メロンダウト

メロンについて考えるよ

ファッキンワールドワイドウェブオーソリティー

いいねもいらない。スターもいらない。ネットでの互助関係もいらない。だからと言って失言一発でひっくり返るような浅薄で奇妙な矜持なんかもっといらない。ネット玄人の定型化された価値観に染まった人なんか最大級の悲劇でしょ。ネットリテラシーとか馬鹿なんじゃないかと思うときある。顔も見えない他人になにゆえ気を散らさなければいけないのかわからない。はてブのトップページにあがってくるニュースとか話題は見たら反射でコメントしちゃうけど見返すと99%どうでもいいことしか書いてない。鼻くそがたまったからほじくりかえしてるぐらいの意味しかないし誰のためになってんの?はてなブックマークって。いや、本当に。はてなだるい。ブログもだるい。今日はそんな気分だから悪心が働いているだけなのかもだけど本音ではマ・ジ・でインターネットのサービスってぜんぶまとめて無意味だと思っているよ俺は。市場循環の価値で言えば資本主義の権化みたいなもので基本的に需要をゆがめて価値を流すサービスしか栄えないわけだよね。インフレとか経済成長がいいとかいうわけだけど現実に起きている成長戦略のクールジャパンとか代替可能商品の需要奪い合いのようなものでしかなくてマネーサプライが偏在して供給者が資産を牛耳るようになれば一次産業の物価が上がって庶民の生活に打撃がいくわけだよ。ヤフーが週休3日休んでいる間に、ヤフオクでせどらーが社会的に全く意味のない注文を出して佐川急便のドライバーが荷物にやつあたりするみたいな状況が起きたりする。取引を複数経由することでGDPはあがるけどGDPを増やすためだけの仕事でしかない。せどりをする人も佐川のドライバーも両者とも家で寝てたほうがましなのにヤフオクという機械が需要をゆがめるシステムになっていて手数料だけを自動的に吸い上げる。だからヤフーは週休3日になる。いっぽうでヤフーのシステムは誰かを週6の現実的労働に駆り立てる。

インターネット産業なんか全部まとめて通信インフラの副産物でしかないわけで社会的にも経済的にも害だらけでしょ。アマゾンやセブンのせいで個人の小売店は絶滅したし食べろぐのせいでタバコくさい中華料理屋なんかも消えた。ああいうやすっぽいまずい飯屋が好きだったのに・・・

ウェブメディアもプラットフォームかリライトまとめキュレーションしか金にはならないわけだしコンテンツなんかもう追えば追うだけ金も身体性もなくしていく。絶望しかない。ネットでビジネスしようとしたらコンテンツをまとめるかプラットフォームを提供するかしかない。現実的に。新聞もメディアもはてブもXvide0もネット上で利用しているサービスは思い返せばすべてコンテンツをメインの事業としたものではないから本質的にパチンコ屋と同じ。客が勝手にやってきて無給で機械をまわしてくれる。はてなのアカウントを開設するのもパチンコのハンドルを握るのもたいして違いがあるとは思えない。2ちゃんねるに勝手にやってきてまったく無意味な書き込みを行いそれをまとめサイトが機械的にまとめてさらにどっかのメディアがさらに機械的にニュースにしネット玄人が批判する、とか全部まとめて消え去ったほうがいいよ。はてブだけじゃなくニュースピックスでもスマートニュースでもトップにあがってくる記事は90%は無駄で10パーセントがエンタメで「大切」なものはなにひとつとしてないから見る必要はない。そもそもネットでよく見る承認欲求ってなんなんだよ。承認されたところでCDを何百枚も買ってるようなレベルの承認で吹けば飛ぶようなものでアイドルの偶像以下だろ。そんなもんなんの意味があるの?気の合う仲間としか付き合いたくないわけだよ基本的に。他意を全面に押し出してしゃべるやつとか俗情に支配されたような無謬の漂白人間とかとは付き合いたくないわけ。まして気のあわない人間、しかもそれがネット上なんてありとあらゆるレベルで無駄でしかない。多様性とかくそくらえであって必要におうじて発揮はするけどどうでもいいと思ってるんだよ。民主主義だから多様性は大切(キリッとか言い出すんだろうけど民主主義はシステムであってルソーは投票行動における議論の正当性を言ってはいないんだよ。議論すれば美人投票にしかならないんだから個々人が超私的欲望に基づいて投票するのが民主主義のもともとの理念なわけだよ。どんなに極端な思想でもそれが世界と接続しないかぎりは政治上では問題にはならない。それをネットで炎上させるから別のポリティカルコンプロマイズ可能な思考に流れるしかなくなって多数派になる。そのいびつさが結果として実際の政治に反映されることになる。トランプだってカウンターカルチャーであって多様性とか気持ち悪いことを言いすぎたからあんなのが出てきたんでしょ。議論がふかまったろうじゃないけど政治について考えることはよいことと大人はみんないう。しかし政治や社会についてなんて考えるべきではない。あの候補者は顔が気持ち悪いからだめみたいな幼稚な投票行動は実際の結果として問題にならないのでおkだが市場流通性の高いリベラルとか新自由主義とかは結果になる。その中途半端な浅さこそが問題となって噴出していく。それを拡散するプラットフォームも無駄。そこで目に見える形でカウントされるいいねもはてなスターもまとめて無駄。金輪際無視したほうがいい。超私的欲望に従う決定主義だけが政治的にも感情的にも理性的にも人を人にする。今日はそんな気分。

