メロンダウト

メロンについて考えるよ

あけましておめでとうございます

今年もつらつらと気が向いたときに書いていきます。

何の目的も持たず始めた幣ブログですがもうすこし年数にふさわしいアクセスがほしいところではあるのですこし検索向けの記事なんかも書くかもわかりません。

ひとこと添えるとはてブでコメントをいただくよりもコメント欄にコメントいただいたほうが嬉しいので反応はコメント欄にいただけると幸いです。はてなブログはコメントが過疎過ぎることが唯一の欠点かなと思います。もはやブックマークはどうでもいいです。

欠点といえばはてなブログは相互リンクがないブログが多いですが相互リンクなどもやっていこうかなと思っております。リンク申請などあれば100%相互リンクいたしますのでコメントやはてブなどでお申し出ください。

 

まったく何の役にも立たない幣ブログですが本年もどうぞよろしくお願いします。

パチンコ出球上限7200発なんてやっても依存症は減らない~ギャンブル依存症対策法代替案を考える~

暇すぎて枯葉掃除してました。どうせ腐葉土になるのに意味あんのかなと自問しながらやってたら5円玉を見つけました。年末年始に縁起が良い。

ネットでうだうだしてたらギャンブル依存対策法案が提出されたニュースを見たのでまったく無意味な形で行われるパチンコ規制について意見します。

www.asahi.com

パチンコ、出玉7200発で強制終了するリミッター搭載へ - ギャンブル依存症 克服

パチンコ業界にまたまた激震!!!7200発で強制終了する出玉リミッター搭載か!!? | スロ八先生のまとめ板

パチンコ規制は偽善であり利権

まず最初に言及しておかなければいけないのがパチンコ規制というとパチンコ業界に打撃を与えるイメージで語られることが多いですがこれは全くの間違いなんですよね。規制で被害を受けるのはユーザーであってパチンコ台を製造しているメーカーにとって規制と緩和はビジネスチャンスでしかありません。

パチンコ台の製造にはさまざまなレギュレーション・決まりごとが存在しています。わかりやすい例で言えば、パチンコ台の大当たり確率は以前は1/500の台がありましたがそれが1/400になり、今年いっぱいで1/400の台も禁止になります。

大当たりする確率が重い台にたいして規制がはいってきましたがこの規制がなぜ利権につながるかと言えば

現在設置されているパチンコ台が新しくできた法令で店に設置できなくなるとパチンコ店は当然、該当する台をすべて撤去します。そのままにしておけば法令違反で営業停止なので当然ですね。すると新しい台を導入する需要が生まれる。そこにパチンコメーカーは新しい台を売り込むことで莫大な収益をあげていく構造になっています。仮に今回の7200発上限規制が通れば現存するパチンコ台は9割が設置できなくなるので総入れ替えとなりとんでもない売り上げが見込めます。

 

パチンコ台の価格は市場にあがってこないのであまり知られていませんが1台あたり40万円近くするうえに現在のパチンコ台のメーカーは合併吸収を繰り返して(市場規模を考えるとありえない)半寡占産業と化しているので競争原理も市場原理も働かなくやりたい放題の状態です。「機暦」などといいパチンコ店の購入履歴によって安く売ったり高く売りつけたり購入台数によって納品する日をずらしたり(パチンコの新台は初日の訴求力が異常に強い)通常ありえない販売方法をとっています。

政府が規制をかけ、規制で台が撤去され、メーカーが法外な値段で売り、得た利益を全日本遊技機連盟を主としたパチンコ権利団体連名の議員・天下り先に配分しまた規制をかけるという仕組みになっているのです。

エコマークみたいなものですね。京都議定書で騒いでいた時に、公共事業だと通らない案件がエコにした途端に大義名分を得たかのようにすんなり国会を通過したのと同じですね。真のパチンコの3店方式は政府→メーカー→外郭団体(議員)であってここをぶっ壊さない限りいくら規制だなんだ言ったとしても根本的に変わることは絶対にないでしょう。

