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メロンダウト

メロンについて考えるよ

ベッキーと余白の話

哲学 ベツキ

ベッキーが不倫した。

 

そのことに関してはわりとどうでもいい。人の感情や心境も、不倫のように悪だと言われる行動に走る因果関係もテレビのニュースやネットで知ることはできないからだ。本人に聞いてみないとわからない。

当の本人もわからないかもしれない。恋愛なんて飲み屋で飲み過ぎて暴れる酔っ払いぐらい理由のない衝動なのだから。激情に論理を持ち込むことほど野暮なことはない。

謝罪会見も「恋に酔っ払っていたので記憶がありませんでした テヘぺロ」でいいと思う。もちろん川谷さんの奥様にたいしては全力で謝罪し場合によっては慰謝料を支払うべきではある。

 

多くの人がネットでベッキーをたたいている。

赤の他人が血液型で性格を判断するみたいに人をモデリングし正義をふりかざすことは他人の心にたいして「余白」を持つことができない人の所業だ。

矢口真里さんの件でも同様だった。仮に元夫の中村昌也さんがDVを行っていて矢口さんが日常的に暴力をふるわれていたのだとすれば誰も非難などしなかっただろう。ありとあらゆる状況にたいする想像力を駆使すれば絶対に一元的に不倫が悪だなんていう結論にはならない。

あたえられた情報だけで判断し人をカテゴライズするのは旧ナチスドイツ政権の煽民政策によって踊らされていた人達とまったく変わらない。彼らはみなユダヤ人にたいして「余白」を持つことができなかったから虐殺し選民した。それぞれの個人のそれぞれの人生の背景を想像もしないまま。

そう考えると人種差別が意識的にはほぼ撲滅した現在でも人間の本質的には何も変わっていないという事態が浮かび上がりそのことにはすくなからず失望する。

 

 

恋愛の理想は千人の恋愛があれば五百通りの恋愛が成立していることだが現実にはそんなことは絶対にない。3組に一組は離婚する時代だ。千人いたら千通りの恋愛がある。人はみな孤独だ。

 

 

 

 

客観的に不倫が悪だなんてしょうもない話をするつもりはない。

僕はベッキーが好きだ。元気をそのまま体現しているようなキャラクターには太陽のようなまぶしさがある。ずっとベッキーモニタリングしていたい。

性格的な面でいえば毒舌などを売りにしている人達よりも彼女はテレビに映っているべき人なのは間違いない。承認されて然るべき容姿、性格、言動、快活さ。あらゆる点で彼女ほど優れた女性を僕は見たことがない。僕はベッキーが好きだ。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

 

「恋愛に関しては他人が口出すべきことじゃない」、手垢の付いた表現だけどこれほどほぼ反論の余地のない言葉はないと思う。

 

人は人に余白を持たせることが必要だ。複眼的に見ると言ってもいい。または思いを馳せると言ってもいい。

 

30年間ただただ積み上げてきた信頼、世間への信頼がこうもいとも簡単に崩れ去ると知った時に彼女にどんな絶望が待っているだろうか。

僕はベッキーが好きだ。

 

 

愛するということ

愛するということ

 

 

 

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