メロンダウト

メロンについて考えるよ

「現実的な投票行動」として小池百合子を選ぶということは我々の現実が狂っていることを示している

小池百合子氏の2期目が決定したわけだが

都知事選における調査によると小池氏がやったこと(築地移転、7つのゼロ、希望の党)を評価しているわけではないが現実的な選択として小池氏に票を入れた人がかなりいるようである。

www.nhk.or.jp

いわゆる通常のポピュリズムの議論とはすこし様相が違うと言われているがこの調査結果をもって国民はちゃんと考えて投票していると結論づけるのはかなり短絡的ではないだろうか。

 

僕が思ったのはそもそもの話として現実的という言葉がかなり意味不明な言葉になっていることだ。今の社会を見渡した時に現実的という言葉ほどむなしく響く言葉はない。

現実とはその人がそれを客観的現実として正しく認識できる環境のうえに成り立つ言説であり日本はそれを認識できる環境ではすでにない。

個人主義により個々人の現実は分断されているうえ物質的に充足されている為に非正規や派遣などの低賃金労働者でも生活上の満足度は高い。全員が牛丼を食べることができて全員がユニクロの服を着ることができる社会において個々人の現実は政治に影響しなくなっていく。個々の現実はあるがそれが政治に反映されるには全体と比較するものが必要となる。全体を見た時に自らの現実の不遇さに人は初めて気づくものであり、その意味で全体と繋がっていない「個々の現実」は政治的な影響力を持たない。

貧困の罠から抜け出す梯子は存在しますが
それが適正なところにあるとは限らないし
人々はその梯子をどう上がればいいか分からず
さらには上りたいとすら思っていないようなのです

テラフォーマーズ164話 『貧乏人の経済学』[アビジット・V・バナジーエスター・デュフロ、山形浩生 引用部分より

 

貧窮している人間が貧窮しているからといってただちに政治に助けを求めることができるかといえばそんなことはない。むしろ現実的であればあるほど自らの貧窮を肯定することになり現状維持バイアスが働く。つまり現実的という考え方は政治的にはほとんど意味のない言葉だ。個人主義が徹底された社会において人は自らが現実だと思い込んでいる間違った現実がすべてだと思うようになる。それが貧すれば鈍するという言葉の意味である。

結果としておかしいものはやはりおかしいのだ。労働者の4割が非正規である日本において現実的な選択として小池百合子安倍晋三に投票することはほとんどの国民が自らの現実を正しく認識していないことを示している。

自己責任論の観点からもそれは言える。山本太郎氏が演説でコロナによって失業したホームレスの方を支援していると話していた。そのホームレスの方は残金が数百円しかなくそれでも自らの不遇は自らが招いたものだと考えていたようである。いま目の前にある現実は自己責任だという間違った現実主義により弱者の口は封じられていく。それが日本における自己責任論という似非現実主義の正体だ。

 

個人主義と貧困、そして自己責任論によって現実が無化された社会において現実が政治に影響を及ぼすことなどない。その意味で現実的という言葉ほどむなしく響く言葉はない。

いわゆる社会学的な言説においてもそれは言われている。日本は全員が小綺麗な格好をしているため外見からは弱者を弱者と識別できなくなった。そのため弱者が連帯できなくなっている。たとえばアメリカにおいては黒人の平均所得が低かったりそれによって差別されている為に黒人同士の連帯が可能となっているが日本ではぱっと見ても誰が貧窮しているのかわからない。

路上からホームレスを締め出して非正規でも最低限の生活を維持するだけの賃金を与えることにより外見的に誰が貧窮しているのか極めてわかりずらい。そうやって弱者が連帯できないうえに個人主義社会で分断されている。そのすべてをもってみんな本当の現実がわからなくなっている。その意味で政治的な文脈における現実的という言葉はなんの現実も反映しないのである。

 

 

 そう考えて小池百合子の再選を考えてみるといかに我々の現実が狂っているかが見えてくる。

たとえばこちらの記事では低所得者ほど小池氏に投票したというデータを示している。

kibashiri.hatenablog.com

 

 低所得者ほど保守化する傾向にあり現状維持バイアスがかかっていることがわかる。選挙のマス層である高齢者票および間違った現実主義により現状維持バイアスがかかっている貧困層の支持を集めている。

言い換えれば老後という現実にたいして保守するしかない高齢者と間違った現実を現実だと思い込まされている貧困層からの支持を集めている。つまり小池百合子に投票する層が多いからといってその結果をもって有権者は現実的であると言うことはできない。有権者の現実にたいする認識がゆがんでいるかぎりそれが現実的だと言うことはできないからだ。この結果からわかることは日本人は貧乏になり格差がひろがり個人は分断され資本の便益によって飼いならされもはや現実が現実のテイを成していないという絶望だけである。