若者が海外に出稼ぎに行っている件
オーストラリアは実際に住むとなると住宅価格や医療費が日本より高いため単純比較することはしないほうが良いと思うけれど、ワーホリと同じような労働形態で言えば日本では自動車の製造ラインに従事するいわゆる期間工がそれにあたり、調べたところTOYOTAが出している期間工の給与が30万前後であるため、福利厚生を考慮したとしてもやはりオーストラリアとは格差があることになる。最近だと熊本の半導体工場の求人が時給3000円と話題になっているけれどTSMCが台湾の会社であることを考えると実質的には海外で働いているのとあまり変わらない。北海道のニセコもバブルになっているもののいまやほぼ外国化しているため、日本が豊かになっているというわけではない。
また、東京のタワーマンションの価格が暴騰し続けているみたいでその原因が主に中国人に買われているからというニュースも最近あった。さらにはインバウンドの影響でビジネスホテルの価格が釣り上がっているというニュースもある。
しかし実質賃金は22か月連続で下落し続けているうえ、最近では実質消費も落ち込んでいるようであり、ようするに株価は上がりインバウンドも戻ってきて市場全体で見れば外貨も稼いでいるのに日本国民の手元にはお金がないというおかしな事態になっている。
なぜ日本の労働所得が安いのかと言えば、単純に経済が落ち込んだからという理由もある。しかしもっと構造的な問題があるのではないだろうか。その筆頭が下請け構造だ。たとえば東日本大震災の時の原発事故がわかりやすい。当時、原発がどのような状況かわからないという大変危険な状況で作業員が募集されていたけれど労働市場に降りてくる時には日給9000円という信じられない価格になっていた。以下記事によると8次請けにまでなっていたようである。
日当9000円――なぜ原発で働く人の賃金は安いのか(1/4 ページ) - ITmedia ビジネスオンライン
福島原発作業員が東電提訴、危険手当など未払いで約6200万円請求 | ロイター
同様の事態は東京五輪でもあった。
資本主義がもともとそういうものだと言えばそうなのかもしれないけれど、マルクスの剰余価値率を考えると日本の労働者は提供するサービスや生産力に比して搾取されている率が高いのではないか。雇用者に搾取されている率で言えばおそらくそれほど高いわけではないが、中抜き構造がある場合、雇用者が複数になるため、雇用者それぞれが抜く価格が低くても労働所得への影響は大きい。これが労働分配率を下げ、経済が回らなくなっている一因だと考えられる。
経済的に考えると日本にいることの価値は日々失われていっているが、それよりも重要なのが「街」を見渡していると「ここにいることの意味」のようなものが失われていっている感じがしている。
東京近郊の千葉・埼玉あたりの国道沿いを車で走っていると街並みががほとんど同じであることに気が付く。スシロー、サイゼリヤ、ベルク、セブンイレブン、イオンモール、エニタイムフィットネス、ドン・キホーテ、マクドナルドなどなど大手チェーンが並んでいて、どこを走っていても同じ景色が続く。国道から逸れて市道に入っていくとフランチャイズのから揚げ屋、歯医者、ドラッグストアなどが点々と建っていて生活を支えているのがわかる。しかしながら地域に根差した八百屋、お団子屋、魚店、駄菓子屋などは軒並みなくなっている。地方の中核都市も似たような風景になっていて資本淘汰が進みつつある。地方色が残っているのは駅前がメインでそれ以外の場所はもうどこにいてもたいして変わらない。どこにいてもたいして変わらないのであれば「ここにいることの意味」がもうない。ゆえに住んでいる街にたいする愛着や郷愁といった地縁を持つ人も少なくなっていく。地縁が少なくなっていけば必然、便利な地域に移住するようになり、東京や大阪に人口が集中する。
東京に人口が集中すれば「東京という田舎」の論理が大手を振るうようになる。人が多すぎるがゆえに様々なルールやマナーを採用しなければならないのが東京である。たとえば青森のローカル線の電車に僕と全裸で踊っている人がいたとしても何も問題はない。ややもすると一緒に踊りだすだけである。しかし何百人と同じ車両に乗る電車の中では全裸で踊ることはもちろん私語ですら躊躇する空間になる。しかしそのルールは東京というローカルな場所において必要に駆られてできたものに過ぎない。原理的に言えば電車で踊ろうが酒盛りしようがどうでもいいのである。
つまり地方の土着性や地縁が資本によって軒並み解体された結果、東京のローカルルールだけが残り、そのルールを地方へ敷衍し、地縁がなくなったと同時に自治もなくなった地方がそれを丸飲みしているのが今の状況と見ることもできる。
労働所得の低さ、資本淘汰による「どこにいても同じ」だという感覚、それによる地縁の消滅、地縁の消滅による東京のローカルルールの拡大
そうした環境の中で日本にいることの意味で上げられるのもと言えば治安が良くご飯がおいしいといった具体的なものに限られ、価値や意味といった土着的で抽象的なものは資本によってより快適なものへリプレイスされ漂白されていった。それで良かったかと言われればよくわからないけれど、結果としてこうなったのだからみんなどうでもよくはあったのだろう。僕もそのうちの一人で、なんだかよくわからないままいつのまにかこうなっていた。
横丁のソバ屋も、育ってきた景色も消えていき、スターバックスラテだけが残るなんて、そんなこと、少なくとも望んではいなかったはずなんだけどな・・・
Mr.Children 「ランニングハイ」DOME TOUR 2005 "I ♥ U" 〜FINAL IN TOKYO DOME〜 - YouTube