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夢とインターネットが生んだ過疎化という絶望~NHKスペシャル「縮小するニッポン」を見て~

縮小するニッポンを見た。地方の過疎化、人口減少なんかわかってはいたけれども改めて映像で見ると絶望感がすごい。夕張市の職員が町内会長の家を訪問して言葉を詰まらせる場面なんかは本当に絶望を表していてすこし泣きそうになった。

news.mynavi.jp

キャピタリズム(都市集約)の弊害がいよいよ顕在化してきたということなのか、なぜこんなことになっていったのか原因を列挙して考えてみます

 

 

インターネットの普及・情報化が生んだ過疎化

番組を見て個人的に印象深かったのが過疎化する夕張市の中学生の進路に関するアンケートでした。地元の高校に進学する割合が以前は80%だったのが現在は33.6%になっているという結果。

市の担当者は公的サービスの減少などを原因としてあげていました。もちろんそれも大きな原因ではあると思いますが地方の過疎化というのは何も夕張市だけではなく全国的に起こっていてその最大の原因がインターネットにあるんじゃないかと考えています。情報にアクセスできる難易度がここ数年で極端に下がったので自分がいかに不幸な境遇か地元の環境がいかに不遇かというのがインターネットを代表とする情報化によって顕在化してしまったのでしょう。

これには個人的な話があり蛇足なので改行まで読み飛ばしてもいいのですが以前、高島ちさこさんが子供のゲーム機を破壊したというニュースを見てインターネット上で毒親だと批判が相次ぐということがありました。あのネット上の反応を見た時に僕が思い出したのが僕も小さいころに父にゲーム機を捨てられていたということだった。それも複数回、しかも長時間遊んでいるということではなく片付けなかったというだけの理由で庭に捨てられていました。しかし僕は高島ちさこさんのニュースを見るまで父のことを毒親だと思ったことなどありませんでした。今でも思っていないですが問題はそれぞれの生活における歪んだ、しかし知るまでそれとは気づかない事情がインターネットによって顕在化すると自分の境遇を呪う人も出てくるだろうなと思ったことです。例えば東京と地方のように・・・

 情報化によってありとあらゆる生活の実態が公になったことで自分と他者とを比べる機会が格段に増えた。そうなると地方の生活がいかに息苦しいか、仕事がないか。そして東京はいかに仕事があって遊ぶ場所もたくさんあって綺麗な女性もかっこいい男性もいてと地方で生まれた若者が知るようになったことが過疎化に繋がっている一因にはなっているのではないのかと番組を見ていて思いました。

 

 

日本における社会的成功・夢への圧力

社会的に成功するのを多くの人が目指す。一口にいっても有名人になる、大企業の部長になる、スポーツ選手になる、プロ野球選手になる、研究者になるなどなどあるがこれが若者の言論を「圧殺」しているんじゃないかと思っています。無職が語ることに意味はないなどと平気な顔をして言う人がいたりするがそうして夢や社会的に成功することが偉いという階級主義が弱者の声を押し殺す。そういう空気がどこかあるんじゃないかと感じることがあります。

20代30代の年収の統計などを見ると明らかに苦しいはずであるのに声をあげず息を殺して黙って働いているのはなぜかといえばこのファッキンドリーミーな空気が作る敗北感によるものなんじゃないかと思うのです。つまり自分には声を荒げる権利などないという諦めによって声が届かず政治にも影響を及ぼさない。そういう事態がさらに若者の現実を圧迫していってしまって気づいた時には手遅れになってしまう。感情を殺したり自立したりね、そういうことが大人の像としてあるけど苦しかったら泣いて嗚咽するほど絶叫すればいいんですよね。ポジティブに生きたほうがいいなんてゴミ同然の自己啓発本には書いてありますけどネガティブこそが汲み取られるべき人間の本性だと僕は思っています。

 

 

 

東日本大震災で証明された日本の残虐性

東日本大震災の復興予算は35兆円で義捐金総額は5000億円。そして日本人の個人金融資産は1400兆円で770兆円が預貯金、そしてその半分を60歳以上が保有しています。

