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岸田政権は八方美人すぎる

経済についてだがなにかいよいよきつくなってきた感じがある。買い物に行くと体感で4割は高い。物流のほうも2024年問題が迫ってきているしどこも人手不足であるのに給与の上昇率はそれほどでもない。高齢化で介護人材が足りなくなるという話もこれからますます深刻化していくだろう。とりわけ建設業界は人が集まらなくなっているらしくあと数年もしたら都市部でもインフラの維持問題が顕在化していくことになると思う。そんな中で台湾有事の危機があり防衛費への支出も増やさなければならない。エネルギー問題もある。

国民負担率も5割近くになっており、最近行われた税制調査会では退職金への増税や通勤に課税する案が出ているらしい。フリーランスの方にはインボイス制度の問題があったりと、いろいろなところでこれまで当たり前とされていたものが軋みだしている印象がある。

 

そんな情勢とあいまってか岸田政権の支持率も下落しており、時事通信の調査によると

30パーセントまで下がっている。

岸田内閣、支持率30.8%でささやかれる「もう危険水域」の声…「青木の法則」いまも成り立つのか(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース

 

岸田政権のやっていることは一見すると宏池会らしいリベラルな政策が並ぶ。しかし全体として見るとなにもかも中途半端な印象を受ける。無論、それはリソースの問題があるのは否めない。ただ、それを差し置いてもどこを向いているのかがよくわからない。たとえば少子化対策として3人目を生む世帯への支援を行っているが3人産むことはいまや希少であるため「やってる感」を演出しているに過ぎないように見える。各所で指摘されている通り少子化の原因は未婚化であるため独身者や若年層の給与をあげる政策をとったほうが効果的であるはずだが、そうすると手広くなりすぎるため政府の懐事情を踏まえると難しいということなのだろう。

また、今年、税制調査会が開かれた理由としてPB(プライマリーバランス)の黒字化目標というのがある。これは安倍政権の時には停止されていたもので、いわゆる財務省的な国の借金がなんたらというのを根拠にした政策である。これが岸田政権になり復活しそのPB黒字化を土台として増税の話が出てきて、同時に歳出も抑えようという動きになっているようだ。PBの黒字化目標自体がかなりの悪手であり、政府のバランスシートの健全化というのはかつて官僚主導と言われていた時期に行われていたデフレ政策と酷似しているわけだが、少子化対策やPB黒字化を見ていると岸田総理は「全員に良い顔をしようとした結果、最悪を招きかねない人物」なのではないか。そんな危惧を持つようになった。

上述した少子化対策についてもやってる感は出すけれど解決するほどのリソースを投下するわけではない。PBの黒字化目標も現実には無理であるはずなのに財務省の顔色を伺う形で税制調査会を開き、通勤税などの無理がある税制が並ぶことになる。

また、外交面でもそうだ。ハト派として知られる岸田氏は外交において途上国への出資を行っている。代表的なもので言えばフィリピンへの2000億円出資である。これは安倍政権時代にまとめられたものであるが国内でこれだけ問題が山積しているなかにあっても岸田氏は支援を継続している。

少子化対策もやりPBの黒字化目標もやり外国への支援も継続する。それぞれを取り出せばなんのことはないが、すべての方面に良い顔をした結果、全体としては締め付けられる形となり国民に負担を強いるしかなくなっている。それが岸田文雄による八方美人的政権運営なのである。

 

しかしこれは何も岸田氏特有の態度ではない。自民党そのものとも言える。というのも自民党はよく保守もリベラルも飲み込む懐の深い政党だと言われることがある。

現在首相である岸田氏が会長を務めるリベラルな宏池会と保守的な勢力を抱える清和会。党内で新陳代謝を生み、他の政党を寄せ付けないままここ数年は自民党の一党支配と言われてきた。それが近年の政局である。しかしながら、これからその懐の深さに限界がくるようになると個人的には予測している。

かつてまがりなりにも世界で有数の経済大国だった日本だが、そのリソースやレガシーを使い政治は多方面にたいし良い顔ができていた。岸田氏のハト派的政策の数々もその時代の名残であろう。その状況の中で懐の深い自民党が広く浅く支持を集めていた。しかしこれからは何を削りどこへリソースを持っていくかという選択の時代へと変化していくようになる。そのような国内の事情を鑑みた時、懐の深さを売りにする自民党はその懐の深さゆえに支持を失っていく可能性がある。平たく言えば今の日本ですべてをカバーすることは不可能であるからだ。

 

時代に敏感な最近の論者で言えば成田雄輔氏が高齢者の自決を言っていたのが記憶に新しい。あの発言も選択せざるを得ない日本の財政事情を加味した結果出てきた言葉だったのであろう。もちろん高齢者の自決というのは現実的なものではない。しかしそこまで過激なものではなくもっと隠匿的な政策が出てくるようになると予測している。たとえば維新の会の議員が生活保護を廃止しBI(ベーシックインカム)に統合するという話をしていたように、一般国民にはそれとわからない形で事実上の棄民政策を取るということ、そしてそれを生活上の苦難からしょうがないものだと国民が支持してしまうということ。それは何もありえない未来ではない。

現実問題としてそうやって表面上は平和だというテイを取り続けてきたのが日本である。暴排条例を敷いて街から暴力団はいなくなったが闇バイトという形で一般大学生が犠牲になったり、ホームレスを排除アートにより公園からたちのかせネットカフェに押し込んだり、統計上はカウントされないミッシングワーカーの増加であったり、入管にょる難民への差別的対応もそうである。

街が掃除されていくことで治安や美観が保たれ、ややもするとかつてよりも「良い国」であるかのように錯覚することができるが、異物を掃除していった結果もはや街が現実を反映しなくなっていっているだけだという見方だってできる。

国民はそのような幻想の中にあり政治にたいし無関心でいられたし政治もその幻想を守る(良い顔をする)ことで回っていたのがここ数十年の日本だったように思う。けれど生活上の困難がこれだけ顕在化してくるといよいよもって「普通の国民」が困難を強いられるようになりなにか変わっていくのではないだろうか。そんな予感がある。

いや、もちろん何も変わらないかもしれない。ただ、いずれにせよ岸田政権が行っているような全方位に良い顔をするやり方は瓦解せざるを得ない。そんな気がしている。