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メロンダウト

メロンについて考えるよ

ポストトゥルースの到来を予言したグリーンデイ~アメリカンイディオットとドナルド・トランプ~

90年代から現在に至るまでアメリカのティーンエイジャーに絶大な人気を誇るアメリカのパンクバンド 「グリーンデイ」
代表曲にminority,holiday,basketcaseなどがあるメガバンドである。彼らの歌はその曲の疾走感以上に歌詞のメッセージ性が素晴らしい。そんなグリーンデイがドナルド・トランプの当選を予言し反真実主義の時代を歌った曲がある。とりあえず聴いてほしい。余計なことを考えなくてもとりあえず良い歌。
  
 
アメリカの緊張感が高まっていることを歌っている。歌詞の中に出てくるREDNECKは色々な意味があるが一般に貧乏白人という意味で差別語や自虐語として使われる。好んで使用される言葉ではないのだがあえて使っているのはパンクバンドだからの一言で片づけられるものではないように思う。はてなブログの規約で歌詞を全文引用することができないのだが(はてなさんなんとかしてください)歌詞の中には体制批判の歌詞が連続して出てくる。 当時からアメリカの国内分断を感じているのが見て取れる歌詞である。この曲が出たのが2004年であるが1年前の2003年にアメリカはイラク戦争を始めた。9.11を発端にアメリカには対テロ戦争の空気が勃興していた。歌詞の中にも出てくるがメディアはみな戦争肯定のプロパガンダを放送していた。グリーンデイはそんな戦争肯定の空気に対して中指を突き立て明確に「ファック」と言い放った。その曲がアメリカンイディオットだった。僕はこの曲を聴いてアメリカ観が変わったのを覚えている。
まだ10代だった自分にとってアメリカのイメージはメディアのプロパガンダ通りのものであった。自由の国、多様性の国、世界のリーダーで憧れすらあった。しかし実態は馬鹿でかい格差があり、国民の3分の1しか国外に出たことがなく僕が知っていたアメリカは偶像であった。実態はプロパガンダに先導されジョンレノンが歌ったimagineの幻影すら忘れてしまう愚かな人もいる国。先導されやすい人々をポピュリズムの一言で片づけてしまうのはどうかと思うがしかしアメリカ人は少なくともそんなによく考える人達ではないのかもしれない。僕にとってAmerican idiotはそう考えるきっかけになった曲だった。
 
ドナルド・トランプが当選した今にも通じることで2016年にはトランプの強烈なアジテーション(感情に訴えかける手法)がアメリカ人を動かした。(客観的事実よりも感情や本能を優先する態度をポストトゥルースという。)トランプに先導されるようなアメリカ国民のことをAmerican idiot(馬鹿アメリカ人)とGreen dayは10年前にすでに歌っていた。
今になりポストトゥルースと言われているがイラク戦争の時にはすでにポストトゥルースだったのだろう。今に始まった話ではない。
 
この文章を書いているのは2017年1月19日であるが明日にはトランプ大統領が就任する。選挙に当選したのに支持率が40%という異常事態となっている。緊張感という言葉が非常にしっくりくる空気が渦巻いている。
Welcome to the new kind of tensionとアメリカンイディオットの歌詞にある。訳すと「新しい緊張の時代へようこそ」となる。トランプが大統領になる現在の状況はまさしく「緊張」の一言で形容できる。
 
緊張感がある。近現代において政治では変化という言葉は選挙中には非常にポジティブな意味で捉えられてきた。おそらく大統領選でトランプに期待したのもグローバリズムで奪われるアメリカの雇用情勢にたいする「変化」を期待してみな投票したのだと思う。赤城智紀の「31歳フリーター、希望は戦争」という論文が話題になったことがあるが経済的、社会的に困窮している人が望むのはそれがたとえ破滅的であったとしても変化そのものなのだ。
 
 
我々が低賃金労働者として社会に放り出されてから、もう10年以上たった。それなのに社会は我々に何も救いの手を差し出さないどころか、GDPを押し下げるだの、やる気がないだのと、罵倒を続けている。平和が続けばこのような不平等が一生続くのだ。そうした閉塞状態を打破し、流動性を生み出してくれるかもしれない何か――。その可能性のひとつが、戦争である。
 識者たちは若者の右傾化を、「大いなるものと結びつきたい欲求」であり、現実逃避の表れであると結論づける。しかし、私たちが欲しているのは、そのような非現実的なものではない。私のような経済弱者は、窮状から脱し、社会的な地位を得て、家族を養い、一人前の人間としての尊厳を得られる可能性のある社会を求めているのだ。それはとても現実的な、そして人間として当然の欲求だろう。
 そのために、戦争という手段を用いなければならないのは、非常に残念なことではあるが、そうした手段を望まなければならないほどに、社会の格差は大きく、かつ揺るぎないものになっているのだ。
 戦争は悲惨だ。
 しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。
 もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。
 
かなり正鵠を射ている論文だと思う。当時まだ僕は学生で社会の階層観など血肉としては実態がわからなかった。素知らぬ顔をして生きていたので衝撃的だった。かなり話題になった記憶がある。この論文が教えてくれたことはおそらく変化のなんたるかであると思う。そして今この赤城智紀の言う意味での「変化」がアメリカで起きようとしているのかもしれない。トランプ氏はまだ実務的なことはなにも行っていないので推測にすぎない話ではある。
しかし近現代になって政治で使われてきたフルポジティブな意味での変化は死語となるだろう。ポリティカルコレクトネスや多様性に愛とか互助観で構成してきた近代社会とは違う「変化」をおそらくはどういう形であれトランプは起こすだろう。その緊張感に震えている。
変化の絶望性に気付く。いつも臆病だが民主主義においては最強の集団である無所属貧困層。まさにバッファローの群れに震え上がる時がきた。バッファローはバカであるとグリーンデイのように歌うことは簡単であるが明確に対立する生活の困窮は歌で補填できるものではない。
歌も救わない。エスタブリッシュ層も救わない。ヒラリーも救わない。トランプはぶっこわしたあとに結果として救う・・・かもしれない。可能性の話である。とにかく現在の情報で書いても推測にすぎずなにが起こるかわからない。ただこれだけは明確に言えると思う。
 新しい緊張の時代へ、ようこそ