復興に予算を企てることは当然なのですが実際に復興後に仙台などに行ってみると驚くぐらい綺麗な景観の街並みがあり悲惨な状況をイメージしていくと少々面食らうほどの復興ぶりでした。またなかには義捐金や国の復興予算で豪邸を建てて暮らしている人がいるなどのニュースも流れていたりします。それはそれとして5年たった今でもまだ復興できていない地域などはあるので311は悲劇そのものであることは事実なのですが

東日本大震災が浮き彫りにしたことは日本には悲劇に見舞われた人間を救うだけの善意もあるし(個人金融資産の統計からわかるように)予算もあるということでした。突発的にすべてが津波に飲まれてしまった人達が悲劇なのは当然ですし比較する話ではないですがこの国には愛する人がいるのに結婚できない若者であったり低賃金ブラックバイトで半永久的な地獄に棲んでいる人がかなりいる。それは個人的な見方をすれば復興という明確な出口が見える震災という悲劇よりもむごい絶望というものでしょう。

過疎化も同じ。毎日を耐えに耐え一見すると安定しているように見えてその実、苦しんでいる人達がいる。

番組内で水漏れがする市営住宅に住んでいる老人が映し出されていた。年をとり階段を上るのさえ苦労する老人の部屋。子供も出て行き消え行く町で何を想うのかを考えると個人主義、自立、夢、ポジティブ、成功というものはなんて残酷な言葉なんだろうと、僕はそう想うしかなかった。

 

ベーシックインカムのメリットを全て列挙してみる

前回の続きです。オピニオンではありません。メモですよ。

plagmaticjam.hatenablog.com

ベーシックインカムに関してはデメリット、財源の問題などもありますが(むしろそちらのほうが語るべきですが)とりあえずベーシックインカムが施行されるとどんなメリットがあるのか考えられる限り全て書いていきます。

労働環境の劇的な改善

日本の労働問題としてブラック企業サービス残業、非正規、派遣など様々ありますがそれらは全てお金のため、生活のために行われていることがほとんどで自己実現やキャリアのためということは滅多にない。

お金のためにやりたくもなくて(前回の記事で書いたが)社会的にも無意味な仕事に従事している人がいなくなります。ベーシックインカムが実現すれば生活のために働くというインセンティブはなくなるので生活を人質にとり労働の価値ダンピングしているブラック企業は労働者を確保できなくなるので潰れるかホワイト化するしかなくなります。

派遣や非正規労働に関しても現状は安い給料で長時間働いているのでキャリアや技術を獲得する時間や余裕がないことが問題となっています。毎日の労働で疲弊して年齢を重ねてしまう事態が解消します。ベーシックインカムがあれば最低限の生活に困ることはなくなるので全ての時間を自己投資できるようになります。

 

恋愛市場の健全化

学生時代の恋愛と大人になってからの恋愛とで最も大きな差となっているのが現状、お金です。お金のない大人は恋愛に関してはけっこうな枷を背負っていると言って良いかもしれません。しかし学生時代にお金の多寡で男子に寄っていった女子は自分の周りでもそんなに多くはありませんでした。

ベーシックインカムが実現すれば生活は保障されているので現状のお金や社会的地位の如何によって恋愛できなくなるという事態が解消します。そしてお金の価値が薄くなるので打算的な恋愛は少なくなって学生時代のように人として好きであったり感情で恋愛するようになります。

また現在は労働環境の格差によって恋愛にコミットできる余裕のある層とない層がいるので上記の労働環境の改善によって恋愛市場が健全化します。

 

少子高齢化に歯止め

前述の恋愛する人が増えることによって結婚も増えて少子化にも歯止めがかかるようになる可能性があります。また世帯で生活したほうがあらゆる生活費が安くなるのでベーシックインカムで生活しようと考えた時にパートナーを探そうというインセンティブも働きます。そして子供にも同額支給されるので出産の金銭的なリスクがむしろメリットになります。

