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書評:一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル (講談社文庫)

備忘録です。東浩紀さんの著書「一般意志2.0」を読んだ。ルソーの「社会契約論」を解釈し現代のテクノロジーで民主主義をアップデートしようというものだった。率直に言えばものすごい面白かった。多くの保守派の人達はテクノロジーが人間の人間的生活を奪うような話に終始している。AIによって仕事は機械に代替されるようになるし興味関心、趣味嗜好さえもテクノロジーに侵略され機械の人間化、そして人間の機械化のようなディストピア論がかなり多い。これは青山繫治さんも言っていることで今や人事さえもビッグデータで決定している企業もあるようで人間の条件みたいなものがこれからますます希薄になっていくことは間違いない。

 

しかし東さんの主張というか解釈はもうすこし実践的な内容でテクノロジーを利用して人間的生活を取り戻そうとする内容であった。本書は主張ではなく民主主義の定義をどうするかという書なので主張というのはおかしいが読後に僕が抱いた感想は「希望」であった。

すこし本の内容を要約して紹介してみたい。ネタバレを含むので本書を読んでいない方は書籍のほうで精読することをお勧めする。

一般意志2.0

 

論点要約

まず東さんはルソーの問題から入る。ルソーは社会契約論を書き現在の民主主義の基礎を作った人物であるが一方で人間嫌いの個人主義者でもあった。一般に筆者の性格と本の性質は一致していてマルクス資本論を書いたのは彼がヒモのような生活を送り友人に金をせびる人間だったから資本主義を批判した。しかしルソーは個人主義者であるにも関わらず社会契約論で全体意志を説き全体意志には従わねばならないと書いた。この矛盾がルソー問題と言われている。ここから本書は始まる。

社会契約論には全体意志と一般意志と特殊意志という概念が書かれている。全体意志は公、一般意志は共同体で特殊意志は私であるとかなりざっくりと説明しておく。東さんが一般意志2.0で主題としたのは一般意志で、一般意志は全体意志とは異なり人民の欲望や主張を集めその総和として算出した差異を一般意志と解釈することができると書かれている。この欲望や主張の総和の差異というのは人間が無意識に発露している動物的なものを元に算出すべきものであって一般にとらえられている民主主義の投票結果とは違うと東さんは主張している。しかしルソーが生きていた200年前にはこの一般意志は可視化できないものだった。そして最終的にグーグルやツイッターのようなソーシャルメディアのデータベースが一般意志の可視化を実現できるようになるのでそれを利用して政治に組み込もうと本書は展開する。

注意しなければいけないのは一般意志2.0ははグーグルなどのデータベースで政策決定をしようと主張するものではなくあくまで現行の間接民主主義を維持しながらそこに条件付けとして一般意志(データベース)をくみこもうと主張している。

結論として現在のニコニコ動画のようなものを政治の現場に導入しコメントをリアルタイムで表示させることで熟議に条件づけをする形で一般意志の利用しようと書かれている。

書評

二コ動のコメントは意識的か無意識的か

本書の内容は大変興味深く冒頭に書かれていた「夢」という言葉がかなりしっくり来る内容だった。しかし東さんが主張する一般意志をグーグルがデータベース化して政治の現場に導入するというのはニコニコ動画の形態では実現しえないと思った。この疑問はそもそも本書の導入部分でフロイトを引用しながら東さんも書かれていることであるが誤字や脱字また政治的意図とは関係ない発言など意識的ではなく無意識的な人々の言葉をあつめれそれを一般意志と扱うと書かれている。これには非常に納得がいく論理展開がなされていた。無意識の発露こそが人間の真の欲望を表しているのは本当にその通りだと解釈できた。しかしニコニコ動画のコメントは意識的なものであってグーグルがデータベース化する一般意志とはすこし様相が違うのではないだろうか。つまりコメントが意識的か無意識的かという判断なのだが意識的なものだという感覚が僕にはある。この点が疑問のひとつとしてあった。

自由の代償 

そしてもう一点。一般意志2.0は民主主義進化論としてはたいへん興味深い内容であったが読後、僕が抱いた感想は希望と「すこしの違和感」だった。なにかを置き去りにしているような感覚になったのだ。それは本書の内容と関係あるのかもしれないしないのかもしれないのだが

東さんは最終的に政治の「最小国家化」について触れ政治が水道事業のごとく誰も気にかけることがなくなるぐらい縮小すると書いている。水がなければ僕達は死んでしまうわけだが誰も水道がどこをどう流れどう浄化されて蛇口から出てくるのか興味を持たない。同じように政治も身体的な安全、防衛などの役割を行うだけのものになると。政治について誰も関心を持たない形で行うようになると「リベラル・ユートピア」という言葉をひいて説明している。そして終には基礎所得も国が配給して人間は自由に活動を行えるようになると。

本書の終わりはそうなっているがこのほとんどユートピアに近い行政に違和感を覚えたのはおそらく個人的な話であって自分がなにかに課せられていたいという欲望がどこかにあるからかもしれない。つまり自由は必要だが完全なる自由が人間を幸福にするのかというと僕はかなり懐疑的なのだ。なにか強制力のある仕事だったり納期に追われたりもしくは家に帰れば文句しか言わない嫁だったりとなにかに縛られていることで人間を人間たらしめているものがあるのではないかと感じる。SとかMとかではなく性善説性悪説のように性堕落説とでもいうのだろうか人間はなにか強制力のあるもので動かされない限り無限に堕落できる動物なのではないかと思う瞬間がある。僕は怠惰な人間なのでそう思うことがある。

だから怠惰な人間にはコミットする何かが必要なのだろうが今まではそれは労働だったりあるいは政治を注視する危機感であったりしたのだろうが政治からも労働からも、そしてVR技術で性欲からも人間が解放されありとあらゆる次元において完全なる自由が実現したら人間はどこへいくのかと考えるとすこし怖くもありそして同時に楽しみでもある。