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Deposit always wins~余命投票制度に関する違和感~

シルバー民主主義が無視できない問題として顕在化している結果なのか、たかまつななさんが「余命投票制度」を提唱して話題となっていた。

 

余命投票制度の理念としては2つ考えられる

・若年人口の減少によって若者全員が投票に行っても高齢者に比して政治への影響力は限定的になってしまうこと

・若者のほうが余命が長いため政策の影響を受ける期間が長いこと

 

統計ラボさんより引用した世代別の人口ボリュームである

https://toukei-labo.info/05_jinkou/05_jinkou.html

 

未成年を除く投票人口で見ると半数近くが高齢者であるため余命投票制度が必要になるという議論もわからなくはない。しかし若者が投票に行くことでリベラル政党が政権を取り社会がドラスティックに変化するなどということもない。

以下は前回の衆議院選挙でNHK出口調査した世代別の投票先である

https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/72512.html

 

政治意識の高い若者は実際にはかなり少数で、選挙結果からわかる通り多数の若者は自民党に投票している。その割合は高齢者よりも高い。若者のほうが保守的であるとさえ言える。したがって余命投票制度のような世代ごとに選挙権を按分するような制度を実装したところで保守票が増えるだけで自民政権をより強固なものにしていくだけである。ツイッターで政治議論をしている若者ならいざ知らず現実の若者は若いゆえに社会を変える動機を持たず美人投票的な投票行動をとりがちであり、その投票行動は結果として政権与党に資することになる。ようするに余命投票制度を導入しても何も変わらないのは目に見えている。

若者批判は御法度のような時代だが、現実問題として若者は過ごした年月が短いため政治を判断する指針や材料に乏しい。それをとやかく言ってもしょうがないのだが、問題はこれだけシルバー民主主義が進むとその若者の若者らしさを顧みることなく「社会が若者のほうに合わせよ」という動きが出てくることだ。余命投票制度もそのひとつなのだろう。しかし若者に迎合しても何も変わらない。それは選挙結果から明らかになっている。

 

はっきり言うと若者が政治的影響力を持てるようになれば社会が良くなるといった言説は言論人がメディア上で行っている人気取りに過ぎないと思っている。というのも、僕が知る限りメディア上で若者の愚かさに言及している人はほとんどいないからだ。高齢者の認知問題などと対置させることで若者のほうが有能だといった言説はしばしば目にするが、若者もまた問題を抱えていることを無視すべきではない。時代にアップデートされたZ世代といった言説がまことしやかに言われているものの、他方では回転寿司に唾をつけるぐらいには何も知らず愚かなのが若者の姿であり、その両方に言及せず良き若者像だけを取り上げて政治への申し立てを行うのはポジショントークの域を出ずフェアな議論とは言えないであろう。高齢者をはじめ大人が愚かであるのと同じかそれ以上に若者もまた愚かである。その愚かさを調停するのが民主主義であってようするに民主主義では選挙においてはもちろん政治的言説においても「馬鹿」もとい「馬鹿さ加減」を排除してはいけないのである。

若者の選挙権を拡大しても何も変わらないのは統計上明らかである。けれど若者の選挙権を拡大せよと言うとそれを言った人のプレゼンスは拡大する。余命投票制度はそれだけの話に見える。若者と政治の関係はSealdsの頃からずっとそうだった。

 

 

ではどうするかと言えば、現実的に今の状況を変えようとするなら被選挙権に切り込むべきである。選挙権を按分しても若者のための政治が実現することはないけれど被選挙権はその限りではない。

たとえば日本には供託金の問題がある。

ジェンダーギャップ指数と供託金の関係および男女平等にたいする所感 - メロンダウト

女性の政治進出(一般男性の政治進出)で具体的に問題なのは供託金のほうでしょう。

ジェンダーギャップ指数の順位が良い国では供託金がないかもしくは日本よりものすごく安い。

アメリカ、フランス、ドイツ、イタリアは供託金が0

イギリスは9万円、カナダが7万円 オーストラリア5万円、オーストラリア2万5千円、インド2万5千円で普通の人が支払える金額となっている。

ジェンダーギャップ指数が日本と同じくらい低い韓国が150万

日本は突出して高く比例で600万、小選挙区で300万と馬鹿げた金額が必要とされる。

 

日本では性別関係なく出馬するのにハードルが高すぎる。なので政治的な地盤を持つ人間が供託金をペイできる想定のもとでしか選挙に出馬しない。女性のほうが既存の政治家が少なく地縁を持たないし経済力もないのでそもそも出馬すること自体が他国に比べて極端に難しい。しかしそれは女性に限った問題ではない。男性が抱える問題でもある。その結果、女性政治家および女性閣僚の数などが他国に比べて低い。安倍も鳩山も他の議員も二世だらけで新しく政治に参加して権力を持つことは男性にとっても極端に難しい。

つまり日本の政治における差別とは女性差別ではなく新人差別でしかないわけだ。

 

日本の供託金は世界でも突出して高い。言い換えれば選挙に出ることが難しい。実質的な被選挙権は制限されている。特に経済的余裕がない若者が出馬するのは事実上不可能となっている。

 

供託金は一例に過ぎないが、何も変わらないことがわかっている余命投票制度よりも被選挙権に切り込んで若者が出馬できる環境を整えたほうが良いのではないだろうか。というのも人口のような変更不可能なものと違い投票先の政治家は一人いればいいからだ。

Z世代は外れ値的天才が各所にいる。将棋の藤井聡太さん、野球の大谷翔平さんに佐々木朗希さん、サッカーの三苫薫さんなど。政治でも門戸を開くことで有能な個人を取りこぼさないほうが大切なのだろう。

自民党の総得票率が国民全体の2割という状況を見ても全世代的に投票する政党がないのが今の政治状況であり、そのような状況では若者の票の絶対数が少なくても相対的に見れば決して政治を動かせない票数ではない。問題なのは若者が投票する先がないことである。このような状況で問題とすべきは「票の按分」などではなく「票を投じる先に蓋をしていること」であろう。

仮に人口ボリュームの不均衡やそれに伴う世代間の分断があるとしてもその分断を政治的に受け止める投票構造がなければまずもって話にならない。そのために「実質的被選挙権」のほうをこそ議論すべきではないだろうか。