メロンダウト

メロンについて考えるよ

世界も日本もどうなるんだろうね

ものすごい抽象的なタイトルで書いていくけれど、最近のニュースを見ているとナチスを想起することが多くなってきた。あまり簡単にナチスと結びつけるべきではないのだが、ナチスという形容を回避してきた結果としてなにかいろいろおかしくなってきている感じがしている。

 

ここ最近の報道で最も衝撃的だったのはイスラエルがガザの住民60万人を収容所に移送すると発表したことだった。ガザの惨状はすでにして近代史に残るものであるにもかかわらず、イスラエルはそこからさらに踏み込むことを決断した。こうなってくると反ユダヤ主義シオニズムといった理念的な解釈でイスラエルを捉えること自体が虚しくなる。具体的に見てやっていることがナチスと同じだからだ。そこにどんな理念が介在する余地があるというのだろうか。そんな虚しさだけを遠く日本にいながら只々感じるばかりだ。

日本においては参政党が終末期医療の全額自己負担や一次産業への回帰を主張しているという記事を読んだ時にもナチスのことを想起してしまった。安楽死と金融業へのヘイト。それがナチス・ドイツを産んだ要因であるからだ。悪名高いアウシュビッツガス室はもともとは安楽死施設だったことやユダヤ人を迫害していた理由が当時の金融業界をユダヤ人が牛耳っていたこと、参政党の主張を見るとそれらを思い起こしてしまう。

当時のドイツでは金融は虚業といったプロパガンダに踊らされた国民が素朴なナショナリズムによって急進的保守政党を支持し、ユダヤ人を効率良く虐殺できる施設がちょうどそこにあった。そして最悪の事態になった。もちろんヒトラーが最悪の為政者であったことが要因としては最も大きかったのだとは思うけれど、そもそも当時のドイツにはその「下地」があった。その下地の延長としてヒトラーが出てきた、という見方もやはり必要だろうと思う。

当時のドイツと日本の類似点は他にもあり、議会がねじれていることである。ヒトラーが政権を取る前のドイツはワイマール共和政をとっていて、議会がねじれていたため意志決定を行う場所として機能していなかった。そのため、行政はもっぱら大統領令によって決められていた。つまり議会の立法権を超えて行政権が独立して行使されていたのだが、それがヒトラーの独裁を許す全権委任法の土壌になっていた、と言われている。立法府が機能しなくても行政府は単独で機能させるという政治的怠慢。その甘さが文字通り致命的な誤りとなってしまった。

 

もちろん、参政党がナチスと同じなどと言いたいわけではない。リベラルやグローバリズムにたいするバックラッシュは世界中で起きていて、それは必然の反動と考えるほうが自然であるはずだ。なので喫緊でナチスの歴史を繰り返すことになるなんてことは思っていない。ただ、「良くない下地」は確実に準備されつつあるということだけは頭に入れておきたいというだけだ。

現在の日本も議会がねじれていて、素朴なナショナリズムが台頭してきている。さらに社会保障費の限界がくれば安楽死が採用され、そのための施設が建てられることは十分現実的なシナリオである。そうなった時、ナチスが生まれた時と同じ土壌が日本にも揃ってしまうことになる。その時、僕達の民主主義はどこまでその「正気」を保つことができるのだろうか。個人的にはよくわからない。僕達はナチスとは違い、理性的な現代人であると考えている。けれどそのように嘯いていたイスラエルが「あのざま」である。イスラエルと当時のドイツが辿った道を僕達が辿らないと言い切れる確証はない。当時のドイツやイスラエルよりも今の日本国民のほうが理性的で政治的素養を備えているのか、といえばよくわからない。ただひとつだけ確実なのは「そこ」へ向かう道は別の理由(物価高、少子化ナショナリズム)によって整備されつつあるということだけである。