メロンダウト

メロンについて考えるよ

この国の8割の仕事は遊びなんだから就活に失敗したぐらいで絶望することなんかないよ

就職活動に失敗して自殺するかもしれない・・・というますだを読んだのですこし僕が現在という時代に感じる経世観を書いていくことにする。

 

仕事なんかしたってしなくたってどっちでもいい

まず大前提として僕は仕事なんかしたってしなくたってどっちでもいいと本気で思っている。生活保護の人間とオスカーに出て賞をもらう人間は基本的人権においては変わらない。ただ個人が個人の人生をどう楽しんだか、どう生きていたかという違いがあるだけでそれはホモサピエンスとしてではなくホモルーデンスとしての存在を定義するだけのものだ。

ホモルーデンスという言葉はホイジンガが提唱したもので遊戯が人間活動の本質であると位置づけたもので現代では生物的活動を超えた文化的活動が人生に意味を与えるとしている。

ホモルーデンス(ホモルーデンス)とは - コトバンク

 

想像してみてほしい。今この国に本当に必要な仕事がどれだけあるのかを。今こうしてはてなブログでこの記事を書いて遊んでいるがはてなが倒産してサイトが消滅しても僕という人間を脅かす事態にはならない。ただもうしいたけのアイコンを見ることもなくなるのかとすこしさびしいだけだ。つまりはてなは本質的には遊びだし僕にとって必要ではない。おそらく他の誰にとっても「絶対に必要」というものではない。

野球選手だってお笑い芸人だって遊びだ。ディズニーランドが爆撃されても誰も震災の時のような根底から崩されるような悲劇は感じない。

 

一次産業、社会インフラ以外の仕事はただの遊び

だから基本的に農業や漁業、またそれを運搬するロジスティクスや社会インフラ、電力会社や建設会社に医者、公務員等以外は社会に必要のない仕事ばかり。これら決定的に重要な仕事以外は基本的にみんな遊んでるだけ。寿司を何十年修行してとんでもなくうまい寿司が握れるようになったからといって社会に「必要」な仕事ではない。

他にもスマホゲームとか健康食品とかスマート家電とかありとあらゆる仕事に意味などない。ただ人間の生活をすこし豊かにするだけのものだ。またブラック企業貧困ビジネスに代表されるように時に豊かにするどころか人間としての大切なものを侵食し奪っていくことすらある。それらを取り返すためにまた精神科医ソーシャルワーカーに弁護士などのインフラが必要になるなんて事態にもなる。

だから人間は働かなければならないなんて思想は資本主義社会が生んだ幻想だ。サビ残する同僚がいるせいで帰れないという構造が社会全体で起きているに過ぎない。サビ残のような社会的焦燥感を生むような仕事をするくらいなら大学を卒業してキャンピングカーで旅行したり、ブログを炎上させて飯食ってるほうがよほど社会に貢献していると言える。ただみんな現実的にはお金が必要なので働いていたりするだけだ。自分は社会の役に立っているなんてたいがいがおこがましい勘違いだ。

それでも遊びをマネタイズするには資本か努力か才能が必要だったりするが基本的に仕事は遊びであり遊びに必要はない。

 

仕事に意味はないと書いたが、それでも仕事には甚大な努力が必要になることは時に事実ではある。それは単に競争であり消費の奪い合いであったりマネーゲームであったりするだけで基本的に、根源的にたいした意味はない。仕事なんか別にやったってやらなくなっていい。金で自尊心が埋まるなら金をかき集めればいいし漫画を書くことが楽しいなら漫画を描けばいい。大半の仕事はただの遊びだ。そんなものに関してべき論を語るのは間違っている。個人の人生は誰に脅かしうるものではない。

 

寿司職人は最高の遊び

寿司を握れるようになることに根源的な意味などないが、寿司をどれだけうまく握れるかということは最上級のコミュニケーション能力である。回らない寿司はたいがいうまい。人に喜んでもらうこと。それが社会を豊かにすることは間違いない。

