メロンダウト

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反グローバリズム集団としての参政党と、保守の被害感情

直近の比例代表の投票先を見ると参政党の支持率が3%と、かなり躍進しそうである。
詳しく知らなかったけれど、いろいろ調べていると参政党は古いタイプの保守だという印象を受けた。党の顔となっている武田邦彦氏の言説にしてもかつて見たことあるものが多い。
参政党の主張は中国やアメリカなどのグローバル資本にたいし、日本は政治的なフェーズで対抗していくべきだという主張となっている。これはかつて山野車輪氏が唱えた『嫌韓流』や、中野剛志氏が書いた『TPP亡国論』などが話題になっていた時によく主張されていた類のものである。かつての保守論壇ではアメリカ型の資本主義や中国の権威主義にたいし日本はナショナリズムを復興し、これに抗う必要があると言われていた。*1
 
TPPが議論されていた当時はまだ日銀が金融緩和に転換する前で、日本経済はデフレ下にあり、貿易赤字であったため「日本が買われる」という言説が流行っていた。したがって、アメリカはTPPを通じ日本へ遺伝子改良食品などを輸出しようとしているという言説がにわかに議論されていた。そしてアメリカの農作物を輸入すれば日本の農産業はグローバル市場での競争に晒され、食料自給率も下がり、「日本の台所が破壊される」といった主張がなされていた。これがかつてナショナリズム界隈で議論されていたことである。
しかしながらその後、日本はアベノミクスにより円安へと方針転換したため、円高を主張の根拠とした反グローバリズム論は鳴りを潜めることになった。
 
かつての保守論壇ナショナリズム論争)で言われていたものと、現在参政党が主張している反グローバリズム論はかなり似ている。
たとえばウィグルの問題がそうである。ウィグルの問題はいまや左派の領分であり、コレクトネスの側面から専ら議論されているものの、参政党はそこに反グローバリズムからの批判を加えている。その点で参政党の批判は左派の批判とは切り口が違うものとなっている。左派は国際的な枠組みによる連帯によってウィグルの問題を解決すべきだと主張する一方、ナショナリストはその枠組み自体を問題視する。この図式はTPPの時に見たものと酷似している。かつてTPPが議論されていた時にはアメリカを敵と見なすグローバリズム批判が展開されていたが、参政党はそこに中国を含めている点でより広範な反グローバリズムと言えそうではある。
しかしその主張の論拠はかつてのそれと変わるものではない。すなわち「日本は虐げられている」である。
かつてはTPP、そして今は中国を中心としたサプライチェーンアメリカの巨大TEC企業を敵と見なすことで愛国心を刺激するのがいわゆるナショナリズムの政治戦略だと言って良いだろう。
 
一般にナショナリズムというとかなり素朴な話に捉えられがちである。いわゆる愛国心をベースにナショナリズムを考える人は多い。日本には日本の伝統があり、四季折々の美しい国土を持っているというものだ。そうした美辞麗句がナショナリズムでは喧伝されがちではある。しかし実際にはその中身は反グローバリズムであることがほとんどである。もちろん愛国心から保守やナショナリズムに染まる人もすくなくないものの、しかしそれは表玄関の表札に過ぎない。その裏では、失われた○○年で貧しくなった日本人の「嗜虐心」や「被害感情」に巧みに入り込み、敵を打倒すれば「かつての美しい国を復興できる」という非現実的な懐古主義を説く場合が多いのだ。いわゆる「被害感情」は、昨今ではリベラルやフェミニズムの代名詞のようになっているが、保守の側にも被害感情による動員は存在し、それはややもするとリベラルのそれよりも厄介であったりする。
ナショナリズムに触れる場合、その言説が愛国心と被害感情のどちらから発せられているのか、その見極めには相当注意したほうが良い。なぜなら、かつてナショナリズム嫌韓という被害感情をもとに在特会を生み、ヘイトスピーチなどの社会問題を生み出したからである。
ようするに日本におけるナショナリズムは、かつての「経済大国」や「古き良き日本人」などの思い出と強烈に結びついているーー復興という感情的なフックがあるーーため「グローバル企業を排除した時のデメリット」などの現実の問題を置き去りにしてしまいがちであり、かなり危うい政治性なのは間違いないであろう。もちろん愛国心がいけないと言いたいわけではないし、国を愛することはむしろ美徳として考えられてしかるべきではあるはずだ。しかしながら一般に愛情は憎しみと切っても切り離せない側面がある。国を愛することとヘイトなどの政治的な憎しみは表裏一体のものである。それがナショナリズムにおいて最も注意すべきことなのは間違いないだろう。
 
 
 
