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メロンダウト

メロンについて考えるよ

タバコの肺がんリスクの増加発表はただの出版バイアスじゃないの?

医学論文のメタアナリシスだから信頼できるとかいうのはまったくそんなことなくてメタアナリシス、これ学生の時に統計学の授業でやった覚えがあるんですけどある命題に関する論文とかの標本を集めまくって統計的にどれだけの有意性があるかって調べるんですけど

今回のタバコの肺ガンリスクの増加に関して思ったことはこれ出版バイアスではないの?ってこと。確証バイアスに言い換えてもいいかもしれない。

つまり論文って学会に承認されて始めて公のものとなるけどこの学会の承認というのが厄介で今回のタバコに関する話で言えば世界的に起こっている禁煙運動の存在でWHOでも禁煙を大義としてすすめているので喫煙を奨励する論文は学会で承認されていないのではないかという懸念があるんですよね。それで禁煙推奨論文ばかりになった結果としてメタアナリシスするとやっぱり禁煙だよねってなっているだけなんじゃないですかね・・・実際タバコのメリットって調べてみるとけっこうあったりするんですよね。

 

メタアナリシスは濃淡の学問であって物理学のような科学的事実とは違うんですよね。物理的、身体的な化学反応でもってタバコはこうこうこのような影響があるって断言できればいいんですけどそれは長年できていなかった。だからタバコを吸ったら肺ガンになるというのも「リスク」として言われてきた。

しかし今回、肺ガンリスクの話もほぼ確実から確実にあがったみたいですけどそもそもメタアナリシスで結果を抽出している以上は原理的に絶対確実なんてことを言えるわけがないんですよね。国立ガン研究センターが発表したサイトを下までスクロールしてよく見てみると適用している論文自体も最新のもので3年前のものであとはぜんぶ20年前30年前のものでいまさらリスクをひきあげる蓋然性自体がどこにも見当たらない。

しかもそれを2名が独自に評価したっていう具合だからますますもって不可解。さらにそもそもメタアナリシスなのになんで論文を選出するのかがわからない

 

そんなこと言ったってまぁタバコは健康に良いものではないことはほぼ間違いないし自分は生物学なんかまったくわからんので単なる疑問止まりではあるのですけど・・・

ブコメなどを見ているとおそらくはてなーもタバコに関しては確証バイアス働いていると思ったので記事にしてみました。しかしタバコは肺ガンとかいう問題ではなくこの嫌煙社会で吸うと確実に生きづらくはなるので吸わないほうがいいですよっと。

夢とインターネットが生んだ過疎化という絶望~NHKスペシャル「縮小するニッポン」を見て~

夢視ね

縮小するニッポンを見た。地方の過疎化、人口減少なんかわかってはいたけれども改めて映像で見ると絶望感がすごい。夕張市の職員が町内会長の家を訪問して言葉を詰まらせる場面なんかは本当に絶望を表していてすこし泣きそうになった。

news.mynavi.jp

キャピタリズム(都市集約)の弊害がいよいよ顕在化してきたということなのか、なぜこんなことになっていったのか原因を列挙して考えてみます

 

 

インターネットの普及・情報化が生んだ過疎化

番組を見て個人的に印象深かったのが過疎化する夕張市の中学生の進路に関するアンケートでした。地元の高校に進学する割合が以前は80%だったのが現在は33.6%になっているという結果。

市の担当者は公的サービスの減少などを原因としてあげていました。もちろんそれも大きな原因ではあると思いますが地方の過疎化というのは何も夕張市だけではなく全国的に起こっていてその最大の原因がインターネットにあるんじゃないかと考えています。情報にアクセスできる難易度がここ数年で極端に下がったので自分がいかに不幸な境遇か地元の環境がいかに不遇かというのがインターネットを代表とする情報化によって顕在化してしまったのでしょう。

これには個人的な話があり蛇足なので改行まで読み飛ばしてもいいのですが以前、高島ちさこさんが子供のゲーム機を破壊したというニュースを見てインターネット上で毒親だと批判が相次ぐということがありました。あのネット上の反応を見た時に僕が思い出したのが僕も小さいころに父にゲーム機を捨てられていたということだった。それも複数回、しかも長時間遊んでいるということではなく片付けなかったというだけの理由で庭に捨てられていました。しかし僕は高島ちさこさんのニュースを見るまで父のことを毒親だと思ったことなどありませんでした。今でも思っていないですが問題はそれぞれの生活における歪んだ、しかし知るまでそれとは気づかない事情がインターネットによって顕在化すると自分の境遇を呪う人も出てくるだろうなと思ったことです。例えば東京と地方のように・・・

