メロンダウト

メロンについて考えるよ

インターネット上の正論には意味が「あまりない」絶望的な理由

僕はインターネットの力というのを正直いってあまり信じていない。信じていないというのは意味がないという話ではない。価値はあるしむしろインターネットが出てきたことで人類史上はじめて完全な民主主義が実現しようとしている感覚もある。

しかしインターネット上の正論には意味がないと思っている。それはもっと人間的な意味での意味のなさであって大仰な話になってしまうかもしれないがすこし書いていくことにする。

anond.hatelabo.jp

 

この記事を書こうと思ったのは上記のますだを読んだからなのではじめに紹介しておく。

僕もますだの考えに近くてブコメを書いて世の中がよくなるなんて微塵も思っていないしこうしてブログを書いて世の中がよくなるなんてことも思っていない。

 

上記のますだが持つブコメやインターネットで啓蒙活動している人たちに感じる違和感の正体っていうのはおそらくその正論をぶつけた相手の変化にたいして付き合えるか付き合えないかという問題だと思っている。

 

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正論に意味がないというのはそこで違う考えの相手にたいして正しい論理を持って説得するのはいいんだけど相手が信じてきたもの(それがたとえ間違った考えであったとしても)を根底からぶち壊すと相手は自分が間違っていたと感じるようになる。

そうすると正論をぶつけられた相手は辱められた自己に直面し、同時に悲しみや恥ずかしさを感じる。自分という人間の矮小さとか赤っ恥とかを恥じることになる。その時に正論を言った人がその劣情をひきうけるのかひきうけないのかというのがますだが感じている違和感の正体なんじゃないかと思っている。

例えばネトウヨは馬鹿だよ。論理というかもうありとあらゆる側面から言って馬鹿だと言っていいし彼ら彼女らを否定することはめちゃくちゃ簡単。

しかし彼らにも彼らの時間を使って集めた信仰みたいなものがあってそれは歪んだナショナリズムなんだけど、問題は反韓なりなんなりを否定するっていうのは同時に彼らの費やした時間も否定することになるんだよね。そうした時に論理だけで馬鹿と言えば彼らは無為に費やした時間を悔やみネガティブな感情を持たざるを得ない。

サンク・コスト効果とは

 正論を言うこともいいけど論理的に正しければ正しいほど逆の立場の人間の感情を刺激することになる。だから正論を言う時にはそれがどんなに正しいことであっても注意しなければいけない。特に不特定多数が見る可能性のあるインターネットなどにおいては。

 

正論では何も変えられないというのはそういう意味。論理で相手を言いくるめるのは特定分野に詳しい人間なら誰でもできる。けれど本気で相手を変えるには相手の論理と同時に感情もおもんばからなければ本当の意味では何も変えられないんだよね。

 

これは僕は前大阪市長橋本徹さんが女子高生と対談していた動画を見ていた時に感じたことがあって

痛いニュースノ∀` 「学費が払えない。政府なんとかして」「大雨でも自転車で通ってる」…全国の私立高生が抗議 - YouTube

 

橋本さんが私学への助成金を削る政策をやろうとしている検討会で女子高生と対談している動画なんだけど、泣いている女子高生にたいして社会は自己責任というのを毅然と喋っているのを見た時に「ああ、この人は正論を言っているんだけど感情をひきうける能力に欠けているんだな」と思った。

子供にたいして大人が論破することなんかそれはそれは容易だし現実はこうだよと説くこともできる。しかし相手が泣いているのであれば泣いている感情も汲んであげなければ、システムを変えることができても人間を変えることはできない。

 

 

これには僕はほとんど確信に近いものがあって論理と感情は表裏一体でどちらが欠けても人間の人間なる中枢を変化させることはできないんだよね。

そういう考えでインターネット上の正論なるものを見ているとインターネットは対他性がないのでそもそも構造的に相手の感情までひきうけることができないのだろう。だって相手が泣いているのか笑っているのかわからないのだから・・・

