メロンダウト

メロンについて考えるよ

はてなブックマークの遠在性が見えた

インターネットといえどけして一枚岩ではなくそれぞれのプラットフォームでそれぞれ癖がある。僕はいろんなところを遍歴しここはてなでブログを書いている。

はてなで感じるその空気に僕はすこし違和感を感じていたのだが遂にその違和感の正体を突き止めたのでここに記録しておきます。

 

 インターネット自体が疑似コミュニケーションと言われることがある。ネットを介したコミュニケーションは相手の顔が見えないので雰囲気や空気がない。それは良い意味でも悪い意味でも。

僕はどちらかといえばそんなインターネット上のコミュニケーションにおいてはむしろポジティブに捉えているほうだと思っている。雰囲気や空気がないからこそできる発言があって、それは絶対に現実では聞けないことがネットでは聞けたりする。そういった意味で僕はインターネットのコミュニケーションは非常に価値がある。もしくは「価値が別」なものと認識している。

 

 

しかしはてなブックマークのコメントはそうした疑似コミュニケーションとはもう一段階またメタな領域で発言しているように見受けられる。

 

というのも最近書かれたますだについたブックマークコメントでこんなコメントがあった。

余命宣告されて嬉しい

おめでとう!

2016/07/16 03:40

b.hatena.ne.jp

 

余命宣告されてうれしいと言う人に「おめでとう」だ。

これは対人関係での会話となれば完全に破綻している。もちろんますだがどういう人生を生きてきたかわからない。記事内だけを見れば死ぬことが嬉しい、楽になれると感じるほどに苦悩の連続であったことが書かれている。しかしおそらくどんなに少なくてももうすこし生きたいという未練、生きていて良かったという経験もあるはずなんだ。死に感謝するような厭世観を悟るような人間でも自殺するような人でも絶対にあるはずなんだ。

人間そんな明暗白黒はっきり切り取れるような感情なんかない。特にこういう死とかものすごいシリアスな問題となるとなおさらだ。決心して悟ることなんか容易じゃない。0、数%はどこか後ろ暗いしどす黒いしネガティブな感情にも支配されざるをえない。

 

ますだも自分が死ぬなんてわかったんだからそれこそ僕にはおよびもつかないほどに色々考えてでもそれでも楽になる方法として死ぬことも「悪くないな」と思ったんだと思う。それは「嬉しい」なんて単純な感情じゃないと思う。ただ死に対してどう向き合うか考えた時に嬉しいのほうが悲しいよりも強かった。でもやっぱり悲しいし生きたいとも思ってると思う。

 

だから「おめでとう」という言葉はどんなに最悪の人生を歩んで今にも自殺しそうな人にたいしても言えるセリフではない。

実際にこんなこと余命を告白された知人の目の前で言う人間がいたらそれだけでサイコパス認定していいぐらいだと思ってる。

 

 

じゃあなんでこんな発言が可能になりあまつさえ大量のスターがついているのかといえば

 

ますだの人生ではなくて死という概念にたいしてコメントしているだけ

だからこんな発言が可能になる。つまりインターネットのコミュニケーションの人間の不在性ということが言えるだろう。

 

ある議題やあるニュースにたいして誰も人を見ていないのだ。ある構造とかある概念とかある社会問題とかある関係とかある不倫とかある発言しか見ていない。

それはよくも悪くも。

 

僕はあらゆるプラットフォームでその特性が最も強いのがはてなブックマークではないかと思う。

外部のサイトをブックマークしてコメントを集めるという方法は他のプラットフォームよりも段階的に視点が遠い。ヤフーコメントはヤフーのニュースにだけつけられるので閉鎖的でより通常の対人関係、ムラ社会に近い。フェイスブックなんかは実名での書き込みで人との距離が近い。

twitterは、はてブよりもアカウントのブランディングを棄損する発言はしにくいのでやはり近い。

はてブに一番似ているのは2ちゃんねるだがあそこは板ごとに様式美のような空気があるのでおかしな発言は「半年ROMってろ」などと袋叩きにされるので自浄作用がある。

 

はてなブックマークは遠い。外部のサイトに言及するという方法はそのニュースや人間に関しての実像を構造的に客観視しすぎる要素があるのではないか。メタメタメタメタと。

自分ははてなに馴染めないということを感じる時があるのはそれが原因でもともと人間が不在になりがちなインターネットでもはてブはさらに遠いのだ。発言の内容が良いとか悪いとか以前の問題で余所余所しすぎる。

 

余命宣告されて嬉しいにおめでとうをなぜ言えるのか、それは誰もますだの悲哀と直面してはいなく自らの死生観を吐露するだけだからだ。相手がどう思うのか考えているようで考えていない。それはnekoraさんのコメントだけではなくあのますだについた大量のブックマークのコメント群が物語っている。

僕個人も死にたい、というより生きたくないという感覚は理解できるし共感も同情もする。しかし死にたいという相手がいた場合はやはり止めるだろう。理由などないが止める。余命宣告されて嬉しいと言われたら・・・わからないがそうかと沈黙するしかない

 

はてなブックマークだけではなくはてなブログも独特だ。他のブログサービスでは多くがブログ内のコメントでやりとりして自分と相手のコミュニケーションで済む話だがはてなブックマークでコメントされるとどう取り扱っていいか対処に困る。観客席からヤジを飛ばしている人間にまともに反論しだすプロ野球選手のようなこちらが幼稚なんではないかと思いとどまる。

 

遠い、いまこの記事を書いていても感じる。

 

 

遠望

遠望