 情報化によってありとあらゆる生活の実態が公になったことで自分と他者とを比べる機会が格段に増えた。そうなると地方の生活がいかに息苦しいか、仕事がないか。そして東京はいかに仕事があって遊ぶ場所もたくさんあって綺麗な女性もかっこいい男性もいてと地方で生まれた若者が知るようになったことが過疎化に繋がっている一因にはなっているのではないのかと番組を見ていて思いました。

 

 

日本における社会的成功・夢への圧力

社会的に成功するのを多くの人が目指す。一口にいっても有名人になる、大企業の部長になる、スポーツ選手になる、プロ野球選手になる、研究者になるなどなどあるがこれが若者の言論を「圧殺」しているんじゃないかと思っています。無職が語ることに意味はないなどと平気な顔をして言う人がいたりするがそうして夢や社会的に成功することが偉いという階級主義が弱者の声を押し殺す。そういう空気がどこかあるんじゃないかと感じることがあります。

20代30代の年収の統計などを見ると明らかに苦しいはずであるのに声をあげず息を殺して黙って働いているのはなぜかといえばこのファッキンドリーミーな空気が作る敗北感によるものなんじゃないかと思うのです。つまり自分には声を荒げる権利などないという諦めによって声が届かず政治にも影響を及ぼさない。そういう事態がさらに若者の現実を圧迫していってしまって気づいた時には手遅れになってしまう。感情を殺したり自立したりね、そういうことが大人の像としてあるけど苦しかったら泣いて嗚咽するほど絶叫すればいいんですよね。ポジティブに生きたほうがいいなんてゴミ同然の自己啓発本には書いてありますけどネガティブこそが汲み取られるべき人間の本性だと僕は思っています。

 

 

 

東日本大震災で証明された日本の残虐性

東日本大震災の復興予算は35兆円で義捐金総額は5000億円。そして日本人の個人金融資産は1400兆円で770兆円が預貯金、そしてその半分を60歳以上が保有しています。

復興に予算を企てることは当然なのですが実際に復興後に仙台などに行ってみると驚くぐらい綺麗な景観の街並みがあり悲惨な状況をイメージしていくと少々面食らうほどの復興ぶりでした。またなかには義捐金や国の復興予算で豪邸を建てて暮らしている人がいるなどのニュースも流れていたりします。それはそれとして5年たった今でもまだ復興できていない地域などはあるので311は悲劇そのものであることは事実なのですが

東日本大震災が浮き彫りにしたことは日本には悲劇に見舞われた人間を救うだけの善意もあるし(個人金融資産の統計からわかるように)予算もあるということでした。突発的にすべてが津波に飲まれてしまった人達が悲劇なのは当然ですし比較する話ではないですがこの国には愛する人がいるのに結婚できない若者であったり低賃金ブラックバイトで半永久的な地獄に棲んでいる人がかなりいる。それは個人的な見方をすれば復興という明確な出口が見える震災という悲劇よりもむごい絶望というものでしょう。

過疎化も同じ。毎日を耐えに耐え一見すると安定しているように見えてその実、苦しんでいる人達がいる。

番組内で水漏れがする市営住宅に住んでいる老人が映し出されていた。年をとり階段を上るのさえ苦労する老人の部屋。子供も出て行き消え行く町で何を想うのかを考えると個人主義、自立、夢、ポジティブ、成功というものはなんて残酷な言葉なんだろうと、僕はそう想うしかなかった。

 

ベーシックインカムのメリットを全て列挙してみる

ベーシックインカム 経済

前回の続きです。オピニオンではありません。メモですよ。

plagmaticjam.hatenablog.com

ベーシックインカムに関してはデメリット、財源の問題などもありますが(むしろそちらのほうが語るべきですが)とりあえずベーシックインカムが施行されるとどんなメリットがあるのか考えられる限り全て書いていきます。

労働環境の劇的な改善

日本の労働問題としてブラック企業サービス残業、非正規、派遣など様々ありますがそれらは全てお金のため、生活のために行われていることがほとんどで自己実現やキャリアのためということは滅多にない。

お金のためにやりたくもなくて(前回の記事で書いたが)社会的にも無意味な仕事に従事している人がいなくなります。ベーシックインカムが実現すれば生活のために働くというインセンティブはなくなるので生活を人質にとり労働の価値ダンピングしているブラック企業は労働者を確保できなくなるので潰れるかホワイト化するしかなくなります。

