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メロンダウト

メロンについて考えるよ

保育園待機児童VS非正規童貞

ますだは面白いなと思う今日このごろ

 

anond.hatelabo.jp

      VS

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まずお互い自己責任というワードを使うのはやめたほうが賢明ですね。非正規になったのが自己責任というのなら勝手に子供を産んで保育できないというのも自己責任というわけのわからない話になってしまいます。

 

ゲマインシャフトの崩壊

ゲマインシャフトというのは血縁・地縁によるコミュニティーです。

おそらくこの待機児童VS非正規童貞という対立構造に保育の問題の根本原因も隠されているような気がするんじゃないかと思うんですよね。

僕は片田舎で育ったのですが小さいころに母や父と公園に行くと気の良いだけで毎日お酒飲んでいるおっちゃんなんかがいたりしました。僕らがサッカーなんかしていると「坊主、うまいな」なんて褒めてくれたりと。

電車の中でも小学生時分で乗っていると極まれに昼間なのにお酒飲んでるおっさんが喋りかけてきたこともあります。まぁその路線は今でも稀に見たりしますが今だったら子供に話かけたりしたら即通報されて逮捕ですけどね。

現在ではそんな人は全く見なくなりました。タワーマンションに併設された公園なんかだとすぐに追い出されてしまうのでしょう。それは僕の子供時代の経験から言うと100%親の問題です。子供はそんなおっちゃんのことがむしろ好きです。

 

また、近所で独身だけどなぜかわからないが異常に明るいおばちゃんなんかもいたりして僕は彼女のことがとても大好きでした。今考えてみると無理して明るく社交的に振舞っていただけなのかなとも思えてきますが当時の彼女はそんなことは臆面にも出しませんでした。

母と父が二人で旅行か冠婚葬祭で出かけた時には僕は保育園ではなく友人とも言えないような名前のつかない繋がりの彼女のところでご飯を食べさせてもらったりしていた記憶があります。

 

彼女は今でいう非正規独身喪女でしたが彼女は上記の非正規童貞ますだのように自らを悲観していたような面はそんなになくそれは(推測ですが)社会全体でも今ほど独身ということがスティグマとして枷になっている時代ではなかったように感じています。

これだけ少子高齢化で非正規が爆発的に増えた現在のほうがむしろ結婚していないことや正社員でないことを重く受け止めてしまっているのかなと思います。

 

そうして個人が分断されていっている、コミュニティーの崩壊こそが待機児童の問題や非正規が不幸だということの最も根本的で唯一の問題ではないのでしょうか?

子供がいても働きたいなら近所のおばちゃんのところに預ける、非正規でもマイルドヤンキー的な仕事以外での幸福の形は作れるはず。

むしろ双方向で保育園に落ちた親は子供を非正規独身のおっさんに預ければいい。こう書くと非常に危険なように響きますが僕は実際にそうされてきました。

 

都会で子供を育てている人はほとんどが核家族でしかも近所づきあいというのが昔ほど蜜ではない現状が保育園の待機児童の問題に繋がっているのではないかと思います。

以前は地方の駅前には呉服屋、本屋、カメラ屋、居酒屋などがありました。そういった自由に経営している個人商店が地域の活性化に一役買っていたのですが今ではほとんどがシャッター街になっています。かわりに社会にはコンビニやショッピングセンターのような客と従業員という定型的な関係ばかりになってしまいました。そうなってしまえば他人が全然見えてこないので他人に子供を預けるということを必要以上に警戒してしまう。

 

だから子供も定型的には安心できる保育園に預けるしかなくなる。

僕がそうされてきたように地域のおばちゃんでも探して預ければいいんじゃないかという言葉には現在ではかなりの反感を食らうでしょう。

 

 

そうして保育園やコンビニなど形が元々決まっているものは絶対的な安心感がある一方で個人が個人と関係性を自由に形成できる場所、個人商店や街の蕎麦屋みたいなものがどんどんなくなっていきました。

 

 

金が幸福の多寡を決める社会の危うさ

そうした保育園やコンビニなど形の決まっている利害関係でしか繋がれない社会っていうのはものすごい危ういと思うんですよ。目的がない繋がりのほうがはるかに強固です。これは非正規の労働問題でもそうですが非正規がなぜ不幸だと感じてしまうのかって結局今の社会は

 

金で交換できるものが理想的といわれる幸福の形を標榜してしまっている=非正規は金がないから不幸だという図式になってしまっているんですよね。

 

もともと金は単位以外の何物でもなくて本当は金を稼ぐのは母ちゃんに初任給で飯食わせてあげたかったり彼氏や彼女にプレゼントあげたかったりする目的があって金を稼ぐのであってお金は手段でしかないんですよ。

 

しかし、よくよく考えてみれば母ちゃんにごはん食べさせたかったらそこらへんの畑でも行っておじいちゃんの農作業手伝って大根の一本でももらって帰ってきて風呂ふき大根でも作れば金なんかいらないですよね。

彼女にプレゼントあげたかったら原稿用紙10枚分にどれだけ愛してるかを書いてプレゼントしたっていいはずなんですよ。

僕個人の感覚で言えばどんな高級フレンチで食べる料理よりも彼女がなんとかして作った固くてまずい大根のほうが嬉しいですよ。

 

同じように待機児童の問題も子供を保育することが目的で保育園は手段でしかない。保育園に入れなかったら近所の独身でも隠居でもしているおっちゃんおばちゃんと仲良くなって子供を預ければいいんですよ。

保育園ほどの環境は提供できないにしても他人と成長する過程っていう面では先生との関係よりもむしろフランクな関係を築ける大人のほうが持つメリットもあるはずです。

もしくは「#保育園落ちたの私」だなんてハッシュタグなんかつけないで「#自治保育 江東区」などつけておかあさん同士が持ち回りで子供を預かるなんて方法もある。もちろんそれにはある程度以上の行動力が必要で保育園に預けられるなら預けたほうが簡単だし衛生面でも心配いらないので安心できるのはわかるんですけどね。

 

金も保育園も本来は一つの手段でしかないはずなんですよ。

 

だから金だとか保育園だとかの定型的な価値観だけで言っている言葉を見ると現代社会の繋がりにおけるゆがみを見ているようでなんとも言えない気持ちになります。

また一方では金も社会性のある子育ても否応なく巻き込まれるものであって誰の責任でもないですし重大な問題だということも承知しているのです。

しかしながら、枷になってしまうのならばそういった社会的価値観から一度逸脱してみることをお奨め致します。

 

個人の問題を社会に追及する前に

 

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