 

本来的には人間のコミュニケーションて相手が怒っていたり泣いていたり笑っていたりすることで自分の言葉も自然に変化していくものだけどインターネットにはそれがない。相手がいないので言葉があまり変化しない。言葉が変化しないとどうなるかというと常に正論が勝ってしまう。不特定多数にむけて書かれたはてなブックマークやブログなんかでは特にその傾向が強い。

しかし僕が思うコミュニケーションとか人間の関係性における正しさっていうのは正論なんかではなくて相手と自分を自然にすり合わせる能力のほうなんじゃないかと思ってる。

インターネットはそのすり合わせが非常に難しいのでコミュニケーションというよりもなにか人間の思考集合体みたいなものだと捉えている。

 

だから僕はインターネット上の言葉が及ぼす影響はあまり信じていない。他者の思考を覗くツールとしては非常にすばらしいものだし楽しいこともある。けれど現実の僕を脅かす存在としてはインターネットを捉えることができないでいる。それはインターネットもインターネットに書き込んだ人間も絶対に僕の感情を引き受けてはくれないし、こうしてブログに書いたことを読んでくれた人の表情も見ることができないから。

服従の心理~PCデポの店員はなぜ詐欺行為に加担できたのか~

PCデポの高額違約金問題からはじまった一連の騒動

企業倫理を疑う不当契約や従業員への「トウゼンカード」と呼ばれるノルマなどなど経営陣の質を疑う声がネット上であがってますね

 

なかにはtwitter上で内部告発と見られる声もはてブにあがってきたりしていますが経営陣が悪で従業員が善みたいな構造にするのはいただけなかったりします。実際に老人に不当な契約を結ばせていたのは現場で働く従業員のほうだからです。僕はPCデポに関してはむしろ労働者が悪いと考えています。僕のIDに依拠して考え、すこしPragmatic(実存的)な話に落とし込んでいきたい。

ブラック企業問題やうつ病などなどによって、最近は労働者を糾弾すべきではないみたいな空気がありますがPCデポに関してはブラック企業ブラック企業でも労働者を酷使している企業と一律に捉えるのは違う。詐欺と断じて良い不当契約を結び、老人から搾取していたのは内部告発をしている従業員もふくめ現場で働く店員のほうであって、そちらにも責任を求めないとこの手の問題は永遠に続くと考えているからです。

 

最悪は最凡

なぜ従業員を非難することが必要なのかというと服従こそが最も偽善的な悪だからなんですよ。

 

なんでこういうしちめんどくさい考えを持たばければいけないかというと歴史がものがたっていて旧ナチス政権のドイツで実際にホロコースト(大量虐殺)を起こしたのはヒトラーではないからです。

人類史上に残る残虐の極みを尽くした人間は誰かといえばユダヤ人を倉庫に押し込んだアイヒマンと兵隊のほうだからなんですよ。

 

ヒトラーが悪いというのは語るまでもないほどに自明ですけど当時のあの国の問題はもっと構造的な不可逆性・・・そして管理職、兵隊の「自分で考える」ことを放棄した服従の心理のほう。PCデポの問題にひきつけて考えればアイヒマンは現場で働く従業員のほうであって後になって自分に責任はないと主張するようなアイヒマン的思考を行う内部告発者のほうなんですよね。

だから僕はtwitterPCデポの店員が内部事情を暴露しているのを見ているとどこまで他者責任でいるのかという怖さを感じます。やったのはおまえらだろと。実存主義的に言えば炎上すべきは従業員のほうなんですよ。

 

しかしこれには人間の服従の心理という障壁があります。アイヒマンがなぜ数百万ものユダヤ人を虐殺するに至ったかというと彼がものすごく平凡な人間であったからです。

 