派遣や非正規労働に関しても現状は安い給料で長時間働いているのでキャリアや技術を獲得する時間や余裕がないことが問題となっています。毎日の労働で疲弊して年齢を重ねてしまう事態が解消します。ベーシックインカムがあれば最低限の生活に困ることはなくなるので全ての時間を自己投資できるようになります。

 

恋愛市場の健全化

学生時代の恋愛と大人になってからの恋愛とで最も大きな差となっているのが現状、お金です。お金のない大人は恋愛に関してはけっこうな枷を背負っていると言って良いかもしれません。しかし学生時代にお金の多寡で男子に寄っていった女子は自分の周りでもそんなに多くはありませんでした。

ベーシックインカムが実現すれば生活は保障されているので現状のお金や社会的地位の如何によって恋愛できなくなるという事態が解消します。そしてお金の価値が薄くなるので打算的な恋愛は少なくなって学生時代のように人として好きであったり感情で恋愛するようになります。

また現在は労働環境の格差によって恋愛にコミットできる余裕のある層とない層がいるので上記の労働環境の改善によって恋愛市場が健全化します。

 

少子高齢化に歯止め

前述の恋愛する人が増えることによって結婚も増えて少子化にも歯止めがかかるようになる可能性があります。また世帯で生活したほうがあらゆる生活費が安くなるのでベーシックインカムで生活しようと考えた時にパートナーを探そうというインセンティブも働きます。そして子供にも同額支給されるので出産の金銭的なリスクがむしろメリットになります。

 

起業する人の増加

日本は特に起業する人が少ないですがそれは日本のキャリアパスに問題があって現状は起業しても倒産すればまた0から就職活動をしなければならずキャリアから降りた人間が就職できる企業はけっこう限られていたりします。終身雇用は全容としてはもう崩壊しかけていますが大企業の採用面ではまだ会社に尽くすということを言う人がいたりしますので現実的にキャリアを降りるのはリスクが高いです。それは学歴や経歴が高ければ高いほどリスクが高い。

しかしベーシックインカムが実現すれば食うに困ることはなくなるので起業しても再就職のリスクや会社を潰してしまった時にかかるリスクは少なくなります。

 

政治に参加する人の増加

現在は政治に参加することはけっこうハードルが高く地元の名士であったり族議員などの選挙の地盤を持つ人が当選しやすくなっています。しかしベーシックインカムが実現すればたとえば仕事をしないで4年間かけて地元の人との人脈をつくり戦うことだって可能になります。また選挙に立候補した時には職についていてはいけないというリスクもベーシックインカムが埋めてくれます。こうなれば現在の議員と一般人とのハードルがなくなり先天性の選挙ではなく人を選ぶ選挙になり結果として政治が良くなり国がよくなります。

 

犯罪の減少

無敵の人による犯罪は承認による側面も大きいので一概には言えませんが金銭面の困窮によって強盗などをする人が減ります。

また詐欺集団は社会的信用をなくしてしまった人達がやむを得ずやっていることもあるのでベーシックインカムが実現すれば捕まるリスクをとってまで詐欺を働く人達がかなり減ります。

 

地域活性化ゲマインシャフト(地縁・血縁によるコミュニティー)の復活

現在は個人主義社会で田舎を離れて一人暮らしをしていたり収入面の判断から都市部で暮らしている人が一定数いますが、そういった収入面で東京を選んであくせく働く人が減ります。労働環境の条件によって仕方なく人が集まっている東京の一極集中はなくなる可能性が高く家族のもとや暮らしやすい地域に移住する人が増えると考えられます。

物価の側面から見ても地方のほうが名目の物価は安いので都市部も地方も同額支給のベーシックインカムになれば地方に移住することがメリットとなります。

またベーシックインカムが導入されれば労働にコミットする必要性がなくなるのでビジネス上の取引ではなく主従のあるサービス関係でもない友人や家族のような関係の人対人の健全なコミュニケーションが勃興します。地縁の復活です。

 

公務員の減少

先日の透析患者の件でもそうですが社会保障制度が完全に消えることは消えたら即死んでしまう方々がいるのでありえないですが生活保護などの相談員などの 公務員は必要なくなりますしブラック企業問題が消えることで厚生労働省の職員なども削減できると考えられます。

 

 

 

個人的メモの意味もあるので随時追記していきます

 

