMが「まるで日本人は黒人を差別しているみたいじゃないか、このCMは日本人差別だ」というのは今の国家を守るべきだという思考にたっていないと出てこない言葉である。しかし当然ながら守るべき国家というのは未来にもあって未来において国家を存続可能にすべき方法をとるというのも保守と呼べないだろうか。そんなに凝り固まった価値観ではないと思うのだが。保守ってやつは。

国家が姿を変えたとしても保守すべき日本はまだあるしその時に差別が横行するような最悪の国になっていたとしたら誰も日本を守ろうなんて思わないだろう。その時にこそ日本人というアイデンティティーは危機に直面する。そうならないために今この時、差別を直視して守るべき日本を再構築するのも悪い選択ではなかろうに。

反差別がリベラルのものではないのと同じように日本人というアイデンティティーも保守のためだけのものではないと、普通に思う。

 

 

論点4 加害者と被害者

 加害感情というやつもまた厄介だ。あなたは差別をしていますと言われて「はいそうなんですか、以後気を付けます」と言える人はほとんどいないであろう。誰しも加害者にはなりたくない。特に懲罰感情が強くなってきた最近のメディアやネットを見ていれば加害者の人権なんか考える人はほとんどいないのでなおさら加害者にはなりたくない。

加害者になると社会全体からバッシングされ最悪の被害者になる。加害と被害は直接つながっているので誰もが加害を避けるようになった。子供に話しかけるのさえ容易ではない現状を見るにつけ思うことがある。

大なり小なり誰しもが加害性を持たずには生きていけない。NikeのCMにしてもあのCMは加害だと言えばそうなのだろう。実際、ネトウヨの人は傷ついているみたいだしその点で加害性を持つCMと言える。けれどゼクシイのCMに傷つく離婚経験者もいるだろうしなんにせよ何かを宣伝するのは誰かの何かを想起させ刺激しかねない。それを最もドラスティックにやったのがNikeなのだろう。CMのメッセージ性云々を抜きにしてもここまで自社の加害性を無視して広告を打てるのはすごいと思う。さすが発展途上国に工場を置いて低賃金労働者の人件費を搾取して代わりに広告費に充当した企業という感じ。反差別を謳いながらものすごくドライに加害性を計算してるのが面白い。

 

論点5 炎上マーケティング

長くなりすぎてきたので簡潔に。

NikeのCMが社会的問題や差別なんかどうでもよくてコリン・キャパニックを起用したのが成功したことに味を占めた炎上マーケティングとして行っていたのであれば最悪にゲスいと思います。

 

以上です。疲れた笑

結局全部安倍晋三のせいだった

桜を見る会前夜祭の費用を安倍晋三事務所が補填していたことから政治資金規正法違反に問われている問題を見ていてもう今年の国政は例年以上にめちゃくちゃだったなと思い返している。

振り返るに桜を見る会の問題は参加者が支払う5000円が適正価格であったかどうか、及び反社会勢力が参加していたかの二点が大きな問題だった。片方は嘘だと判明して片方は現総理の菅が「反社の定義とは?」とけむに巻いて有耶無耶のまま終わった。参加者名簿を国会で要求されたその日にシュレッダーにかけるなどもそうだったけれどなにをもってしてこんな馬鹿げたことになってしまったんだ。国政は。

報道によると前夜祭費用の補填は安倍晋三の秘書が勝手にやったことだというオチになりそうだけどまた「誰かが勝手に忖度してやったことだ」で逃げ切るつもりなのだろうか。森友の時はそれで人が亡くなっているというのに。

普通に考えてホテルも明細書を出していたはずなのでそんな大嘘を秘書が個人の判断で行うとは到底考えにくい。これまでの自民党の体質を考えればまた有耶無耶にしているうちに国民もメディアも飽きるだろうといった算段があったのではないか。そう疑わざるを得ない。シュレッダーでの証拠隠滅の迅速さを考えてもそういう方向でごまかそうとしていたのは確定的に明らかだと言わざるを得ないだろう。森友という前科があるのだからなおさらである。そして目論見通りみんな忘れた。そして有耶無耶にしている間にコロナがきた。

自民党は喜んでたんじゃないかな。コロナが来てから野党は政権のコロナ対応にたいする批判ばかりになって桜を見る会の嘘がバレずに済んだと。そうやって延命させてきたのが自民党であった。メディアとネットの忘却性に依存した政権でしかなかった。株価や失業率などの数字を盛って体裁は取りつつ内実は嘘だらけで倫理的問題は無化するのを待つ。無謬で無能な安倍政権であった。

 