 

起業する人の増加

日本は特に起業する人が少ないですがそれは日本のキャリアパスに問題があって現状は起業しても倒産すればまた0から就職活動をしなければならずキャリアから降りた人間が就職できる企業はけっこう限られていたりします。終身雇用は全容としてはもう崩壊しかけていますが大企業の採用面ではまだ会社に尽くすということを言う人がいたりしますので現実的にキャリアを降りるのはリスクが高いです。それは学歴や経歴が高ければ高いほどリスクが高い。

しかしベーシックインカムが実現すれば食うに困ることはなくなるので起業しても再就職のリスクや会社を潰してしまった時にかかるリスクは少なくなります。

 

政治に参加する人の増加

現在は政治に参加することはけっこうハードルが高く地元の名士であったり族議員などの選挙の地盤を持つ人が当選しやすくなっています。しかしベーシックインカムが実現すればたとえば仕事をしないで4年間かけて地元の人との人脈をつくり戦うことだって可能になります。また選挙に立候補した時には職についていてはいけないというリスクもベーシックインカムが埋めてくれます。こうなれば現在の議員と一般人とのハードルがなくなり先天性の選挙ではなく人を選ぶ選挙になり結果として政治が良くなり国がよくなります。

 

犯罪の減少

無敵の人による犯罪は承認による側面も大きいので一概には言えませんが金銭面の困窮によって強盗などをする人が減ります。

また詐欺集団は社会的信用をなくしてしまった人達がやむを得ずやっていることもあるのでベーシックインカムが実現すれば捕まるリスクをとってまで詐欺を働く人達がかなり減ります。

 

地域活性化ゲマインシャフト(地縁・血縁によるコミュニティー)の復活

現在は個人主義社会で田舎を離れて一人暮らしをしていたり収入面の判断から都市部で暮らしている人が一定数いますが、そういった収入面で東京を選んであくせく働く人が減ります。労働環境の条件によって仕方なく人が集まっている東京の一極集中はなくなる可能性が高く家族のもとや暮らしやすい地域に移住する人が増えると考えられます。

物価の側面から見ても地方のほうが名目の物価は安いので都市部も地方も同額支給のベーシックインカムになれば地方に移住することがメリットとなります。

またベーシックインカムが導入されれば労働にコミットする必要性がなくなるのでビジネス上の取引ではなく主従のあるサービス関係でもない友人や家族のような関係の人対人の健全なコミュニケーションが勃興します。地縁の復活です。

 

公務員の減少

先日の透析患者の件でもそうですが社会保障制度が完全に消えることは消えたら即死んでしまう方々がいるのでありえないですが生活保護などの相談員などの 公務員は必要なくなりますしブラック企業問題が消えることで厚生労働省の職員なども削減できると考えられます。

 

 

 

個人的メモの意味もあるので随時追記していきます

 

とりあえずメリットだけです。調べてみるとやはりというかデメリットのほうが多いです。記事は終わりです。以下個人的に読みたい本

 

ベーシック・インカムの哲学―すべての人にリアルな自由を

ベーシック・インカムの哲学―すべての人にリアルな自由を

 
自由と保障―ベーシック・インカム論争

自由と保障―ベーシック・インカム論争

 
働かざるもの、飢えるべからず。

働かざるもの、飢えるべからず。

 

 

長谷川豊氏はそもそも本音で議論したら社会は壊れるという大前提を忘れてるんじゃないだろうか

またはてなのトップページにあがってきた長谷川氏の本気論本音論というブログタイトルを眺めていた。なんだか異様なそのブログタイトルこそが長谷川氏の思考に絡む藁なんではないかと思った。

 

本音と聞くと裏表のない人間のようなポジティブな印象を持つことがあるが基本的に人間の本音・個人的な欲望は他人から見たらおぞましいものに見えることのほうが多いものです。今回の長谷川氏の自堕落透析患者抹殺論もそう。だから「本音論」というタイトルのくくりで見れば長谷川氏のエントリーも本音であるという一点に関して言えば評価できるところではあると考えられます。エントリーの内容とは完全に別な視点ではありますが・・・