とりあえずメリットだけです。調べてみるとやはりというかデメリットのほうが多いです。記事は終わりです。以下個人的に読みたい本

 

ベーシック・インカムの哲学―すべての人にリアルな自由を

ベーシック・インカムの哲学―すべての人にリアルな自由を

 
自由と保障―ベーシック・インカム論争

自由と保障―ベーシック・インカム論争

 
働かざるもの、飢えるべからず。

働かざるもの、飢えるべからず。

 

 

長谷川豊氏はそもそも本音で議論したら社会は壊れるという大前提を忘れてるんじゃないだろうか

本音と建前 拙い社会思

またはてなのトップページにあがってきた長谷川氏の本気論本音論というブログタイトルを眺めていた。なんだか異様なそのブログタイトルこそが長谷川氏の思考に絡む藁なんではないかと思った。

 

本音と聞くと裏表のない人間のようなポジティブな印象を持つことがあるが基本的に人間の本音・個人的な欲望は他人から見たらおぞましいものに見えることのほうが多いものです。今回の長谷川氏の自堕落透析患者抹殺論もそう。だから「本音論」というタイトルのくくりで見れば長谷川氏のエントリーも本音であるという一点に関して言えば評価できるところではあると考えられます。エントリーの内容とは完全に別な視点ではありますが・・・

長谷川氏の今回炎上している件についても彼なりの資本分配論なのだろうがそういった社会正義のように見える本音はたいていが個人の生存者バイアスであったり高慢さ、自律力、プライドなど個人の勝手な判断基準を用いて語っているに過ぎません。それは個人の主観としてはまぎれもない本音であって長谷川氏個人の人生経験から得た福祉のありかたなのでしょう。しかし個人の能力、欲望、感情、理性、自律能力、ジレンマ、人間関係などは社会全体においては多種多様であってそもそも一個人がどれだけ汗を流してもそこから得た知見だけで社会制度を語ったらダメなのです。

本音で議論したら社会が壊れるというのはそういう意味。だから客観性、社会的受容性の伴わない「本音論」というのがエントリーの内容以前に問題としてあるのではないでしょうか。

 

id:fujiponさんが「そんなに人間は完璧には生きられないよ」と仰っていましたがまさにそのとおりで人間の能力はほとんどが後天的な運とか獲得した能力や人との関係の中で生まれてくるもの。努力ができるかどうかさえも遺伝子によって決まっているという説さえあります。だから人間の能力の多寡を判断基準に議論することがそもそもナンセンス。それでも社会にはキャパシティーがあって現実的に限られたリソースでどれだけの人を救えるのかを考えなければいけないのは長谷川氏の仰るとおり。しかしそれは白黒つけて生きるべき死ぬべきということであってはならないのです。

生存権憲法に明確に記されているので死ぬべきか生きるべきかという二者択一は日本では禁じられています。仮に長谷川氏のエントリーが憲法に切り込んでいるのだとしたら一個人がブログに掲載する内容としては無謀だとしか言いようがありませんが・・・

どれだけの堕落者であっても死刑囚以外、全員があまねく生きる権利を侵されてはならない。それが社会が穏やかに回っていくための最も根幹にあるこの国の絶対律。仮に長谷川氏の言うことが国会で可決されたら医者を脅してでも銀行に強盗にはいってでも透析を受ける患者が出てくることになってしまうのは容易に想像できます。 

本音を言えば長谷川氏の言う透析患者ではなくても、殺すなんて明確な殺意ではなくても死んでほしい人間なんてそりゃ人生生きてたらだいたい遭遇することになりますよ。長谷川氏のように自分にまったく直接的な害がない人を死んでほしいなんて思ったことは一度もないですが、直接的な被害にあった場合には人は時に簡単に安直な二者択一の「こいつは死んでほしい」なんてことを考えてしまうこともあります。その時に殺すか殺さないか殺せと言うか殺すなと言うかに人間が人間たる条件があって感情的な物言いで殺せなんて言うことは誰にでも可能です。同情とかめちゃくちゃな論理(例えば能力の多寡とか)によって殺すに値するなんて言い回しも書こうと思えば書けるけどそれでも書かないし言わないのが理性なんですよね。殺せとか死ねと簡単に言ってしまうのは理性のない弱い人間のすることです。それはちょうど長谷川氏の論法で書かれている能力のない弱い透析患者のそれのようにです。能力の多寡で生き死にを論じることそのものが理知の弱さを露呈することになってしまっているのです。