コロナの対応にしてもこれまでと同じで結局何をしたのか意味不明なところが多すぎる。もともと公衆衛生に敏感な日本人だから感染がある程度抑えられたようにしか見えないのだ。安倍政権がやっていたことで評価できるのは持続化給付金と10万円ぐらいのものだろう。アベノマスクにしてもゴミをつくらせて受注先に金をばらまいただけだった。はじめからメーカーに投資して既存の流通ルートを使ったほうが良いのは明らかなのにマスクの品質云々を抜きにしても意味不明すぎた。Gotoトラベルにしても民宿や一部旅館では使えなく、格差を広げる結果となった。

 

そして何より国難ともいえる緊急事態中に臨時国会を開かずに記者会見もほとんどしないでいつも通り座して国民が飽きるのを待っていただけなのが最大の悪政と言えるだろう。菅政権になっても記者会見は開かず自治体にGotoトラベルの可否などを丸投げしており、国のトップがもはや何を考えているのかわからない始末。今のような状態でなにが正解がわからないのは仕方ないにしてもだ。経済活動を余儀なく続けるか、もしくはコロナ第三波は緊急事態と国民に示すかなんにせよビジョンを示す義務が総理にはあるはずである。しかし何もしない。今に始まった話ではない。政権はほとんどなにもしてこなかった。

検査体制や受け入れ病床数の確保にしても同様である。ワクチンがないまま寒くなればこうなるのはわかりきっていたのだから第一波が落ち着いた段階でPCRの検査体制を充実させたり重篤者用のベッドを増やしたりすべきだった。単純に医療機関に予算を割り当てるなどでも良いが第一波のころから医療提供体制がほとんど変わっていないというのは驚くべき事態であって、そしてそれは政権与党の責任と言ってよいものだろう。

 

なにを持ってしてここまで虚実織り交ぜた無責任の体裁政権を支持できるのか意味がわからないのだ。政治は責任をとらなくなったから責任が生じるような行為はしないわけだが、これはもはや政治が機能していないと言っても過言ではない。

そしてこうなった理由のほとんどは安倍晋三のせいだと言っても言い過ぎではないだろう。

長期政権を維持し続けてきた安倍政権だが、今般の桜を見る会をめぐる報道を見ればわかるようにその政権は嘘によって取り繕われ延命されてきただけだった。嘘をついてもそれが99%の嘘であるかぎり1%の言い訳はできると発明した。1%あれば政権は維持できるという証拠を残して去っていった。それが安倍政権だった。そして安倍路線を継承した菅政権も続いている。もはやなんでもありなのである。「反社の定義とは?」といった小学生の言い訳が通用する国会では嘘を嘘と認めないかぎり嘘が嘘にならない。そうやってまた嘘が繰り返されていく。そしてこのような政治状況において最悪なのは政治家は何かすると嘘がバレる恐れがあると感じ始めるようになることだろう。嘘をつかないように見せるため何もしないことが政権にとって最善の生存戦略となってしまった。だから嘘がバレるかもしれない記者会見をしない。たまにしたと思えば記者クラブの定型質問にだけ答えて国会では原稿を丸読みするという案山子政権が誕生する。そして国民はそれを平和だとか保守だとか言って勘違いする。

平和なのは有能なインフラやそれを守る整備士及び医療従事者等であるし、それを下支えしてるのは不当な給与で働かされている技能実習生や派遣労働者などの低賃金労働者であって政治家はただ座して国民が飽きるのを待っているだけである。政治家が政治をやらずに現場が事実上の政治をやっている。そんなことをしていればいずれ限界が来るだろう。

もはや言い尽くされてきたことだがそんな政権を支持している人達が甚だ疑問である。

どのような人々が支持しているか考えるに政治が機能しなくても良いと考える新自由主義者、及び平和を保守と勘違いした者、または何が政治的機能か考えていない人が支持しているのだろうけれどそれにしても安倍晋三は最悪であったと

せめてこんな泡沫ブログに書き残しておくことにする。終わり。

 

PS はてなブックマーク解放することにしました。よくよく考えれば非表示にしなくても見なければいいだけのことでした。初期についたブクマは読ませてもらいます。すいませんがいっぱいブクマついたら見ませんのであしからず。なにかある方は直接コメント欄へ。

人生無理っていうか男性無理~被害者意識と男性性の相克~

なんかいろいろとしんどい話題。人生無理バーの件。

この増田に書かれてることとか

anond.hatelabo.jp

人生無理って言ってるやつに限って無駄にプライドこじらせてる

 

・根拠のない自信と歪んだプライド

この件とは別にたしかトイアンナさんの記事だったかでできる男性は根拠のない自信を持っているとかそういう記事を読んだのを思い出した。一方で上記の増田ではプライドは回復のためには障害であるといったニュアンスで書かれている。根拠のない自信と歪んだプライド。前者が自己肯定として有難がられて後者は歪んだ障害みたいなことになるのってなんなんだろうと考えていた。考えていたといっても理由は明白で現実に沿っている自己肯定感は是とされ、そうではないプライドは回復に邪魔なものと見なされる。実態を伴っていればプライドや自信は全方位から肯定可能だけれどそうではない場合には自分の殻を守ることになり外部からの助けを受け入れずらくしてしまう。