長谷川氏の今回炎上している件についても彼なりの資本分配論なのだろうがそういった社会正義のように見える本音はたいていが個人の生存者バイアスであったり高慢さ、自律力、プライドなど個人の勝手な判断基準を用いて語っているに過ぎません。それは個人の主観としてはまぎれもない本音であって長谷川氏個人の人生経験から得た福祉のありかたなのでしょう。しかし個人の能力、欲望、感情、理性、自律能力、ジレンマ、人間関係などは社会全体においては多種多様であってそもそも一個人がどれだけ汗を流してもそこから得た知見だけで社会制度を語ったらダメなのです。

本音で議論したら社会が壊れるというのはそういう意味。だから客観性、社会的受容性の伴わない「本音論」というのがエントリーの内容以前に問題としてあるのではないでしょうか。

 

id:fujiponさんが「そんなに人間は完璧には生きられないよ」と仰っていましたがまさにそのとおりで人間の能力はほとんどが後天的な運とか獲得した能力や人との関係の中で生まれてくるもの。努力ができるかどうかさえも遺伝子によって決まっているという説さえあります。だから人間の能力の多寡を判断基準に議論することがそもそもナンセンス。それでも社会にはキャパシティーがあって現実的に限られたリソースでどれだけの人を救えるのかを考えなければいけないのは長谷川氏の仰るとおり。しかしそれは白黒つけて生きるべき死ぬべきということであってはならないのです。

生存権憲法に明確に記されているので死ぬべきか生きるべきかという二者択一は日本では禁じられています。仮に長谷川氏のエントリーが憲法に切り込んでいるのだとしたら一個人がブログに掲載する内容としては無謀だとしか言いようがありませんが・・・

どれだけの堕落者であっても死刑囚以外、全員があまねく生きる権利を侵されてはならない。それが社会が穏やかに回っていくための最も根幹にあるこの国の絶対律。仮に長谷川氏の言うことが国会で可決されたら医者を脅してでも銀行に強盗にはいってでも透析を受ける患者が出てくることになってしまうのは容易に想像できます。 

本音を言えば長谷川氏の言う透析患者ではなくても、殺すなんて明確な殺意ではなくても死んでほしい人間なんてそりゃ人生生きてたらだいたい遭遇することになりますよ。長谷川氏のように自分にまったく直接的な害がない人を死んでほしいなんて思ったことは一度もないですが、直接的な被害にあった場合には人は時に簡単に安直な二者択一の「こいつは死んでほしい」なんてことを考えてしまうこともあります。その時に殺すか殺さないか殺せと言うか殺すなと言うかに人間が人間たる条件があって感情的な物言いで殺せなんて言うことは誰にでも可能です。同情とかめちゃくちゃな論理(例えば能力の多寡とか)によって殺すに値するなんて言い回しも書こうと思えば書けるけどそれでも書かないし言わないのが理性なんですよね。殺せとか死ねと簡単に言ってしまうのは理性のない弱い人間のすることです。それはちょうど長谷川氏の論法で書かれている能力のない弱い透析患者のそれのようにです。能力の多寡で生き死にを論じることそのものが理知の弱さを露呈することになってしまっているのです。

 

だから人間の本音は仲間内で管を巻くぶんにはかまわないが社会に組み込まれてはいけない。個人の本音はけっこうな確率でいびつでゆがんでいて社会性のかけらすらないことがほとんどなのです。人間はその能力以上に知力や理性を鍛えることのほうがはるかに難しいものです・・・僕の短い人生という経験上はいまのところそういうことになっています。

 

僕のブログよりも理知的なエントリーを書いてらっしゃる方々がいますので最後になりますが紹介させていただきます

watto.hatenablog.com

fujipon.hatenablog.com

nenesan0102.hatenablog.com