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上限7200発で依存症が減らない理由

デジパチ一発台

パチンコ台にはデジパチ一発台とにざっくりと分類できます。現在主流のデジパチは出玉上限がなく80%の確率で大当たりが連荘しつづけるものです。下手すると5万発ぐらい出たりします。一撃20万円ですね。

いっぽうで一発台は当たると決まった玉数が出てくる仕様になっています。代表的なのが一回あてると5000発出てくるコンバトラーVや羽ものなど。

期待出玉と分布

比較するとデジパチのほうがいっぱい出そうな気がしますが期待出玉はデジパチ一発台も変わりません。デジパチも初めて大当たりを引いたときに出てくる平均出玉は一発台と変わらない。違うのは大当たりの出玉分布が荒れるので運に左右される要素が強くなることです。

複合確率と単純確率

デジパチがなぜ荒れるのかといえばいろいろな確率が複合しているので仮に300分の1の台でも少量の出玉(400発)しかない大当たりがあったり引かないほうが良い大当たりがあったりするので実質的な確率が表面上の確率と違ってきます。

参考:サイボーグ009大当たり分布 

http://pachinkocol.com/cr009-recyborg/

S2R-K平均出玉
16R 約1920個
13R 約1560個
10R 約1200個
8R 約960個
7R 約840個
6R 約720個
5R 約600個
4R 約480個
3R 約360個
初当たり平均出玉 約2977個

この機種は平均出玉3000発となっていますが確変になれば20000発ぐらい出たりしますが1000発しか出ないことがずっと続いたりします。

一発台は単純確率なので一律3000発出てきます。

運に左右される要素が大きいデジパチがなくなることは依存症対策に効果的だと思われるかもしれないがパチンコ依存の主な原因は金銭ではないんですよね。

金銭的な荒さに関して言えば競馬や競輪のほうがでかいですがパチンコのほうが依存症は多いです。

 

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パチンコ依存の原因は賭け続ける時間の長さ

麻雀をしたことがある人ならわかると思いますがパチンコと麻雀はけっこう似ています。自分のツモと捨て牌に相手の捨て牌を鳴くかどうかの判断を断続的に続けますよね。局面がすすむにつれ有利不利と揺れながら打っていき勝敗が決まる。

パチンコも一緒であって玉の動きに有利不利を感じ演出の強さに有利不利を感じて結果として出てくる結果に耽溺します。

競馬なんかもそうですがパチンコの場合には常に競馬の最終コーナーを見ているような状態なので賭けていない時間がなく冷静になる時間がない。もちろんパチンコで動くお金は時に大金となることもありそれはそれで問題なのですが基本的にパチンコの依存をつくっているのは賭けに興じる時間に依存することなんですよね。

 

パチンコ依存症をほぼ完全に撲滅する法令案

パチンコ依存は時間がキーワードです。だから最も効果のあるギャンブル依存症対策法案の代案を出すと

100回転ごとに台を停止する仕様にし強制的に休憩させる

賭け「続ける」ことができないようにして判断力を回復させます。

2時間以上は台に座り続けてはいけない

血流が悪くなると脳に血液がいかなくなり判断する力がなくなるので2時間で強制的に離席していただきます。同時にパチプロが絶滅するので一般客の負け額が減ります。

1分間に60発しか発射できない規制を入れる

以下幣ブログ参照されたし

plagmaticjam.hatenablog.com

最大音量を現在の1/10にする

うるさすぎて思考できないので音量に規制を入れます

店内を禁煙にし喫煙室を設置

打ちながら吸うのではなく一服して打ち続けるかどうか判断していただきましょう

打ち手とパチンコ台の距離を1m以上は離す

視野を広げ没入させないようにします

 

まとめ

パチンコいらない日本死ね(国会に届きますように

高速道路化するコミュニケーション

年末だしなにかまとめて書こうと思ってたんだけどやめて最近かんじたことを雑記にして書いていこう。コミュニケーションについて。

LINEの既読スルーやフェイスブックのいいねなんかもそうだけどコミュニケーションの様相がネットができてからすこし変わってきたような気がしている。感覚的な話なのでまあいつもの意味のない話なんだけど