最も多く日本人を殺せる職業は何かを考えていたらパチンコ屋で働くことは売人と同じぐらい罪深いことがわかった

サイコパスみたいなタイトルになってしまったけどまあいいか・・・最近はてなで話題になった増田と言及したブログ
 
人を殺せる職業の話題が出ててかなり興味深くブコメ欄、言及しているブログなどを見ていた。
身体的な死の話についてはその致命性から反医療主義に僕も一票を入れたいのだが精神的な側面も加味して考えるとまた別の答えがありそう。
そもそもの命題として人間を殺す定義とはなんであるかと考えた時に肉体的な死だけではなく無期懲役のように自由や尊厳を奪いさるような精神的な死も考えるべきであると思う。漫画ワンピースで死に関する非常に有名なセリフがある。
「人はいつ死ぬと思う?心臓を銃弾で撃ち抜かれた時・・・違う。猛毒のキノコスープを飲んだ時・・・違う。人に、忘れられた時さ。」

身体的な分類

ドクターヒルルクに敬意を表し、このセリフで定義されているような精神の死について考える。肉体的な死に関しては直接的と間接的、さらに間接的な中でも不特定多数に向け拡散させるタイプ、と3つの分類ができた。
・死刑執行人のように直接な行為として行うもの(直接的)
・間接的に命令を下す法務大臣(間接的)
・医療に関する認識を曲げて総量として不特定多数の期待寿命を奪い去る反医療主義(間接拡散的)(関節総量的)
 

精神的分類

次に精神的な死の分類について考える。精神的な死というと肉体のように明確な線引きが難しい。直接的な精神汚染という行為そのものは肉体的な殺人よりも難しい。もちろん脳外科医が脳細胞を直接的に破壊し大脳を一部麻痺させて廃人にしたり、神経系の毒物によって思考回路に障害を与えるなども考えられる。しかしこれらは犯罪であって即逮捕である。継続的な方法とは言えないので身体の話で殺人犯が筆頭に上がらないように除外していい。
法律を逸脱してはいけない範囲、または法律を逸脱したとしても爆発的な被害が及ぶ方法を考えなければいけない。
廃人という言葉がキーワードになりそうである。かなりやばめっぽい話になりつつあるが大丈夫かこの話・・・
 
直接的な方法が筆頭にこないのは身体と同じであるので間接的か間接総量的な方法を考える。ここで難しいのが精神は肉体以上に個々人の耐久性が違うので定義することが難しい。極端なことを言えばヘロインを吸おうが死なない人間がいるし恋人に振られた程度で死んでしまう人間もいる。平均値を出さなければいけないのだが年齢や慣習、宗教、社会状況など精神的な耐久力は多岐にわたりすぎるので人の胆力を算出することは難しい。また肉体は死んだら終わりであるが精神は生き返ることができる。
そこでここでは望まない精神のベクトルを植え付けられた人、自由意志を侵食された人間が無駄にした時間を単位として考えてみる。ヘロインであれば精神病院に通院していた期間、いじめであればひきこもっていた期間、ギャンブル依存であればギャンブルしていた時間。とこれで定義は終了する。まとめるとこうだ
 
・脳外科医が大脳を破壊する(直接的)
・麻薬の売人(間接時間的)
・依存症産業(関節拡散時間的)
 
 

脳外科医の場合

直接的な方法で精神的に殺すと逮捕されるまでに奪えるのは数人の残された寿命である。仮に30歳の人を3人、故意の手術や類似する方法で殺したとすれば平均寿命から逆算して130年の時間を奪うことができる。

