なぜ山口氏(人間)だけが裁かれ酒は問題にされないのか - メロンダウト
アル中やアルハラの啓蒙活動は既にされてるし未成年は飲んてはいけないし飲酒運転は重罪だし、アルコールを飲んでいたからといって罪が免罪されるというならのあまりに不合理だし、こいつはただの逆貼りバカとしか
2019/12/20 18:10
なぜ山口氏(人間)だけが裁かれ酒は問題にされないのか
伊藤詩織さんの件に関して
伊藤さんが長年戦ってこられた今回の事件に関して判決が出た。山口さん側は控訴するみたいですが法的に判決がくつがえったとしても
酩酊状態で吐いていた女性とホテルに行き、性行為に及んだことは合意の有無にかかわらず倫理的な問題として認知されることだけは間違いない。仮に記憶がない状態のまま合意めいたやりとりがあったとしてもその合意を合意と受け取ることはやはり問題である。
それに関して山口さんに非があるけれど密室でのやりとりなので第三者が必要以上に語るべきではないだろう。裁判を受けしかるべき罰則を受ければそれ以上何も言うことはない。
僕がこの件に関して思ったことは二人の判断力をぶち壊した酒の存在である。
この件に関してのみならず強制性交、準強制性交の事件に関してほぼすべてにアルコールが絡んでくる。
女性にお酒を飲ませ判断力を奪うような故意のケースもあるが、楽しく飲んでいたらお酒のせいで男性の性的衝動が高まり女性も判断力がにぶり事件に発展するなども数多くみられる。特異なケースだと二人とも記憶がないまま起きたらホテルにいたという話も実際に聞いたことがある。
慶應大学の強姦事件に関してもやはり酒の存在があった。伊藤さんの件でもそうであるし多くの性暴力にかんする事件でプラグマティック(実際的に、現実的に)に人間を狂わせるのが酒である。
しかしなぜか僕達は酒を問題にしない。犯した行為の責任はすべて人間にあると考える。今回の事件に関する反応を見てもはてなでは酒に言及している人は0だった。ツイッターでもほぼいない。山口氏を糾弾するか伊藤さんを擁護するか、あるいはmetooやセカンドレイプに関する言説が大多数だ。
ここまで多くの事件で酒が女性を酔わせ判断力を奪い被害にあわせているというエビデンスがあるのに僕達は酒に責任を求めない。それはなぜなんだろうか・・・
実際、酒を極端に規制すれば性暴力の被害者も激減すると思うのだが。酒の販売をやめるとなるとアメリカの禁酒法などの悪しき前例があるので良策とは思えないが、例えば居酒屋などでは一人一杯までにするなど酒が人間を壊さないようにする規制などは充分考慮に入れていい。
metooが敵にすべきは本当に性暴力加害者だけなのだろうか。自宅に忍び込んで強姦するなどの異常性欲者による犯罪は防ぎようがないが強制性交及び準強制性交などの犯罪は酒によって引き起こされるものがほとんどである。
やれたかも委員会という漫画などもそれを証明しているが男性は目の前の女性を「やれるかも」と考えた瞬間に性的に駆動されうる。酒は女性をフラフラにし男性にやれるかもと思わせる。男性も男性で酒により理性が多少なり毀損している状態になりそういう状況のもとに準強制性交は発生する。山口氏も合意があったと考えていたと言っているがそれも実際にはやれた状況であると言っているに過ぎずその判断もなにもかも酒に一因があることは間違いない。
