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五公五民と不健全な経済議論の必要性

高齢化社会やエネルギー価格高騰による国民負担率の上昇を機に五公五民がニュースになっている。

五公五民とは江戸時代の年貢率のことであるが、2022年の国民負担率(国民所得に占める税金や社会保険の割合)も47.5%になったようである。ちなみに国債発行による財政赤字も含めると60%を超えているみたいです。

 

国民負担率47.5%で「五公五民」がトレンド入り「日本中で一揆が」「江戸時代とどっちがマシ」の声(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース

 

 

 

江戸時代は米本位制であったうえ年貢の納め方も今とは異なる形だったため単純に比較することはできないものの近年と比較しても国民負担は上昇しています。

国民負担率の統計が始まったのは1970年度ですが、実はこのときは24.3%しかなかったんです。20年前の2002年度でも35.0%でしたが、高齢化にともなう社会保険料の増加などで、2013年度に40%を超えました。

 

社会保険料や税金が下がる気配はなく、高齢者の医療費その他もこれからさらに上昇していくだろうことは容易に推測できるので現実的にはもう「覚悟」するしかないわけであるが、それにしてもいよいよ破綻の足音が聞こえてきたようにも思えて怖くなってくる。こうなることはもうずいぶん前から予見されていたことで驚きはないのだけどしかし現実に迫ってくると恐怖を感じずにはいられない。

 

そもそも何故こんなことになったのかと言えば「失われた30年」に言及しないわけにもいかない。

バブル崩壊後、緊縮財政を繰り返してきた自民党政権により日本経済は長らくデフレとなっていたが、アベノミクスにより金融市場は回復を見せるようになった。けれど金融市場の恩恵が国民に波及することなく企業の内部留保に回り実体経済のデフレは回復せず、国際的なインフレ圧力とロシアウクライナ間の戦争によるエネルギー価格の高騰によって悪いインフレ(スタグフレーション)になったのが現在の状況となっている。

こうなった原因はいろいろ指摘されていて、僕が知っている範囲で列挙してみると

財務省による緊縮圧力

・小泉ー竹中政権による派遣法の改正による労働者の非正規化

・グローバリゼーションによるキャピタルフライト及び底辺への競争

・消費税その他の増税

・IT化への適応に遅れたこと

少子化

 

結果、実質賃金は下がり続け一人当たりGDPも先進国水準ではなくなっていった。

日銀総裁白川方明氏はマクロ経済に与えるインパクトは人口動態が大きいと述べていたように、様々な失敗はあれど結局のところ少子化によって人口ボーナスが終了したことが日本経済低迷の根幹にあるのだろう。生産人口が減れば国民負担を上げるしかなくなる。身も蓋もなさすぎるのだが、経済の母体はやはり人であるので人がいなくなれば経済も縮小していくしかない。

 

このような状況に一石を投じようとしているのが現代貨幣理論、通称MMT(Modern Monetary Theory)であるが、個人的にはあまり機能すると思っていない。MMTの理論的支柱のひとつに租税貨幣論というものがあり、簡単に説明すると税は財源ではなく通貨を流通させる仕組みであるというのもだ。緊縮派のように歳出と歳入のバランスを取り赤字国債の発行を抑えるやり方と違い、自国通貨建ての国債(いわゆる内債)は破綻することがないためデフレ下においては財政赤字に関わらず通貨発行して需要を喚起しマネタリーベースを増やそうというものだ。

理論的にはよくわかるものの、これを金融市場でおこなったのがアベノミクスであってその結果どうなったかを考えると諸手を挙げて賛同する気にもなれない。

名目上のマネタリーベースを増やしても実質(労働所得)は希釈されていくだけなのでそこまで効果はないように見える。というのも日本には下請け構造があるからだ。五輪の時に7次下請けが話題になっていたし原発事故の時も多重下請けが問題になっていたけれど、どこの業界にもいる中抜き業者が公金を吸い上げるだけでMMTを実装したところで結局のところアベノミクスと同じ結果にしかならないように見える。国債を発行しても末端の労働者にいく頃には雀の涙のような金額になっていて可処分所得が増えないという仕組みが日本経済にはある。最たるものが非正規労働者で、上述したような経済構造に噛めない人間にはとどのつまり何も残らないのであってMMTだろうがアベノミクスだろうがこうした構造的搾取の前ではその効果は限定的になってしまうのは明らかである。そして、当然ながら労働者に可処分所得がいかなければ需要増にはならずデフレ(もしくはスタグフレーション)が続き、経済は横ばいのまま推移していくことになる。

 

正直言うともうこの辺の需要を喚起する「健全な経済議論」は無理だろうと思っている。

メディアに出てる人は誰も言わないけれど経済学においてデフレを解決する方法としてもうひとつ上げられるのは供給を減らすことでありそちらを考えたほうが良いのではないだろうか。

デフレーションが何かと言えば「需要不足/供給過多」であるので供給を減らせばデフレ脱却に繋がる。生産性の低い中小企業や公金にたかる中抜き業者がいなくなれば経済が回るようになると言えば直感的にも理解しやすい。他にもヨーロッパがそうしているように市場で寡占的に振る舞うプラットフォーマーに税金をかけるなどして供給を抑えるなどすればベンチャーへの投資(需要)が増えることが期待できる。極端なことを言えばテレビ局がひとつなくなれば電波枠が空き、供給が失われた分、需要が生まれるというのがデフレを脱却するための「不健全な経済議論」である。

しかし現状、政治家は世襲議員が多いため「経済保守」が大半であるのでそのようなスクラップ&ビルドが起きにくい状態になっている。したがってあまり期待できない。

岸田政権を見るに自民党は政治的にはリベラル政党であるけれど経済的には頑なな保守政党に見える。立憲民主や共産党も経済保守である。財政政策や金融政策の効果が限定されている今の状態を考えるに政治に必要とされているのは「経済リベラル」なのだろう。わけのわからない構造を取り除き平等な競争を促進するリベラル政党が力を持てればMMTアベノミクスも機能しうるけれど、現状そのようなことは期待できない。

 

いろいろ考えてみても人口動態という決定的な状態にたいしては効果が薄いように思う。マクロ経済に期待するには遅すぎた・・・

五公五民の世の中では個人の戦略だけが残っていくようになりそうではある。けれど人々が耐え切れなくなった時にこそ個人の声を拾う経済リベラルが出てくるようになるかもしれないなんて淡い期待を持っていたりもするのである。