アイヒマンがホロコーストを起こしドイツからイスラエルに逃げて捕まった時に裁判で臆面も見せずに言ったことは「言われたことをやっただけ」というものでした。考えることを放棄した。だから善悪を振り切った虐殺を行うことができた。アイヒマンが教えてくれたことは考えることを放棄することがいかなる危険思想よりも悪だということ。

上の言うことに忠実なものすごく理想的な労働者・・・アイヒマンが仮にいまこの日本に生きていれば虐殺など行うこともなく言われたことを忠実にこなし、新橋で安酒を煽り、家族を持ち、ローンで家を建てるような理想的な労働者として生きられたことでしょう。最も残酷な行為を行える人間は最も平凡な人間なんですよ。

 

僕も平凡な人間なのでこの記事を書いているのはPCデポの労働者を責めるという意図よりも自戒を込めた誓いのようなものなんですよね。

 

ミルグラム実験

アイヒマンが逮捕され死刑判決が下された翌年にミルグラム実験(アイヒマンテスト)という人間の残虐性を試す実験が行われました。

ミルグラム実験 - Wikipedia

演技力の高い俳優を電気イスに座らせて電流を流すのですが、監督者が無作為に集めた一般人に命令して電力を上げながら電気を流させました。

俳優は以下の電力に応じた反応を被験者に見せて、被験者がどこまで監督者の命令を忠実に実行できるかというものでした。

1.75ボルトになると、不快感をつぶやく。
2.120ボルトになると、大声で苦痛を訴える
3.135ボルトになると、うめき声をあげる
4.150ボルトになると、絶叫する。
5.180ボルトになると、「痛くてたまらない」と叫ぶ。
6.270ボルトになると、苦悶の金切声を上げる。
7.300ボルトになると、壁を叩いて実験中止を求める。
8.315ボルトになると、壁を叩いて実験を降りると叫ぶ。
9.330ボルトになると、無反応になる。

 

結果は40人中25人が無反応になるまで(死ぬまで)電力を上げ続けるという衝撃の結果でした。人間の罪悪感というブレーキは責任が他者にあるかぎりほとんど機能しないのです。

 めずらしくアフィリンクを貼りますけどこの話はハンナ・アーレントの本やDVDを見たほうがいいです。なぜ思考しなければいけないのかということがわかります。

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

 
ハンナ・アーレント [DVD]
 

 

これはアイヒマンがユダヤ人を虐殺し、そしてPCデポの店員が経営陣の指示に従い老人に不当契約を結ばせたこともまったく同じ。電力を上げ続け死に至らしめることですら60%しか自らの意志で止めることができないことを考えると、PCデポの契約など罪悪感のかけらももたないで従業員は契約させていたと推測できる。

そしてそんな従業員を非難する声がほとんど見られないことは労働者に過剰に同情する平凡な人間が大多数だからということも言えてしまうのではないか。

 

PCデポの問題は経営陣が悪いのは当然。しかし現場で不当契約を結ばせていた従業員はPCデポが潰れてもまったく責任を問われずに罪悪感のかけらも持たないままぬけぬけとまたどこかの企業に属し、また何も考えないで同じことをやるでしょう。

 

だからインターネットでPCデポをバッシングして追い込むのもそれはそれでいいんですが、PCデポの問題は

 

経営陣が現場に出ないことで実存性から逃れて、従業員はアイヒマンのように責任感から逃れることで生まれた問題だと思ってしまうんですよね。ワタミのようなブラック企業問題と違うのがそこでPCデポに関しては労働者も経営者と同様に裁かれるべきだと感じています。

 労働者から不当に搾取にして違法な残業などをやらせたり、過労自殺するまで働かせるというのは100%経営陣が悪ですがPCデポは違いますよね。

 

ちゃんと給料をもらってちゃんと就業時間があってノルマがあっても強制力があるわけではないかぎり従業員の責任も同時に追及すべきなんですよ。

 