 

だから人間の本音は仲間内で管を巻くぶんにはかまわないが社会に組み込まれてはいけない。個人の本音はけっこうな確率でいびつでゆがんでいて社会性のかけらすらないことがほとんどなのです。人間はその能力以上に知力や理性を鍛えることのほうがはるかに難しいものです・・・僕の短い人生という経験上はいまのところそういうことになっています。

 

僕のブログよりも理知的なエントリーを書いてらっしゃる方々がいますので最後になりますが紹介させていただきます

watto.hatenablog.com

fujipon.hatenablog.com

nenesan0102.hatenablog.com

 

メロンについて

雑記

電車の中で自分のブログの過去記事を読み返していた。しかしこのブログ批評が多いなと思った。8割ぐらい社会における思考とか立ち居地とかを探るみたいなそんなものばかりでまぁ自分で書いておいてなんだがあまり面白いと思わなかった。意義はあるが意趣はない。そんな感じだ。いやひょっとすると意義もなにもないかもしれない。まぁしかしどうでもいいか。

個人的な話をすればこんな批評みたいな客観的記述よりも主観的随想みたいなもののほうがすきだし好きだから得意なんだけどあんまり書こうとは思わない。3年間ぐらい日記を書いていたので書こうと思えば・・・ブランクがあるのでわからないけど書こうと思えば書けると思う。まぁだけどSNSに生活をアップするのはあんまり好きじゃないしね。昔、mixiやってて疲れてやめちゃったことがあるし。

好きなことについてもそうだけど好きなことについては考えたくないといったほうがいいかもしんない。書くことは=で考えることであって物質的に好きなものについてはあんまり考えたくない。だからメロンは好きだけどメロンについて考えたことはない。嘘ついてごめんなさい。

www.youtube.com

なんだっけそうそう、このteenagefanclub通称TFCも好きなんだけどTFCについても考えたくはないんだよね。お酒の席でTFCを好きな人と同席できたら最高だなと思うし語り合いたくはあるんだけど自分で考えたくはないんだよね。

音楽の話でいうとoasisblur論争みたいなものがあって今でも調べたりするとやってたりするんだけどあれもけっこう不毛だと思うんだよね。音楽に関して高尚さを比べることなんかほんと意味ないよね。高尚さを語り始めたらbeatlesも出た時は退廃的だとか言われてたみたいだし。

考えることってなんか必要に駆られてするものであってなんか不和とか感受性で感じる違和感とかそういうスイッチが入って考えることが多いけど心地いいものは考える必要がないよね。

考えることってそんな幸福なことじゃなくてさ、ただそうしなきゃいけないからそうするのであって何にも考えないで生きていける人がいたらその世界を大切にしたらいいとわりとまじでそう思うよ。Teenage fan clubてたぶんそういう意味。僕もファンクラブ会員なんだけど

幼少期や10代が持つ自由とか不規律とか純情とかね、そういうのを大事にしたほうがいいと思うよ。

選挙なんか行かないでね、友人とゲーセンでも行って遊んでたほうがいいやね。そんなトレードオフな話でもないけど・・・ね。

長谷川豊の措置入院レベルの危険思想

思想

自業自得の人工透析患者なんて 全員実費負担にさせよ! 泣くならそのまま殺せ! 亡ぼすだけだ

芸スポ速報+板のスレッド | itest.2ch.net

b.hatena.ne.jp

いやもうやばいでしょ。もうやばすぎて話にならない。自分は極論とか炎上にも意義はあると思ってるほうなんだけどもうこれは最後の一線を越えてきたというレベル。ついさっき投稿した記事で失言は許容するべきだっていうことを書いたけどこの「透析患者は怠惰だから殺せ」発言はなにがあっても絶対に言ってはいけない。許容とか寛容とか文脈を読むとかいうレベルじゃない。新自由主義とかいうものですらない。

人間が書いた文章とは思えない。

 

普段は言及する時はできるだけ論旨を読み取ろうと思って書いたり読んだりするけどこれはそもそも読むべきではない。読んだらいけないので数日で落ちるだろう2ちゃんねるのほうにのリンクを貼っておく。気の迷いで書いたとも見られないのでただの暴力であってレイシズムであって優生思想であって超教条主義の糞。まじでひどい。

この透析患者は死ねというのは相模原で大量殺人を行った人間が首相官邸に送ったこの手紙

【相模原殺傷】「障害者470名を抹殺できます」植松聖容疑者、衆院議長に手紙(全文)

