メロンダウト

メロンについて考えるよ

JTよ、分煙は間違っているぞ

嫌煙ブームがひどい。犬猿ブームだ。

おそらく僕ら喫煙者が猿なのだろう。

 

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僕はタバコを吸うのですができることならやめたい。禁煙薬などを使ってみたがどうにもやめられそうにない。

禁煙してみても身体的には離脱症状の抜けた二ヶ月程度で終わってしまう。身体的にはニコチンは排出されても精神的なストレスでまたタバコに手がのびるということをもうかれこれ3度はやっています。

 

そんな僕でも薬など使わずに自然と禁煙できた時がある。留学していた時とノンストレスで仕事も家族もなにもかも完璧に回っていた時だ。

タバコは吸い始めた理由はどうあれ一度でも喫煙者になればタバコを吸うこと自体が個人差があれどストレスからの逃避行動になる。

ストレスを抱えたらタバコに逃げるというのは生き方としては最悪だ。まぁそれは置いておいて現象として、事実としてニコチンにはそういったストレス緩和作用がある・・・ような気になってくる。正確には緩和ではなく放棄のような感覚に近いかもしれない。

 

つまり喫煙の原因はストレスでありノンストレスの状況ではタバコは喫煙者ですら必要がない。実際に僕がそうでした。

留学した時は前日まで1日1箱弱吸っていたのですが現地に着いた瞬間に空の青さと空気の美味さだけで心も肺も満たされていくのがわかりました。

「こんな清々しい気分の肺にタバコを吸い込むのはもったいないな」

そんな感覚でした。

 

ノンストレスで何もかも充足している時には喫煙者ですらタバコは必要のないものに成り下がるんですよ。

だからそもそも喫煙者にタバコをやめさせたいのなら嫌煙というのは間違っているんですよね。むしろ喫煙者にストレスを与えて喫煙を促進するような行為です。

 

嫌煙だから無理矢理やめた喫煙者にしても僕がそうであったように精神的な充足はタバコをやめただけで成るものではないです。

 

 

何が言いたいかというと喫煙者に本当の意味でタバコをやめてほしいのなら嫌煙ではなくストレスを排除する方向に持っていかなければいけないということです。

 

ストレスっていうのはたいていの場合には人間関係が原因です。満員電車も電車にではなく人にストレスを感じる。東京がストレス社会だと言われるのもビル街よりも衆目のほうが原因でしょう。

ストレスをなくすには顔色を伺ったり沈黙に耐えられないようないびつな人間関係ではなく安全で静かで厚い人間関係が必要だということです。

 

喫煙という個人の問題を社会のほうに責任転嫁するのはすこし気後れがしますが

インターネットの登場により史上で最も人と人が繋がっている社会なのに史上で最も繋がれない社会というふうに感じています。

婚姻率や離婚率の統計などを見ても繋がれば繋がるほど繋がれなくなっていく。

 

喫煙者はこっち、嫌煙者はあっちと分断される。ちょうど富裕層と貧困層の生活圏のように。貧困層は六本木を歩くなという条例が仮にできたら大バッシングでしょう。喫煙者にタバコを吸うなというのも似たような部分がある。

 

そうして喫煙者と嫌煙者の繋がりは断ち切られそれがまた新しいストレスになっていく。そうしてまた喫煙者はタバコをふかす。

そうしてまた多様性は心の模様ではなく単なる言葉であることを証明する。

 

分煙ボードはクソの役にもたちはしない。

タバコをやめさせたい相手がいるのなら歩み寄ることだ。抱きしめることだ。タバコを吸ってても吸ってなくても大好きだよと愛することだ。

 

依存の反対は正常ではなく繋がりなのだから。

 

Everything You Think You Know About Addiction Is Wrong | Johann Hari | TED Talks - YouTube