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メロンダウト

メロンについて考えるよ

いまさらだけど保育園落ちた日本死ねの問題は社会の無階層化についてだと思う

いまさらだけど保育園落ちた日本死ねの問題は社会の無階層化についてだと思う

去年話題になった増田の「保育園落ちた日本死ね」についてまた書いていこうと思う。
以前書いた内容とほとんど同じ内容だけどもうすこし掘り下げて書いていきたい。

plagmaticjam.hatenablog.com

関係性のパワーが下がっているし危険
基本的に今の社会構造ではあらゆる側面で浅く広くつながることが賢いつながり方であるように思う。終身雇用はなくなって流動性の高い社会では会社の同僚よりも他社や他業界も含めた広い人脈のほうがセーフティネットになりうる。逆に深く会社にコミットして人格まで会社に色づけられるのは退職したら精神的にきつい状況になってしまう。恋愛も深くコミットすることは危険で基本的に利得を考えたらあらゆる関係性は浅く広くのほうが生き抜きやすい。今はマイルドヤンキーと呼ばれる特定のコミュニティーに特化した生き方は昔は得である環境があった。外側から見れば不気味に見える教義や常識や振る舞いも小さいコミュニティーの中では権威と捉えられたし現在では忌避される凝り固まった価値観はどこまで強く持っても生きられる状況だった。
今は人類史上最大の情報社会になってあらゆる価値観は市場にあがりムラ社会では権威にすらなる(外部から見れば)狂った価値観はすぐ炎上し否定される。個人の中で決定されそうになった価値観はすべからく否定されうる。
具体的に言えばキルギスの誘拐結婚など例としてわかりやすいように思う。クレイジージャーニーというTV番組で紹介されていて衝撃的だったのだがキルギスの村では町を歩いている女性を誘拐して監禁しながら説得して結婚する文化がある。これは僕達の価値観からすれば犯罪であって許されることではない。その番組内で当事者である誘拐されて結婚した女性に話を聞いていたのだが彼女は「誘拐されて今は幸せだ」と言っていた。そしてそんなことを思うのは特別な感情でもないらしい。ストックホルム症候群(誘拐された人が犯人を愛してしまう精神状態)と分析することもできるが課せられた生に耽溺することで得る幸せも僕はあると思う
こうした価値観は日本では全面的に否定される。
他者を脅かしてはならないし決定権を奪い取るような過剰な感情は回避され浅く広く付き合うことが善であるとまことしやかに言われている。異常な価値観や異常な思想は忌避されるのでみな無謬な顔をしている。多様性という価値観が個人を分断した。というかしても良い状態にした。情報化がそうしてしか生きていけない構造を作っている。

この不可避の選択として与えられる生き方がつまりリベラルであり個人主義である。

 

後天的個人主義

個人主義やリベラルは選択的思想ではなく基本的に後発的にくっついてくる思想であって生まれた時からリベラルなんて人はどこにもいない。人間が生まれた瞬間から自由であるなど嘘であって親も選べなければ名前すら決められない。生き方は例外なく(あえて断言するが)100%与えられるものである。
みな個人主義になった。イスラム国に湯川さんが誘拐され殺害された時にも自己責任であるという意見が多かった。国が救いに行くべきではないという意見も散見したがなぜか自分は自分だけで生きていけるなどと勘違いしている社会構造自体がこの国の病理なんだろう。

個人主義は人が人を助けるような生き方ではない。いや助けるのは助ける。日本人は優しいし必要にせまられたり感情を揺さぶられれば利得を超えた助け合いも海外よりもむしろ行う人々だと思う。そうではなく僕がここで個人主義について問題としたいのは自分が困った時に他者を頼れない「恥の文化」のほうだ。個人主義では自己責任が叫ばれる。自己責任はずいぶん切り口のいい思考であるが他者へ自己責任を叫ぶ時その声は自己にも跳ね返ってくる。

そうした不可避に与えられた個人主義によって出てきた結果があの「保育園落ちた日本死ね」だったのだろうといまさらながらに思う。つまり個人主義では(他者に助けを求めることが恥であるから)もう保育園に落ちたらいきなり国の責任になるのである。このぶっ飛び方こそが日本の現状を端的に表していて他者に踏み込めないような閉塞感もなにもかもの問題をはらんでいるような気がしてならない。

保育園落ちた日本死ねのブログ主(増田)には子供を預ける世界に個人と国家しかないのである。いや批判しているのではなく事実そういう人がいることは何も驚きではないし絶対に救うべきであると思う。いっぽうで彼女の状況は(投稿されてからかなり時間が経ち)あれだけ拡散され流行語大賞に選ばれたことで特別な状況ではないと証明した。つまり個人主義がこの社会に蔓延していることを証明した。

コミュニティーがない。現代では人間関係は浅く広く付き合っていくのが処世術として正しいのだがそうして形成した人間関係では子供を預ける他者が存在しなくなった。つまりこうだ。

インターネットが情報化やグローバリズムを生む→浅く広く付き合わなければ生きていけない社会を作る→不可避の生き方としてリベラルや個人主義が与えられる→自己責任で困っている時に他者に頼ることは恥である→コミュニティー(互助会)の崩壊→保育園落ちたらいきなり日本に頼るしかなくなる→保育園落ちた日本死ね

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版

 

 

保育園落ちた日本死ねとインターネットで拡散する、そのインターネットの機能自体が保育園落ちたら日本に頼るしかなくなる社会をつくる元凶なのかもしれない。(推論であり抽象論である)