麻薬の売人の場合

麻薬の売人が逮捕されるまでに100人に麻薬を売り、うち90人が一時的ではない精神的な異常をきたし、まともな生活を回復するまでに10年プラス後遺症による被害を計算すると900年+αとなる。もちろん一人では売れないので組織的に10人ほどで行うと仮定すれば一人当たりが奪い去る時間はおよそ90年+αとなる。
 
ギャンブルやネット依存など合法的な形で不特定多数を扇動する産業。射幸心を煽られ、自由意志を侵食されて望まない形で時間を使う人を産業別に考える。
 

ネット依存の場合

まずはネット依存で総務省の統計を見てみる
 
依存人口はなかなか正確な数字が出てこないのだが2015年の時点で400万人なので400万人に犠牲にしている時間をかけるので平均使用時間を見る。依存症者に限定した利用時間がでてこない・・・あった。182分だが概算なので便宜上180分とする。さらにネット依存から回復するまでの平均年数がこれは統計がないので仮に5年とすると
4,000,000×180分×5年なのでえーと
 
7億2000万分は1200万時間(一日でネット依存者が無駄にしている時間)×365と・・・えー説明をはぶいてはしょると
 
えーと依存症患者全体では現存する日本人全体で250万年の時間を喪失してる。現在いるだけの数字であってまた依存症患者は新しく生まれていくのでこの数字は勢いとしての数字なのは留意しておきたい。
この数字に各プラットフォームやサービスでの依存患者の数をだして総数をアクセス数の割合で割る。さらに法人の従業員数で割れば一人当たりが殺している時間が計算できるが計算不能すぎるので正確な数値は不明である。
 

パチンコ依存の場合

次にギャンブル依存者に関してパチンコの統計を見てみる。
依存症ではない人間も含めた総計だとユーザーがパチンコを遊ぶ時間は週2回で平均遊戯時間は4.5時間。そして依存症患者は500万人。依存症患者に限ったものが出てこないので水増しして依存症は週3回の6時間とする。依存期間は5年と考え計算するとえーとこんな感じの計算で
 
267万年ですね。
依存ではないサービスも統計に含まれるインターネットと違いパチンコの場合には単純に従業員数で割ることが可能なので割ると従業員一人当たりが奪っている依存患者からの搾取時間を求めることができる。
経産省の統計http://www.nichiyukyo.or.jp/gyoukaiDB/s2.phpだと32890人なので割ると81年となり1年間パチンコ屋で働くと誰かの人生を16年間、奪っていることになり5年間働けば人を1人殺したと同義となる。店長ぐらいの役職になったり、依存症患者が入れ替わるほど長期間働けば81年を超えてくる。パチンコ屋で働くのはやめましょう。
 
えーとまとめると
従業員数の数で割ってもパチンコのほうがIT産業よりも従業員数は少ないので人間を精神的に殺せる合法的な職業はパチンコで、麻薬の売人と同じぐらい罪である。
 
で、ファイナルアンサー。
パチンコがなくなる日―警察、民族、犯罪、業界が抱える闇と未来 (主婦の友新書)

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ポストトゥルースの到来を予言したグリーンデイ~アメリカンイディオットとドナルド・トランプ~

90年代から現在に至るまでアメリカのティーンエイジャーに絶大な人気を誇るアメリカのパンクバンド 「グリーンデイ」
代表曲にminority,holiday,basketcaseなどがあるメガバンドである。彼らの歌はその曲の疾走感以上に歌詞のメッセージ性が素晴らしい。そんなグリーンデイがドナルド・トランプの当選を予言し反真実主義の時代を歌った曲がある。とりあえず聴いてほしい。余計なことを考えなくてもとりあえず良い歌。
  