 つまり労働者とか雇われとかいう立場に安住して自分で考えて行動できない人もまた悪であるというのが、今回のPCデポの問題が教えてくれたことなんじゃないかな。

 

貧困対策や借金にはアフィリエイトが非常に有効だと思ったりした

こんなブログがあるんですよね。

amenotiyukidaruma.blog.jp

僕は株とかFXもやってたりしていまは塩漬け状態ですけど以前はスキャルピングなんかやってたりしたんですが小額でどんなもんかやってたら80万ぐらい吹っ飛ばしてこれ無理だなと今はシステムトレードでほっといてるんですが

 

その時の知見というか名残で株とかのブログなんかたまに見てるんですが上記はその界隈ではけっこう有名なブログで

嫁に内緒の借金がブログ開設当初は400万円あって現在は750万まで膨れ上がった無職の方のブログなんですけど、FXや株の爆散ブログを見ているとこれアフィリエイトで救えるんじゃないのかとふと・・・というかけっこうな頻度で思ったりするんですよね。

 

専業トレーダーの孤独な生活

この方のブログは一時期2ちゃんねるの株板ですごい話題になった人なんですがたしか100万程度で日経先物をはじめて一時期1500万近くまで増やして全部吹っ飛ばして現在は携帯の料金も払えずパスタを塩で食べてる人。

 

FXのブログってたぶんに釣りの可能性があるんですけど釣りだったら釣りでよかったねで済む話なので良いんですが本当にトレードで貧困に陥ってしまった人を救済する方法としてアフィリエイトはかなり有効に機能するんじゃないかなあ。

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FX口座のアフィリエイと案件の成約報酬って1件につき1万円ほどするものもあってクレジットカードとか出会い系アフィリエイトとかと同じぐらい高額なんですよね。

だから自己アフィリエイトという手法もあって口座開設する時にはアフィリエイトサイトを経由して開設したほうがいい。何も口座を開設していない人はかたっぱしから口座開設して1lotのトレードを数回やれば確定するのでそれをやれば数日で8万ぐらいゲッチュできるのでおすすめですよ。

 

 

それはそれとして嫁に内緒の借金ブログの読者は1万人ぐらいいるそうですし孤独なトレーダーのパニたん(愛称)も数行の生存報告に300とか拍手つくので固定読者が相当いる。ちなみにこのブログは1年も書いているのに100人ぐらいしか読まれていない。最近真剣にもうこのブログの限界を感じてきたので進退を考えているんだけど

 

まあそんなことはどうでもよくて、言いたいことは借金ブログの読者がその気になれば管理人の借金なんか一日で吹っ飛ばすことができるんですよ。1万人読者がいるのであれば20人に一人が一口座開設すれば良い。

 

借金の問題って借金額ではなくて利子の支払いに追われ続けることが地獄だから元本返済をいかにするかであって返しちゃえばなんとかなってしまう。有名ブログの借金がなぜアドセンスで償還できないのかって固定収入はすべて利子を払うので消えてしまうから借金が消えないんだと推測できる。たぶんアドセンス収入も3万~5万ぐらいはありそうだけど750万の利子がいけないところからも借りているようなので年利10%だとしてもアドセンスや通常のアフィリエイト収入では赤字。

借金ブログを読んでいるとなんで管理人は読者にアフィリエイト誘導をしないのかといつも思います。アドセンスみたいにクリック誘導が禁止されているわけではないですしね。一発でドカンとクリックしてもらえばいいんじゃないかと思うわけであります。

同じように貧困の対策として在庫なし技術なしリスクなしで収入が得られるアフィリエイトはなんか良いシステムでもあれば有効に機能するんじゃないかなあ。

 

 

こんなこと言うと幽霊口座をつくってアフィリエイト報酬をいただくなんてなんてやつだなんて言う人がいそうですけど

 

金融市場もインターネットもただの再分配の装置なんだから別にどう使おうが問題ないんですよ。