ヨッピーさんがいろいろ考えていた。
はてブ批判はよしき(tyoshiki)さんがいつも書いてるけど、結局何も改善しないんですよね。
僕も書いたことがある
あらゆるコメントによる批判は批判に届いていない。それこそ噂話に過ぎず噂話+なんかよくわからない批判めいたことを言っている点でまったく建設的ではない。
噂話はそれ自体が暴力的であるがそれプラスなんか偉そうなことを客観的風に言っている権威主義的な側面もあって相乗効果で人を傷つける。人は単純な誹謗中傷にそれほど傷つくのではないと思っている。それが誹謗中傷にしか見えないから傷つくのであってその意味で相手にたいして礼もなく批判にもなっていない噂話は実質的にはすべて誹謗中傷でしかない。その点でブコメは最悪である。噂話も客観的意見もマウンティングも批判に届かない批判もすべて本人のことを考えていない点でひどく冷たい。人は誹謗中傷に傷つくのではない。
その冷徹さに凍てつくのである。
みんなはてブ批判は書いてるみたいでまとめてる増田があった。もう10年以上前から言われてる話らしい。
建設的APIの実装により短文コメントが人気コメントに入らなくなったりidコールが廃止されたりしたけど、あまり変わっていないように見える。hagexさんの事件も喉元過ぎれば熱さを忘れたみたいで元の木阿弥となっている。
長年見ていて思うのははてブの問題ってUIを変えればなんとかなる類のものではないと思うんですよね。
はてなブックマークの問題は自分のコメントが筆者に読まれるという「戦慄の無さ」がすべてであるように見える。良く言えば客観性を実現しているとも言えるけれど裏を返すとコミュニケーションの作法を無視しているとも言える。相手を批判し考え方を修正したいのであれば言葉の使い方に気を付けるべきというのは、おそらくはてブで誹謗中傷めいたコメントをしている人も現実ではやっていることであるはずだが、はてブになると途端に「相手がいないコメント」を書くようになる。
ブログに批判がくるようなときもそのコメントの内容の是非よりも言葉使いのほうが目に付いてしまうため、何を言っているのかに関わらず、批判の内容の前に相手が自分のことを考えていないように見えるその「外在性」のほうに引いてしまうことがよくあった(過去形なのは人気エントリーに入ることがなくなったからです)
その外在性を批判するのはもういろんな人がやっているし、インターネットの匿名性がそういうものだと言えばそういうものなわけであるが、ブックマークというサービスはその性質上、匿名性によって他者がいないコミュニケーションが広がりやすいのは間違いないように思う。逆に言うと相手のことを考えないことで誰もが自分の意見を率直に述べられるため真に客観的な意見が陳列されるのがはてブの特徴でもあると思うし、そのような空間は時に参考になることも事実であるのだが、これだけ現実とインターネットの境目がなくなってくると旧来的なインターネットの匿名性が許される時代でははなくなっている。良くも悪くもその時代性に取り残された残滓が今のはてなブックマークであるように見える。
「何をどうすればはてブの誹謗中傷がなくなるか」というのは「何をどうすればインターネットの匿名性による誹謗中傷がなくなるのか」というのと同じであり、結論から言えばそんなものは無理だと言う他ないように思う。
現にはてブだけでなく5ちゃんねるのような本人の目に届かない場所では今でもめちゃくちゃな事が書かれており、相手が読まないという想定のもとでは自分の感情をそのまま書いてしまうのが人間の性であることはインターネットの歴史が証明している。
掲示板的匿名空間には他者がいない、と考えている人を排除できない。言い換えればコミュニケーションをするつもりがない人が一定以上混じってしまう。それがはてブの宿痾であり、それをどうにかするのははてブというサービスの構造上、不可能であるというのが僕の結論である。
ただ、個人的に、僕ははてなの客観性はけっこう「貴重」なのではないかと思っている。これだけ現実とインターネットがシームレスになると他方ではもともとのインターネットが存在する場所がなくなってきている節もあり、はてブのような露悪的だが権威も礼儀も無視するコミュニケーション空間は逆に価値が出てくるのではないか、ということも他方では思ったりするのである。