だから仕事ではなくここでは寿司職人の方に最高の敬意を表して寿司を握ることを遊びと呼ぶことにする。そして遊びはどう遊ぶかよりも「誰と遊ぶか」ということのほうが重要だ。

寿司職人も自慢の目利きで選別した魚の照りよりも爛爛と輝く白米よりも「お客様の笑顔がなにより嬉しいです」と言う。だからどう働くかということよりも、新卒での大企業の内定よりも誰と関わっていきていくかということを考えたほうが良い。

寿司職人も厨房で一人、暗い部屋のステンレスのキッチンの上で最高の寿司ができたとしても一人だったらきっとクソ不味いに違いない。

 

結論:就職活動で自殺するかもしれない増田へ

だから就職活動で失敗して絶望することなんてないよ。仕事は遊びだ。

逆上がりができないで死ぬなんて馬鹿馬鹿しいことないでしょ。

anond.hatelabo.jp

 

テラフォーマーズの成功はプロレタリアート文学としての成功だと思うの

週刊ヤングジャンプで連載しているテラフォーマーズ。僕は毎週読んでいるので連載当初からのファンだ。

 

映画化され最近はパチンコにもなるテラフォーマーズがなぜここまで人気が出たのかといえば設定のインパクトがでかかったのだろう。

まずゴキブリが人間大になった時に持つ容姿のインパクトが初めて見た時には衝撃的だった。生理的嫌悪感に訴えてくるのでどんなホラーよりも存在として恐ろしい。さらにいきなりゴキブリに愛する女性が殺されるというのも考えられるなかでも最悪の悲劇だ。

そんなゴキブリの脅威さが強調されていた一章が終わるとすこし様相が変わってくる。変わってくるというよりもゴキブリの脅威はそのままに文学的要素が追加されたと言ったほうがいいかもしれない。

 

 

二章に入ると個人の人生に視点をあてた描写が多々見受けられるようになる。それも主に悲劇として。いや労働者階級の困難さといえばプロレタリアート文学のそれだと勝手に思っている。

 

登場人物それぞれ見ていこう

 

運命に翻弄される班員達

・小町小吉(アネックス艦長、マーズランキング3位)

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まず艦長の小吉が幼いころに殺人をしている。幼馴染のアキちゃんに暴行を加えようとした親を空手で殴り殺してしまう。そして前科持ちのためまともに生きていくことは難しくなり成功率30%のバグズ手術をうけ火星に飛ばされる。さらに一度は救ったアキちゃんが火星でゴキブリに突然殺されてしまうというまさに悲劇を体現したような男だ。

それでも悲劇に絶対に屈しない。そして誰よりも人を思う艦長の象徴的なセリフがミッシェルやあかりのことを思いながら言った言葉で

「おまえ達は美しく生きられる」

理想の上司

 

・アドルフ・ラインハルト(ドイツオフィサー マーズランキング2位)

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個人的に好きなキャラクター1位のアドルフさん。両親が手術の失敗で死亡しアドルフは成功。以来アドルフは幼いころから人体実験を繰り返し、いつしか人間的な感情も忘れてしまうがある女性に出会ったことで自らを取り戻していく。

しかしその女性との間に生まれた息子が持っているはずのM・O(遺伝子)を持っていなかったことで妻の浮気が発覚。自分を人間にしてくれた女性の裏切りにとてつもない憤りを感じるアドルフ。

それでも火星にオフィサーとして行くことになる。しかしゴキブリの急襲に遭い班員全てを失うことになり自らも死んでしまう時になると心臓に埋め込まれた爆弾によってゴキブリを道連れに自爆。

出生、人体実験、女性とあらゆる運命に翻弄されつづける男がそれでも最後まで班員達を守ろうとする。誰よりも優しい人間

「人間はな、弱いんだよ」という言葉は諦めの言葉ではない

 