 
アメリカの緊張感が高まっていることを歌っている。歌詞の中に出てくるREDNECKは色々な意味があるが一般に貧乏白人という意味で差別語や自虐語として使われる。好んで使用される言葉ではないのだがあえて使っているのはパンクバンドだからの一言で片づけられるものではないように思う。はてなブログの規約で歌詞を全文引用することができないのだが(はてなさんなんとかしてください)歌詞の中には体制批判の歌詞が連続して出てくる。 当時からアメリカの国内分断を感じているのが見て取れる歌詞である。この曲が出たのが2004年であるが1年前の2003年にアメリカはイラク戦争を始めた。9.11を発端にアメリカには対テロ戦争の空気が勃興していた。歌詞の中にも出てくるがメディアはみな戦争肯定のプロパガンダを放送していた。グリーンデイはそんな戦争肯定の空気に対して中指を突き立て明確に「ファック」と言い放った。その曲がアメリカンイディオットだった。僕はこの曲を聴いてアメリカ観が変わったのを覚えている。
まだ10代だった自分にとってアメリカのイメージはメディアのプロパガンダ通りのものであった。自由の国、多様性の国、世界のリーダーで憧れすらあった。しかし実態は馬鹿でかい格差があり、国民の3分の1しか国外に出たことがなく僕が知っていたアメリカは偶像であった。実態はプロパガンダに先導されジョンレノンが歌ったimagineの幻影すら忘れてしまう愚かな人もいる国。先導されやすい人々をポピュリズムの一言で片づけてしまうのはどうかと思うがしかしアメリカ人は少なくともそんなによく考える人達ではないのかもしれない。僕にとってAmerican idiotはそう考えるきっかけになった曲だった。
 
ドナルド・トランプが当選した今にも通じることで2016年にはトランプの強烈なアジテーション(感情に訴えかける手法)がアメリカ人を動かした。(客観的事実よりも感情や本能を優先する態度をポストトゥルースという。)トランプに先導されるようなアメリカ国民のことをAmerican idiot(馬鹿アメリカ人)とGreen dayは10年前にすでに歌っていた。
今になりポストトゥルースと言われているがイラク戦争の時にはすでにポストトゥルースだったのだろう。今に始まった話ではない。
 
この文章を書いているのは2017年1月19日であるが明日にはトランプ大統領が就任する。選挙に当選したのに支持率が40%という異常事態となっている。緊張感という言葉が非常にしっくりくる空気が渦巻いている。
Welcome to the new kind of tensionとアメリカンイディオットの歌詞にある。訳すと「新しい緊張の時代へようこそ」となる。トランプが大統領になる現在の状況はまさしく「緊張」の一言で形容できる。
 
緊張感がある。近現代において政治では変化という言葉は選挙中には非常にポジティブな意味で捉えられてきた。おそらく大統領選でトランプに期待したのもグローバリズムで奪われるアメリカの雇用情勢にたいする「変化」を期待してみな投票したのだと思う。赤城智紀の「31歳フリーター、希望は戦争」という論文が話題になったことがあるが経済的、社会的に困窮している人が望むのはそれがたとえ破滅的であったとしても変化そのものなのだ。
 
 
我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。それなのに社会は我々に何も救いの手を差し出さないどころか、GDPを押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か――。その可能性のひとつが、戦争である。
 識者たちは若者の右傾化を、「大いなるものと結びつきたい欲求」であり、現実逃避の表れであると結論づける。しかし、私たちが欲しているのは、そのような非現実的なものではない。私のような経済弱者は、窮状から脱し、社会的な地位を得て、家族を養い、一人前の人間としての尊厳を得られる可能性のある社会を求めているのだ。それはとても現実的な、そして人間として当然の欲求だろう。
 そのために、戦争という手段を用いなければならないのは、非常に残念なことではあるが、そうした手段を望まなければならないほどに、社会の格差は大きく、かつ揺るぎないものになっているのだ。
 戦争は悲惨だ。
 しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。
 もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。
 
かなり正鵠を射ている論文だと思う。当時まだ僕は学生で社会の階層観など血肉としては実態がわからなかった。素知らぬ顔をして生きていたので衝撃的だった。かなり話題になった記憶がある。この論文が教えてくれたことはおそらく変化のなんたるかであると思う。そして今この赤城智紀の言う意味での「変化」がアメリカで起きようとしているのかもしれない。トランプ氏はまだ実務的なことはなにも行っていないので推測にすぎない話ではある。
しかし近現代になって政治で使われてきたフルポジティブな意味での変化は死語となるだろう。ポリティカルコレクトネスや多様性に愛とか互助観で構成してきた近代社会とは違う「変化」をおそらくはどういう形であれトランプは起こすだろう。その緊張感に震えている。
変化の絶望性に気付く。いつも臆病だが民主主義においては最強の集団である無所属貧困層。まさにバッファローの群れに震え上がる時がきた。バッファローはバカであるとグリーンデイのように歌うことは簡単であるが明確に対立する生活の困窮は歌で補填できるものではない。
歌も救わない。エスタブリッシュ層も救わない。ヒラリーも救わない。トランプはぶっこわしたあとに結果として救う・・・かもしれない。可能性の話である。とにかく現在の情報で書いても推測にすぎずなにが起こるかわからない。ただこれだけは明確に言えると思う。
 新しい緊張の時代へ、ようこそ