同調圧力と言っていいのかLINEの既読スルーにしても人をコミュニケーションに駆り立てる点でいつかの時代のメールよりかはやく返信が来る。返信が早いことは喜ばしいがしかし逆に返信が遅いとそれだけで信用を傷つけるようになったとも言えてしまう。信用の閾値があがっている。そうして常に外部と接触している時間が永久につづき「閉じる時間」がなくなってしまったように思う。だから瞑想なんかが最近流行り始めたのではないだろうか・・・

以前は瞑想や自律訓練法など意識的に閉じる瞬間がなくても家に帰ればおおむね孤独だし寝る前に見上げる天井に閉じる時間があった。今日日、寝る前はスマホをいじっていて外部と繋がったまま、「開いた時間」のまま眠る人も多い。無意識の閉じる時間がコミュニケーションツールによって奪われた。最寄駅から自宅まで空を見上げ考える時間は歩きスマホにとって代わった。他者とコミュニケーションをとることは非常に大事だしLINEもその点では非常に有用なツールである。しかし人には孤独も必要だ。半強制的に与えられ無意識に行うべき孤独感情は事実上死んだ。

これがコミュニケーションを急進化している。

 

同調圧力という言葉がある。クソをクソと言ってしまうことはネットリテラシー的にはアウトなふるまいである。程度問題としてみな同調する。批判するなというとこれもまた強制力があるが批判は難しい。人が人を批判することは善悪判断以上に技術が必要だ。むしろ技術のほうが大切かもしれない。

どんなものであれそれを批判した瞬間に悪を定義することになり罰の量を増幅させる。なになにがいけないや「不倫はダメ」などみな発言するが価値観を定義し続けると思考の柔軟性を失ってしまい後に苦労する。例えば僕の中学校時代ではオタクは気持ち悪いという考えが普通であったし僕も子供ながらにいい年してアニメ見てる大人ってかっこ悪いななんて思っていた。当時の世界ではオタク批判は正義であった。時代は変わり、もうオタクが気持ちわるい時代ではない。しかし僕はいまだにオタクが気持ち悪い残滓が心のどこかにくすぶっていることを実感する。自らもそういうものを見ているにもかかわらずだ。

中学校時代にオタクを批判(というかオタク批判の空気にあてられた)した僕の価値観はいま生きている僕自身の心に小さく影を落とすことになった。つまり批判は他者にたいして不快な思いをさせるからやめろ、というのももちろんそうであるがそれ以上に将来の自分に遺恨や枷を残すからやめたほうが賢明である。

 

ここまで書いておいてなんだがおそらく今問題になっている批判は上で書いたような批判ではない。モンスターペアレントやネットの芸能人たたきなどに見える批判は自己に遺恨を残すほどの熱はない。それはもっと浅く笑いや反射に近い批判に見える。

閉じる時間がない、思考を整理する時間がないと上に書いたが閉じて自己を見つめれば批判してもいいことと批判してはいけないことの境目を判断するぐらいの判断力は獲得できるように思う。つまり何が大切かということを。閉じる時間がないから同調し焦燥感に負け反射で批判するようになってきたのかもしれない。

これがコミュニケーションを高速化した。

トミカ 高速道路にぎやかドライブ

トミカ 高速道路にぎやかドライブ

 

 高速道路に乗っている時にブレーキを踏むわけにはいかない。脇にとめ休んだら後続車に跳ねられてしまうかもしれない。

同様の意味においてコミュニケーションも高速化している。閉じるには意識してサービスエリアに入るしかない。サービスエリアから一般道に出ることはできず進むにはもう一度走り出すしかない。ネットや通信がインフラになった世界でネットを切り離して生活するのは難しい。走るしかない。

走らなければ後続車にクラクションを鳴らされる。場合によっては事故る。走り続ければ閉じることができない。サービスエリアに居続ければ前に進むことすらできず

みんなどこに行きたいんだろう・・・