そんな単純な違いかというとそうではないようにも思うけれど、大別すれば自己肯定している場合かそうでないかという境遇の違いが最も大きなものではないだろうか。

なので内面的な意味においてそこまで大きな違いがあるようにも思えないのだ。違うのは自己現実感みたいなもので自分自身にたいして謙虚だったり自分のことを見えているとかそういうもっと細部の心性であって自己肯定感やプライドは誰しもが持っているものでそれ自体は悪くはないのだろう。自己を肯定できない人間が回復できるはずもないので問題はその肯定の作法のようなものではないだろうか。経験としてそう思う。

 

・男性性と後天性

なんというかこれは男性性そのものの話にも見えてくる。人生無理バーの店員が発達障害の男性に言い寄られたり依存されそうになったり店員と客の関係を超えてくるのが主な閉鎖理由だと書かれていたけれどうまいこと生きられない人間は結局なにもかもうまくいかないんだなと同情すら禁じ得ないのだ。

男性の自己肯定感とか人生の歯車みたいなものってとてつもなく危ういものだという実感がある。薄氷の上を歩くようなもので歯車がすこしでもずれればすべてが崩壊していったりして社会的立場と連動して精神も弱体化して依存心も強くなり人生無理に着地して件のような始末になる。そして何もかもうまく回らなくなる。

仕事をクビになったので離婚した。アルバイト期間が長すぎたので就職できない。彼女ができたので自己肯定感がついてモテルようになった。結婚したので社会的地位が認められて出世した。良い大学を出ているのでエントリーシートが通った。

もちろんすべて努力や研鑽(あるいはその逆)の結果としてそうなるのであって一概に歯車だと言うことはできないしすべきではないけれど、うまくいった結果としてさらにうまく人生がまわるようになるということは誰しもが経験しているはずでその後天性を否定することはできないだろう。そして男性性はその後天性に乗っかっている部分がとてつもなく大きい。だからうまくいっている時にはすべてがうまく回りだすように感じたり、実際そうなったりする。そしてすべてが駄目になるとなにもかも駄目になる。そういう地獄が特に男性においては強烈にある。それはみな知っていることだろう。

 

・男性性と社会性

男性性ってのは厄介なものでこの社会では本来的な意味での男性性なんてのは無くなってて男性性がほとんどイコールで社会性と同じ意味になっているのでその矛盾に苦しむことになると思っている。吉本隆明がすべては女性から始まっているとか男性は比較的生きている意味などないみたいなことを書いていたけれど結局、男性は社会的肯定感をそのまま自己肯定感に置換するしかないので社会的に駄目になったときに男性的、ひいては人間的にも駄目になるものなのではないか。すべてが社会性と連動した結果、男性性なんてものは存在してなくてそれでもなんとか生きている意味みたいなものを探そうと躍起になることでそれが依存心として表れ今回みたいなことになる。

平たく言ってしまえば服(社会性)を脱いだ男性は全員変質者であるが女性の場合、そうとも限らない。服を脱いでいる女性がいたらなにがしかの被害にあったのかなと察したり男性が集まってきたりする。男性は変質者でしかない。それが男性の地獄である。

 

・裸の男性がそれでもまとおうとする男性性

まずtyoshikiさんが関連して面白い記事を書いていたので引用したい

www.tyoshiki.com

被害者という感情は罪悪感を相殺する

現世に留まり続けたいのであれば、「被害者意識」と「罪悪感」を混ぜないように気を付けないといけない

 

上に書いたように今の社会では裸になった男性は社会的に服を脱ぎ捨てた状態なので古来の男性性に還ることになると思っている。なにもかもうまくいかなくて人生無理となった瞬間に再童貞化するのであってけれどそうした時に肯定できる文脈は今の社会にはまったくない。そうなると被害者意識に塗り固められてしまう。でも被害者感情というやつはとても厄介なものでなにもかもを肯定してしまいかねないんだよね。自分の境遇だったり自分の現実だったりもっと言えばtyoshikiさんが書いているように最終的には自分の罪までも肯定しまいかねなくてそうなると一番上の増田で書かれているようにとてつもなく歪んだプライド、自己肯定感という化物に変換されてしまう。

男性は「最終的」に歪む。おそらくは僕も、誰も彼も例外ではない。だから人生無理バーの件を読んでいるととてもしんどくなってしまった。

裸になって助けが欲しくなった時にどうすればいいのか本当によくわからない。謙虚でいるだとかちゃんと泣くことだったりとか嫉妬や怒りを簡単に表に出さないこととかそういう諸々が大事なのはわかるけれど「そうなった時に自分がどういう化物に変身するのか」わかったものではないとも同時に思うからである。