仮に彼が酒のせいだと言えば不誠実な発言と見なされバッシングされることは間違いないがそうして原因を外部に認めず当人に原因を求めすぎるのが問題を見えなくしている。当然、本人に責任はあるが原因はまったく別のところにあったりする。それを言い逃れとしてシャットアウトすることにより本質を覆い隠している。「人間という不完全な物体同士で口論している状態こそ」がまさに酒にとって思うつぼなのだ。
ものすごいベタな言い方をすれば人間なんかなんでもする動物でしかない。幼少期から社会性を教育され理性的に生きているように見せているけどなにかきっかけがあればむきだしの動物性が露わになる。たとえばそれは怒りだったり嫉妬だったりあるいは酒だったりする。5ちゃんねるやしたらばに罵詈雑言が書かれるのも伊藤さんにセカンドレイプするのも動物的であり他者からの目という社会性を取り払ったら人間はかくも動物的な生き物だと証明している。スマイリーキクチさんの事件で虚偽情報をもとに彼を罵倒して捕まった人の中にも銀行員などがいたけれど伊藤さんをセカンドレイプしている人も普段は善良な社会人として生きているのだろう。
その社会性を毀損するのがネットなのかあるいは酒なのかの違いしかない。人間などそんなものである。罪悪感を受容しろや更生しろ反省しろなどもそうだがみんな人間に期待しすぎだと思う。システムや物を変えるほうがはるかに効果的ではないか。それは一見人間同士のみの問題に捉えられがちなmetooに関しても言える。
人間が不完全で何かにクラックされる以上、そのクラックする大元に原因を求めるほうがはるかに論理的である。国家が人間に責任を求め罰を課すのは秩序維持以上のものではない。仮に性暴力をおかした人間がすべて酒のせいだとされれば秩序が維持できなくなり社会は壊れる。万引きするのは金がなく金がないのは景気が悪く景気が悪いのは政治が悪いなども言ってしまえるがそうなれば私有財産などの概念も壊れる。あらゆる犯罪においてそう言えてしまう。自動車事故などもそうだ。
犯罪を犯した当人に責任や原因がないわけではない。しかし人間という可変的で不完全な存在にその変化を求めても実際的な効果は期待できない。
人間が人間である以上、男性は酒を飲めば酒を飲んでフラフラした女性に欲情する。それは男性が抱える原理的な性そのものでありそれは普段理性によって隠されているに過ぎない。ならばその男性の理性を維持させうるにはどうすればいいのか。
その理性を毀損する酒を規制すればいい。
metooが敵にすべきは男性ではない。「男性性」なんていう何千年と続いてきたものを変化させるのは原理的に不可能である。
metooが敵にすべきは酒ではないだろうか。そんなことを思った。
今年はもうブログ書くかわからないので念のため
良いお年を
ジェンダーギャップ指数と供託金の関係および男女平等にたいする所感
ジェンダーギャップ指数に関するハフィントンポストの記事に違和感を覚える。
インタビューでしかないのでどういう根拠に基づいてそれを言っているのかわからないけれど無手に女性を称賛するこういう言動こそが女性差別の根本にあるのではないかとすら思う。
男女平等はまた後退 ジェンダーギャップ指数2019で日本は過去最低を更新し121位、G7最低 | ハフポスト
女性政治家を増やすと、能力のない人まで当選する」と不安がる人も多いようです。
いえいえ、今は、女性差別があることによって本来当選できないはずの能力のない男性政治家がいっぱいいますよ。そういう人が去ることになりますから安心です。女性の政治家は今少ないですし、バッシングもある。この状況で政治家を目指す女性は、よっぽど覚悟もあって能力も非常に高い人ですね。そういう人にぜひなってほしいですよね?