 
しかしながら参政党のような古いタイプの保守・反グローバリズム政党が出てきたのは今の政治状況を見るに自然なことだとも言えそうではある。
というのも、今の政治状況はバラモン左翼とビジネス右翼によって成り立っているというのが定説であるからだ。右派は資本と手を組み現実だけを肯定し、左派はリベラル的な正しさを喧伝している。一見すると右派と左派は対立しているように見えるが、しかしその実、その顔ぶれは似通っている。つまりリベラルエリートである大学系左派知識人が、資本主義やマチズモに適応したビジネス右派を批判するという構図が今の政治状況であるからだ。左派は左派でグローバルなリベラル思想に傾倒し、右派はグローバル資本主義と手を組んでいる点でどちらもグローバリズムを内面化した集団であることに違いはない。バラモン左翼とビジネス右翼はお互いを批判こそすれグローバリズムをベースに批判しあっている点でマッチポンプに過ぎないとも言える。日本でも自民党は巨大権益集団、立憲民主党共産党は左派コレクトネス集団、維新は新自由主義政党が最も一般的な見方ではあるだろう。こうした政治状況では政治の現場に自らの投票先が存在していないという「被害感情」を持つ人は少なくない。
 
そして、日本にはそのような感情を拾う政党は存在してこなかった。高額な供託金や一票の格差などで政治参加へのフェンスを築き、地方の有力者を取り込んで組織票を集め、地場固めすれば選挙では勝てるといった具合に政治は閉じられてきた。事実上、強者だけが政治のキャスティングボードを握ってきたのが日本政治であり、皆が強者になろうとし、弱者や普通の人のことを顧みてこなかった。ツイッターはてなの左派論壇では、弱者が最強のカードであるかのように言われているが、しかし現実に日本は弱者が優遇され救われている国だとは言い難い。
たとえばそれは日本において特異に低い生活保護の捕捉率を見ても明らかであろう。選挙公約や演説でどれほど綺麗な言葉を並べても、現に日本は貧しくなっており、かつ貧しくなった人(マジョリティー)を救わないのが日本である。マイノリティーにたいする保護や、かわいそうランキング上位の人々への温情は、物語としてしきりに宣伝され、日本人は弱者に優しい国だと考えている人が多いものの、しかしそうしたメディア上の言説と現実の状況は乖離している。仮に弱者が最強のカードであったとしても、そのカードを使えるテーブルがなければ弱者というポジションはなんの意味もなさない。今のところ弱者というカードは単にツイッターなどに提出するといいねがつく程度ものであろう。
現実には日本は弱者に優しくない国であり、だからこそ自らが弱者になるかもしれないという不安は強烈だ。そして、実際のところマジョリティーの生活は物価高や社会保険料の値上げにより逼迫しつつある。皆が弱者になるかもしれない。そんな不安が膨れ上がってきている。もはや日本は大国ではないという貧しさを多くの人が感じるようになっている。
 
そして、そうしたマジョリティーの被害感情はナショナリズムとの相性が非常に良い。たとえばそれはアメリカにおけるドナルド・トランプがそうだったように、先進国が生活レベルで困窮し始めると、自国第一主義、つまり「悪いナショナリズム」を使い大衆の被害感情にはいりこみ「かつての普通」を取り戻そうという政党が必ず出てくることになる。ビジネス右翼もバラモン左翼も現実の生活を良くするものではないという絶望を人々が内面化した時、かつての生活(グローバリズム以前の生活)を取り戻そうという「非現実的ナショナリズム」が台頭するようになる。そしてその非現実性が、陰謀論のような無理筋の政治的主張に接続し、政治をシナリオに紐づけて考える人々が出てくるようになる。陰謀論が主に右派を中心に広がっていることの原因はそのようなものではないだろうか。
つまり、現実的な生活レベルで困窮していきなり政治の話題に飛びついてくるような人々は、政治の複雑さを考慮しないことで、かえって非現実的な政治性、つまりは陰謀論に飲み込まれるようになるのだ。
 
マイノリティーもマジョリティーも等しく貧しくなりつつある日本では、左派だけが被害感情を振り回しているわけではない。いまや保守の側の被害感情のほうがより深刻な問題になりつつある。左派はまだマイノリティー側の主張であり、民主制においてその影響力は限定的である。しかし保守の側の被害感情はマジョリティーの被害感情であるため、現実の政治をも動かしかねない。
日本にはまだトランプが出てきてはいなかった。それは自民党が一強支配していたことが原因ではあるが、しかし自民党をしのぐ政党が出てくるのであればそれは立憲民主党のような左派ではなく参政党のような「被害感情的保守ナショナリズム」なのではないかという危惧を、強く持っているのである。
 
 
 
(追記)
安倍晋三元総理が選挙演説中に銃撃に遭い、搬送されたものの亡くなられたという報道に驚いています。
衝撃的すぎて言葉にならないのですが、今はただ謹んでお悔やみ申し上げます。

*1:特にチャンネル桜などではたびたびナショナリズムが喧伝されていた。余談だがチャンネル桜はその後、メイン司会者である水島聡氏が自らをシナリオライターと称し、政治をシナリオ的に捉えるようになることで陰謀論と似通った主張を展開するようになり、いわゆる保守とは別方向に向かっていくことになる。