メロンダウト

メロンについて考えるよ

怒りの貴重さについて

1200文字程度。走り書きです。

 

ROLLYさんがライブを視聴したファンのツイートに粘着とも取れる返信をしていたのを見て、とてもらしいなと思った。それどころかすごい好感を持った。ちゃんと怒る人のほうが信頼できる。

ネット上ではいちファンのツイートにたいして「やりすぎ」「老害」といった意見が多かったみたいだけどROLLYさんにとってはそれだけ大事なことだったのでしょう。

【謝罪済】有名タレントROLLY(ローリー寺西)が一人のファンのツイートにプライドを傷つけられ、執拗に問い詰める様子が見ていて辛い件。 - Togetter

 

個人的には見ていて辛いという感想は抱かなかった。リプライを向けられたファンの人も同様ではないかと思う。

 

何がその人の琴線に触れるかは本当によくわからない。他愛ない発言で怒りを買ってしまうことはままあることで、そういう時は往々にしてその程度のことで怒るなよと思ってしまうけれど、でも怒ってくれたからこそその人を理解することができるという側面があったりする。端的に言って怒っている瞬間というのは貴重なのだ。

 

昨今は理知的な振る舞いが奨励されており、「怒りの居場所」がなくなってきている節がある。現実ではもちろんネット上のやりとりでさえ理知的なやりとりが良いものだと考えられている。さらには政治的な議論でも建設的な議論が良い議論だと考える人が大多数ではあるだろう。

しかしそのような理知的な話というのは話をする際に言葉遣いに気を付けるという意味で表現方法が制限されているとも言え、その点では怒りであったり感情的やりとりのほうがその人を知る際には有用なのだ。ROLLYさんのように全力で怒るのはおよそ社会的な振る舞いとは言い難く、その熱にあてられた人は離れていくこともあるだろうけれど、しかしそれでもなお怒りを表明してくれることは「有難い」ことなのである。

 

 

もちろんだからと言って皆が言葉遣いに気を付けなくなり言いたいように言い出したらめちゃくちゃになるので一概に「人の怒りを大事にしよう」と言うことはできないし言うべきでもないとは思う。ただ、こういうのもまたバランスであり、怒りを目にした瞬間に引いてしまうことは怒りという貴重な瞬間に触れる機会を逸してしまう点からもったいないことではあるだろう。ROLLYさんの件について言えば、いちファンの他愛ないリプライに粘着することはロックに傾倒してきた氏の人生の重さを充分に感じることができる瞬間なのである。

 

とはいえ理不尽に怒りを向けてくる人も中にはいたりするので、その辺りは区別しなければならないものの、およそ人が何に怒るかということほどその人を知るのに重要な情報はない。その瞬間を見逃さないようにはしたいものである。

怒っている人は泣いている。そう考えるぐらいで丁度良いのかもしれない。