アメリカ大統領選に関して一般に言われているのがリベラルの敗北ということだけど「西海岸の綺麗事」は世界に波及こそすれ自国内の支持を得るのは難しかったようである。
思い出すのがカズオ・イシグロさんが「リベラルは横のつながりしか持っていない」と述べていたことだった。リベラリストは世界のどこにいっても階級的に同質な人々と付き合っているため、グローバルな視野を持っていると自覚しながら実のところ極めて狭い人間関係の中にいるという指摘である。随分前の話ではあるけど今回のアメリカ大統領選でも2016年の大統領選挙をなぞるかのような結果になり、カズオ・イシグロさんの指摘からなにも変わっていない結果となった。
違いがあるとすれば2016年の時にはトランプはまだ未知数の候補であって、停滞するアメリカ社会を変えうる起爆剤としての機能が期待され当選した側面があったが、今回の選挙ではアメリカ国民がトランプという人物を理解したうえでトランプを支持したことに違いがありそうである。
2016年の時であればまだ判断がつかないところもあった。ただ、今となっては異国の地から見てもトランプは政治家として極めて特殊な人物であるように見える。保守的な政策を掲げ、過激な発言もするうえ、議事堂襲撃を扇動したと取られかねなかい発言に係争中の裁判をいくつも抱え有罪判決を受けていたりとかなり破天荒な人物であることがわかる。そんな人物をそれとわかっていながら自国のトップに選ぶのは傍目に見ても異様なわけだが、それ以上にリベラル勢力への反発が強いのかもしれない。
近年、アメリカを筆頭に西側諸国では女性の権利拡大やポリティカルコレクトネスによって社会を変える動きが活発だったけれど、今回の大統領選の結果を見るに人々がそれらを支持する「時期」は終わりつつあるのだろうな、と感じる。
無論、女性の権利が終わるというとずいぶん不穏な感じがするしそんなことにはならないよう願っているのだけれど、フェミニズムを筆頭に女性(の言葉や行動)を信じるような運動が通常の論理的正しさを超越するようになった時、それらへのバックラッシュが起きて「社会を変える魔術としてのフェミニズム」は終焉に向かうことになる。
中世の魔術が終わり、人々が合理的に思考するようになることを脱魔術化と呼び、合理が通用しなくなり感情の時代になることを再魔術化と呼ばれたりするみたいなのだが、
感情が優先される魔術にたいするバックラッシュが起きている今の状況は反魔術化の時代とでも呼べるのではないかと思う。
なんにせよリベラルフェミニズムがその魔力を発揮できるのはもうそれほど長くない。
魔術でもなんでもかまわないからとにかく生活を安定させてくれという生活保守がこれからアメリカでも日本でも支持されていくようになるはずだ。リベラルフェミニズムは産業革命の恩恵を預かった国で流行った一過性の思想だったと後世では解釈される可能性すらあるように思う。
というのもリベラルがしばしば言う「大衆は愚かである」というトランプを支持するようなポピュリズムにたいする批判は大衆が物事を考えないで済む生活を持っている限りにおいて有効な批判であった。生活が十全としていればなるほど他の物事や人々に目を向けない保守的な思想は傲慢であるだろう。ただ、いまやもう日本でもアメリカでも生活が脅かされていてそうした余裕はなくなってきている。そうした人々にトランプを支持するなんてなんて愚かなんだと言っても他者を思いやるだけの生活基盤、足元が瓦解しかけてる人々に届くわけがないのだ。
そうした状況にあって大衆は愚かであるといったポピュリズムへの批判はこれから言論としては通用しても政治的に通用することはなくなるだろう。
アメリカは富の格差やインフレ圧によって苦しんでいるし、日本でも少子高齢化によってシュリンクしていく社会構造によってこれからますます生活が前景化していくはずである。その時、トランスジェンダーがどこのトイレを使用するかであったり大学の女性枠やアファーマティブアクションにSDGsのようなイシューを社会全体で考えられるような「余裕」はなくなっていく。
それらはかつて貴族階級が政治的議論に耽っていたことと同様に娯楽やネタとして消費されていくだけになり政治的な実効性を持たなくなっていく。
ムラから都市に出て個人主義や自由主義を標榜するリベラルがムラとなり閉じていくのは皮肉であるが、アメリカの大統領選を見るにそれは現在進行形で起きていることなのだろう。
もちろんリベラリズムは大切であるのだ。ただ、自由を行使できる生活がなければ、たとえば飛行機に乗って自由を謳歌することすらできない。食うに困れば犯罪に走ることだってあるだろう。税金を支払うために闇バイトに手を染めた若者も最近ニュースになっていた。
いずれにせよ自由はぜいたく品であると、そのような考えを持つ人は今ですら少なくない。
そうした人々が権威主義に走らないよう生活に根差したリベラリズムが復権することを、個人的には願っている。