これとまったく同じことを言っていることに気づいているのだろうか。植松のように実行可能性が認められない点で措置入院にはならないだろうがそのくらいやばい文章を投稿している自覚はあるのだろうか。

 

また最近、フィリピンの大統領が麻薬を売人も買い手も全員射殺していいなどということになっているがそれとも似ている。

とにかく優生思想はやばいんだよ。新自由主義だかなんだか知らないが優生思想を持つ自由なんかないんだよ。とにかくひどすぎる。ひさしぶりに絶句した。

インターネットで集める承認は原理的に無意味、人は承認や目的では繋がれなどしない

インターネット 哲学

トイアンナさんの記事に言及させていただきます。前回言及させてもらった記事はこちら。

無敵の人VS無謬の人 - メロンダウト

今回はトイアンナさんのこちらの記事に言及。感受性、論理、経験を駆使しはてなでも際立って「文章に実がある」方なのでこんな泡沫ブログで言及させていただくのは畏れ多いのですがすこし書いていきます。

toianna.hatenablog.com

 

北条かやさんの炎上、自殺未遂について書かれている。北条かやさんはSNSでの承認をイコールでアイデンティティーと捉えてしまったから傷ついてしまったという論旨。だからSNS以外にも依存先を増やすことが解決になると書かれている。

報酬を得られる場所を1つに絞りすぎると、そこがダメになったとき心が折れてしまう。だから依存は、しまくったほうがいい。ありとあらゆる方向へ、少しずつ。

この話には同意できる。しかし承認をあつめてそれも依存先のひとつとしてしまうというのは僕はけっこう無意味だと思っている。インターネットで集める承認については特にそう。僕はインターネットで有名になることそれ自体が時間の無駄だという点でトイアンナさんのエントリーとは見解が異なる。

 

「目的」で人は繋がれない

インターネットのつながりは基本的に目的で繋がる。あの人の書いてるブログは論点が明確で面白いな、あの人のブログは独特のキャラクターで笑える、あのアマゾンのレビュアーは示唆に富んでて面白いな、あの生放送主にカンパしてドローンを首相官邸に飛ばさせようなどなど。普通のことを普通に書いているだけのブログなどまあ読まれない。キャラクターや目的がまず先にきて、それから繋がる。

しかしキャラクターや個性というのは諸行無常であって個人のある特殊な期間のある特殊な状態で発揮できる一過性のものである場合が多い。

僕もいまこうしてブログを書いているが気分が乗らない時は書かないしブログには書かないような卑しさであったり劣等感であったりはたまた優越感のような俗情に支配されることもある。それ自体は気分的なもので一過性の気の迷いなのだがブログに書いてしまえば少々幻滅されるようなことも当然ある。そうしたことを気の迷いで他人に話した時に人が離れていくのと同じように、一時的な状態と言って良い気の昂ぶりで人から承認されるのもまた「ピーキーすぎる承認」と言ってしまえる。

北条かやさんの件がまさにそうだった。過程はどうであれ自殺するほど傷ついて通常の判断ができない状態なのは容易に推測できる。彼女が通常の状態で書いてきた文章とは違って当たり前だがSNSではバッシングにあってしまう。でもそれって北条さんの状態がピーキーなのだろうか?違うんじゃないだろうか。人間は泣くし怒るし喜ぶものだ。

インターネットで承認を集めること。それ自体がもう針の穴に糸を通し続けるようなとんでもなくセンシティブでピーキーな行いなんじゃないだろうか・・・

 

つまりある特定の事柄とかある特定のキャラクターとかを維持しつづけることで承認されてそれを本人も自我だと錯覚していつのまにか自我が求められる形に変形し、小さくなっていってしまう。そして小さくなった自分の枠からはずれるようなおかしな行動をした時には叩かれて人が離れていく。人間は酒など飲まなくても酔っ払うというのにだ。

 

 

 

だから繋がるということはインターネット上のキャラクター戦争では実現しえないと僕は思っている。酔っ払っている時にわけのわからないことを言ったりする愚考も愚行も汲んでくれる関係でないと意味がない。取引ではない関係と言ってもいい。

 

だからトイアンナさんの依存先を増やすという論旨には同意できるがインターネットで不特定多数に向けてそれをやるというのは承認という面においてははっきりと時間の無駄だと思う。せめてやるのであればチャットやスカイプのように対個人でやったほうがいいと思うポン。

 

ちなみにこの文章は酔っ払って30分で書きました。