 

・鬼塚慶次(マーズランキング8位)

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元ボクシングフェザー級世界一位。しかしその戦績とは裏腹に慶次はアウトサイドのボクシングスタイルで業界で目立つ存在ではなかった。母子家庭で育った慶次は母を楽にさせるために、強くなるためにボクシングをしていたがその母が亡くなってしまう。

さらに網膜剥離によりボクサー生命が絶たれてしまう。母が亡くなり戦う理由を無くしてしまった慶次だが本土から母の眠る島を見たいと手術をうけ班員となる。

誰よりも男らしい。感情的になるよりもストイックに矜持を持ち続けるその姿は男としては理想的な人物像。

 

・ウォルフ・レッドフィールド(マーズランキング90位)

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非戦闘員の技術班員のウォルフ。プログラマーとして働いていたが過労で倒れるまで働かされていた元サラリーマン。結婚式の前日にも納期に間に合わないからと仕事をしていて結婚式では疲れで一度も笑わなかった。後に離婚。そこまでして働いた仕事も退職。残ったものは何もなかった。

最も身近に起きうる悲劇を持つウォルフには同情する人も多いのではないだろうか。その推理能力と任務遂行能力は特筆すべきものがある。ちゃんとした職場で働けていれば・・・

 

他にもミッシェルやイワンにあかりなどなどもそれぞれ悲しい過去を持っているのだが興味のある方はアニメ、漫画、映画のほうで楽しんでください。

 

 

テラフォーマーズプロレタリアート文学の類似点

それぞれのキャラクターはみなそれぞれの悲しい過去を持っていてどうしようもない理由で火星に来た人ばかり。

資本に振り回される労働者という枠で考えればプロレタリアート文学に似ている。アメリカの独立戦争なども近いかもしれない。

運命に振り回され歯車の一部として生きていくがそれでも現状を呪わずに自由を求め続ける。

 

プロレタリアート文学で代表的なもののひとつが数年前に流行った『蟹工船』だがテラフォーマーズに構成が似ている。

おい地獄さ行(え)ぐんだで!

蟹工船とは、戦前にオホーツク海カムチャツカ半島沖海域で行われた北洋漁業で使用される、漁獲物の加工設備を備えた大型船である。搭載した小型船でたらば蟹を漁獲し、ただちに母船で蟹を缶詰に加工する。その母船の一隻である「博光丸」が本作の舞台である。

蟹工船は「工船」であって「航船」ではない。だから航海法は適用されず、危険な老朽船が改造して投入された[2]。また工場でもないので、労働法規も適用されなかった [3]。 そのため蟹工船は法規の真空部分であり、海上の閉鎖空間である船内では、東北一円の貧困層から募集した出稼ぎ労働者に対する資本側の非人道的酷使がまかり通っていた。また北洋漁業振興の国策から、政府も資本側と結託して事態を黙認する姿勢であった。

情け知らずの監督である浅川は労働者たちを人間扱いせず、彼らは劣悪で過酷な労働環境の中、暴力・虐待・過労や病気で次々と倒れてゆく。転覆した蟹工船をロシア人が救出したことがきっかけで異国の人も同じ人間と感じ、中国人の通訳も通じ、「プロレタリアートこそ最も尊い存在」と知らされるが、船長がそれを「赤化」とみなす。学生の一人は現場の環境に比べれば、ドストエフスキーの「死の家の記録」の流刑場はましなほうという。当初は無自覚だった労働者たちはやがて権利意識に覚醒し、指導者のもとストライキ闘争に踏み切る。会社側は海軍に無線で鎮圧を要請し、接舷してきた駆逐艦から乗り込んできた水兵にスト指導者たちは逮捕され、最初のストライキは失敗に終わった。労働者たちは作戦を練り直し、再度のストライキに踏み切る。

蟹工船 - Wikipedia

 

