メロンダウト

メロンについて考えるよ

増田という場所~低能先生とはてなの遠在性~

はてなブックマーク廃止論が言われているが当該事件に関して(もしもはてなにその原因があるとするなら)容疑者を駆り立てたのは増田のほうが原因として強いと思う。

 

僕ははてなのサービスの中では増田を最も使っている。これはちょっとした告白だが500以上記事やレスを書きブクマされた総数は10000以上ある。

なぜ増田を書くのか、なぜ低能先生ははてなに執着したのか、増田を書く時にどういう心理が働くのか、増田とは何か。おそらくははてな民のなかでも数多くの増田を書いてきた自分だからこそ書けることがあると、そう思う。

 

なにも増田なんかに書かなくても書きたいことあればこうしてブログに書けばいいじゃないかと普通は思うだろう。しかしそんな簡単なことでもない。ネットといえど体裁があり恥がありセキュリティーがある。だから僕は増田とブログを併用している。

ブログに書かないような個人的な話や自分の暗黒面に関して文章としてさらけ出して「読まれる」場所は増田ぐらいしかない。読まれるということが重要なことだ。普通、ブログに意味不明な乱文を書き飛ばせば読者は引き、離れていく。人間の本音なんてそんなものだ。ブログがメディアになる条件は体裁をとり最低限の社会性を装備した文章を書く時に限られる。普通、人間の本音など他人が読んだら引いてしまう。それがバズり世界と接続することは通常ない。しかし増田は違う。低能、ごみくず、死ねなどという言葉を使っても読まれる。あるいは炎上する。放置されない。それはインターネットの炎上自体がそうなのだが増田のような読まれる媒体がないかぎり普通は表に現れてこない。ツイッターで炎上するのは多くが有名人であるがフォロワー10の人のような身内でやっているツイートはそれよりも無警戒で卑しい本音で溢れている。しかしツイッターには増田のような媒体がないので世界と接続しないゆえに炎上し批判されることもない。

低能先生もヤフコメや5ちゃんのような場所にいたら永久に放置されていただろう。世界と接続し、煽られ感情を揺さぶられ殺人まですることもなかったかもしれない。

本音を書いても世界と接続する場所。それが増田のオリジナリティーである。その意味で僕にとっても(他の増田ユーザーにとっても)増田こそが旧来的な意味でのいわゆるインターネットそのものなのだ。そしてそれは低能先生もそうだったかもしれないという意味で(彼の行動に決して同情はしないが)僕が低能先生と同窓であることは間違いない。

 

ネット社会、監視社会と呼ばれるようになってもう幾年も経つ。インターネットにさらけ出す本音が社会を神経質にすると言われてきた。それも過渡期を過ぎ、もう社会はそういうものだと半ば諦め当然とされるような段階まできて最近はあまり聞かなくなった。

人の本音が目に見えるようになったこと。そしてポリコレ棒で本音を叩きすべての人が繋がることは本当に良いことだったのか、今回の事件を最大マクロとして捉えるならそんなことを考えてしまう。

異常者が暴走した、理不尽極まる殺人だとミクロで言えばそうとしか言えない。しかし理不尽ではない殺人など本来ない。それでも原因を見通さなければならないように感じてしまう。責任があるのではと。

Hagexさんの死は理不尽で片づけるにはあまりにも理不尽だ。低能先生が世界(はてな)と接続しないかぎりHagexさんが殺されることはなかった。そんなふうに考えてしまう。

 

増田が本音を書いても世界と接続する場所である一方でそれを繋ぐ役割を果たすのがはてなブックマークである。はてなブックマークの弊害に関してfujiponさんが書かれていたが自分も以前、書いたことがある。

fujipon.hatenablog.com

plagmaticjam.hatenablog.com

概念にたいしてコメントしているだけ

 

 

ある議題やあるニュースにたいして誰も人を見ていないのだ。ある構造とかある概念とかある社会問題とかある関係とかある不倫とかある発言しか見ていない。

それはよくも悪くも。

 

僕はあらゆるプラットフォームでその特性が最も強いのがはてなブックマークではないかと思う。

外部のサイトをブックマークしてコメントを集めるという方法は他のプラットフォームよりも段階的に視点が遠い

 

はてなブックマークを一言でいうなら言いっぱなし言論プラットフォームである。ブックマーカーにたいしてリプが飛んでくることはめったにない。低能先生のようにidコールを多用して話しかける人も皆無だ。その意味で責任から逃れているはてなブックマーカーにたいして義憤を感じていた低能先生の行動は理解できる。コールしても無視されるので低能と煽り返信を求めていたのかもしれない。手斧などと言われるはてな界隈であるが本気で言い合って解決することなどはてなにはない。というかはてなが最もない。構造からして無謬だ。ブログでの議論も最終的に決着させるのはブックマーカーである。

はてなが手斧が飛び交い議論する場所、集合知を洗練させていくような場所だという認識は100%間違っている。はてなはブックマークにかこつけて言いっぱなすだけの無責任野郎の巣窟だ。そう低能先生も認識できればよかった。くしくも低能先生も無謬という言葉を使っていたがそこまで至っていたのであればなぜそう切り捨てられなかったのか。いまさらながらにそう思う。

彼がネットリンチと言っていたこともその意味で理解できてしまう。はてなブックマークの遠在、外部性、無責任、対話をするインターフェイスがないこと。idコールでびびる無謬性。そのすべてにイラつくことはブログや増田が炎上したことがある自分にも理解できる。殺人に至るというのは甚大な倫理の隔たりがあるが僕も刺す側の人間なのかもしれない。

 

anond.hatelabo.jp

 

僕ははてなブックマークを廃止しろとは言わない。

ただ、ブックマークにコメント機能を持たせるなら対話をするインターフェイス(たとえばコメント下部をツリー化して反論できるような)を実装しブログや書き手にたいして責任を持つべきだと思う。

そうでないのであればコメント機能を停止するべき。

低能先生がなぜ生まれたのか、なぜ世界と接続して世界に殺意を持ったのか。一見するとユーザーを集めることを目的とした「便利なブックマークの無責任機能」にも遠因がある。

以上のすべてが殺人に至るまでに想像しうる過程であるがしかし殺人の動機を説明するには不十分な気がしてならない。というかはてなが殺人を生んだというのは誤謬がありすぎて言葉にするのも躊躇う。しかし遠因として「考えることができる」とその程度の認識だ。十分に理解しうる殺人の動機など理解できることそのものがまずいのだが・・・なにか書かなければという思いしかなく、不十分なままですが投稿します。

 

今回の事件は個人的にもショックが大きくはじめて「知っている人が殺されていなくなった」という衝撃がすごい。悲しむというとhagexさんと面識がない人間としてはどうかと思ってしまうような複雑な感情もあり、どう処理していいのかわからず、しかし理不尽と片づけるにはあまりにもショッキングな事件で・・・

忘れることはないだろうと思う。

改めてhagex氏のご冥福をお祈りいたします。