だから、女性を増やした方が、議会全体の能力は確実にアップします。実際に様々な研究からもそれは明らかですよ。
能力の無い政治家で見れば性別が関係ないように見えますが・・・
女性政治家でも批判なき政治の今井絵里子氏、官舎で料理研究の藤野真紀子氏、生産性がないの杉田水脈氏、どうしようわかんないの前川恵氏、谷亮子氏など政治家としての能力が疑わしい議員はいる。もちろん男性でもたくさんいる。
本来当選できないはずの能力のない人間というカテゴリーで考えるにその理由は男性にとっては地縁や血縁、財力でしょうけど女性でも容姿や知名度で当選することがある。能力のない人間が政治家になるは問題だけど能力のなさが問題になるのであればそれに男性と女性という枠組みは必要ない。男性と女性を能力という話にすりかえてまるで女性のほうが能力が高いように語ること自体が男性のみならず両性への差別だと僕は思うのだがこのインタビューが女性の社会進出をすすめたいと思っているようで大変な皮肉である。
こういう無根拠に話をすりかえて女性が優性であるような発言をすること自体が差別構造を生み女性を社会から遠ざけている。
「議会全体の能力」という物言いもよくわからない。議会は民主的な投票プロセスにより選ばれた議員が議題にプライオリティーをつけて政策を立案法制化していくのが民主主義である。民主主義はプロセスのシステムであって議会全体の能力という言い回しはそれ自体撞着している。
何を優先して政治的問題として取り扱うのか、例えば女性が議員になれば性暴力や家庭内暴力が議会で取り扱われるようになると上記記事で書かれている。では性暴力や家庭内暴力が厳罰化される議会が能力がある議会だと言い切れるのだろうか。まるで金言のように厳罰化は良いことのように思われているが量刑はその犯罪の重大さにそって決められるべきであり厳罰化が良いことだというのはただの正義マンでしかない。あるいは性暴力に予算やリソースを投入するぐらいなら社会保障費に回せという有権者もいるし財政政策などのほうが課題であるという有権者もいるし少子化が問題だという有権者もいる。
なにが言いたいかというとつまりそれら有権者の意見はすべて等価であり性暴力を解決してほしいといった有権者の意見が他の有権者の意見よりも重大だと見なしてはならない。それが民主主義における平等である。もちろん僕は女性が抱える性暴力や家庭内暴力は重大な問題だとみている。しかしそれを政治の現場において過度に取り扱ってほしいとは思わない。個人的な問題は政治に投票し解決してもらおうとすることが可能だが政治的なことは政治的なこととして運用しなければいけない。それに関してジェンダーは関係がない。
女性の政治進出(一般男性の政治進出)で具体的に問題なのは供託金のほうでしょう。
ジェンダーギャップ指数の順位が良い国では供託金がないかもしくは日本よりものすごく安い。
アメリカ、フランス、ドイツ、イタリアは供託金が0。
供託金がある国でもイギリスは9万円、カナダが7万円 オーストラリア5万円、オーストラリア2万5千円、インド2万5千円で普通の人が支払える金額となっている。
ジェンダーギャップ指数が日本と同じくらい低い韓国が150万。
日本は突出して高く比例で600万、小選挙区で300万と馬鹿げた金額が必要とされる。
日本では性別関係なく出馬するのにハードルが高すぎる。なので政治的な地盤を持つ人間が供託金をペイできる想定のもとでしか選挙に出馬しない。女性のほうが既存の政治家が少なく地縁を持たないし経済力もないのでそもそも出馬すること自体が他国に比べて極端に難しい。しかしそれは女性に限った問題ではない。男性が抱える問題でもある。その結果、女性政治家および女性閣僚の数などが他国に比べて低い。安倍も鳩山も他の族議員も二世だらけで新しく政治に参加して権力を持つことは男性にとっても極端に難しい。
つまり日本の政治における差別とは女性差別ではなく新人差別でしかないわけだ。あるいは政党幹部の超個人的な嗜癖かどちらかである。
既存政党は政党助成金をもらって供託金をペイできるが新人無所属の候補者は出馬すること自体が賭けになる、だから新人が出馬する時もどこかの政党に所属し党は全体で供託金をペイできるように候補者を組む。その戦略を組むのは党幹部であり彼らだけが女性を差別していると言っても過言ではない。それにジェンダーギャップ指数を持ち出して日本男性は女性を差別していると言われるのは甚だ迷惑である。
ジェンダーギャップ指数が低いことはまるで日本が女性差別社会のように語られているがそれは社会全体における差別ではない。いやこう言うとおかしなことになるな。女性差別は社会全体においても確かにある。
しかしジェンダーギャップ指数への悪影響度に関してのみ言えば政党幹部が女性を擁立していないこと、それだけが問題だとも言える。
というか供託金を今すぐやめろ
終
蛇足だけど上記記事のこの発言
10人の男性の中に、女性が1人いれば「お人形扱い」。2人いれば「仲違いさせられる」。3人いて初めて「自分」になれるんです。だから、3割に達すれば絶対に変わりますから、もう少しです。
こういう付和雷同的に他人に追従するだけの人間が最も政治的能力がない人だと思います。
※性暴力に関する刑法は去年改正厳罰化されています。
性犯罪に関する刑法~110年ぶりの改正と残された課題 - 記事 | NHK ハートネット