船ということがそもそも似ているし労働者のどうしようもない悲哀という側面も似ている。話の内容自体は任務を遂行しようと勤めるテラフォーマーズストライキで対抗しようとする蟹工船は違う。しかしそのなんとか現状を打破して自由な生活を獲得しようとするベクトルは同じでそれはアメリカの独立戦争だったりいろんな物語で主題となって現れてくる。

だからテラフォーマーズを読んでいると漫画というよりも文学を読んでいるような気になってくるのだ。一時の享楽を得るエンターテインメントというよりも社会的な側面が強いし現実に立ち向かう姿勢のようなものを学ぶことができる。友情・努力・勝利というお題目ではなくもっと具体的な感情の響きに近い。

 

だからテラフォーマーズは面白い。それはプロレタリアート文学としての面白さだと思うの。

ニュースって無駄だよね

政治経済の話とか小学生を置き去りにしたとか芸能人が熱愛したとか動物愛護がどうしたとかカバンに5000万入るのかとか

 

そういうニュースを見て自分のメリットになったことってひとつとしてないんだよね。政治家とか評論家とか学者とかはそういったニュースにたいしてアウトプットすることで飯食ってるからいいけどニュースを完全に受動的に受け取った場合は思考リソースの無駄づかいなんじゃないかと、たまに思ったりする。

いや、僕はいろんなコンテンツの中でもニュースは面白いとは思うし時代にコミットするっていうのはとても重要なことなんだとは思うんだけど

 

それにしてもニュースって無駄だよね

 

自分に関係してくるニュースっていうとおそらく近所で殺人犯が逃げているとか選挙のときの政党のマニフェストとかになってくるけどそれにしたって

無差別殺人犯やぺドフィリアならともかく愛憎の関係で犯した罪人なら自分にたいする危険人物とは認定できないし、選挙も1票なんか何千万という母数を考えればほぼ全く意味ないしね

女の子に超くだらないメールを送るほうがよっぽど真面目な話に思えてくる

 

だからニュースって無駄だよね

 

芸能人がどうしたってニュースも一般人にとっては話題のタネ以外の意味がないしね。綺麗なお姉さんの熱愛や不倫にはちょっと興奮するけどそれにしたって無意味に感情を揺さぶられて思考するのに酸素も消費するしね。思考はタダじゃないんだよ。て嘘食いに書いてあった。

 

つまりニュースって無駄だよね

 

政治経済に明るくなってプライマリーバランスとかトリクルダウンとかなんかそのへんの理論に詳しくなってもテレビで池上彰さんが教えてくれるレベルの話はそこらへんの体系的に勉強している学部生ですら知ってるような話だからね。それをアウトプットできて現実にひきつけることができればいいけど実際に文学とか経済学のブログなんかほぼほぼ読まれないからね。きちんと勉強しようとすれば甚大な努力を要するわりに価値がない。サブカルに軸足を置いたほうがむしろ真面目な生き方のようにも思えてくる。

 

もうそろそろニュースって無駄だよね

 

これは評論家にも通じる話で議論は無駄だってたまに聞くね。議論で議題を無駄にこねくりまわせばこねくりまわすほどに足がでなくなる。議論を容赦なくつめていくというと哲学になるけどある哲学者は「生まれてこないことが最善」なんて言ってる。つまりどっかで思考をストップしててきとうになることが人間には必要なんだろうね。議論自体はエンタメとしてはとても面白いんだけどあるレベルを超えるとはっきりいって無駄だよね。

 

その種になるニュースも無駄だよね

 

 

というのは全部嘘で実際には震災のニュースでみんなが募金したりボランティアに行ったりする。芸人のREINAさんはアメリカの9.11を見てテロリズムを知ろうとハーバードに進学したと言っていた。女性の人権のためにNPOをたちあげる人達。大阪の腐敗に奮起した橋本徹さん。中東に取材に行くジャーナリスト。

なんだ、ニュースって全然無駄じゃない。