メロンダウト

メロンについて考えるよ

今のパチンコ店の状況から見るにカジノは日本で絶対に成功しない

おそらく、この記事で書くようなことは他の誰も書いていない。カジノを考える時にすでに存在するギャンブルであるパチンコを取り巻く状況を考えることがカジノの実態を正確に予想するものとなる。

しかしパチンコを社会的なものとして語ることは誰もやらない。語られたとしてもギャンブル依存症に関することだけである。パチンコという低俗なものが馬鹿馬鹿しくて語る価値のないものだと思っているのかもしれない。

 

パチンコを実際に打つ人も現状追認で今ある状況で楽しもうみたいな人が多い。

メーカーもホールも商売として経済的に考えることはあっても現場の実態を考えているわけではない。というか実際に打たない限り、パチンコを取り巻く状況は知る由もないだろう。

パチンコをやらない人はパチンコが語る価値のないものだと考えている。うるさいからなくせみたいなことしか言わない。

しかしパチンコほど人間の行動をダイレクトに反映する現場というものもなかなかない。

なのでパチンコを知っていて同時に言論にも政治にも興味がある僕から見たパチンコとカジノとインターネットの関係を語っていこうと思う。 

 

インターネットによる情報化によって顕著に変わったもののひとつがパチンコだ。他の何よりも劇的だと言っていいだろう。今まではみなパチンコの情報を知らなかった。店に行き、台に座り、ハンドルを握って大当たりするのを待つ。それが一般の人の打ち方だった。そしてそれだけがギャンブルとして成立していた理由だった。情報が周知していなかったのでみなパチンコが偶然でありギャンブルだと思っていた。

しかしパチンコは統計的にいって偶然ではない。単なる確率であって必然のうちにおさまるものだ。

スマホなどが普及して全員が情報に瞬時にアクセスできるようになると台の情報、勝てる方法、負ける打ち方を全員が知るようになった。

パチンコで言えば台毎のボーダーラインという情報がある。打っている台の名前で検索すると千円でどれだけ抽選を受けられれば勝てるか負けるかがすぐにわかる。20回転のボーダーラインであれば千円で24回転ぐらい回せば長期的に見て負けることはまずない。

以前、それらの情報はパチンコ雑誌のみに書いてあることだった。パチプロと呼ばれる人はパチンコ雑誌を読んで台ごとの情報を得ていた。雑誌を読んで知識武装してお店に行って打つのが勝つ方法であった。情報を知っている人と知っていない人に明らかな差があって勝っている人はその優位性によって勝ち続けることができた。しかしインターネットが広まって瞬時に情報が広まるようになったことでその優位性はなくなった。以前はパチプロのみに共有されていた台や店の情報がネットによって一般的な情報に「格下げ」されたことで勝ちにくくなった。

 

偶然だと思われていたパチンコが偶然ではないと人が知った場合に人は勝つために行動するようになる。普通にスマホで検索する人が全員パチプロのような行動をとるようになった。いっぽうでは負け続けるまま打っているギャンブル依存症の人がいて二極化している。

お店側も勝つために打つ人が増えたのを知っているのでそれに合わせて調整を厳しくする。すると出玉率がさがり、ギャンブル依存の人の負け額が増える。情報を駆使して打っている人も全員がパイを取り合っている状況なので時給にするとアルバイトと同じぐらいしか稼げない。結果として現状、パチンコは勝てるように打っている人とギャンブル依存症に二分されている。

こう書くとパチンコを知らない人には反発されるかもしれないがパチンコやパチスロは文化的な側面が確かにあった。パチスロリーチ目主体の機種やパチンコの羽ものなどギャンブルとは別に楽しめる側面があった。しかし文化的に遊ぼうとパチンコを打っている人もすこし検索すればその台の情報を得ることができるようになるので勝てる方法で打つ人になり、文化的なパチンコやパチスロは淘汰されていった。

今、パチンコ店にあるのは轟音とつんざく光がうるさい台しかない。以前のパチンコパチスロはそうではなかった。そんな環境なのでそれでも打っているのは中毒になったギャンブル依存症の人かそれを我慢して勝つ方法で打っている人しかいなくなった。

 

これは前回の記事で書いたように経済において合理的な消費をする人ばかりになったのと同じである。情報が周知されると人は合理的な行動をとるようになり、非合理な行動を取らなくなる。その結果情報格差がひろがり、勝つ人と負ける人に二分される。それが今一番顕著に起こっているのがパチンコである。

 

さてIR法を考える時、カジノがギャンブル依存ではなく娯楽として成立するかどうかが争点になっている。カジノはギャンブルではなく娯楽として成立するかどうかだがありえないと断言できる。

それは今のパチンコ店の状況を考えればはっきりしていることだ。パチンコはかつて娯楽だった。しかし今は情報によってそうではなくなった。カジノにおいてもブラックジャックバカラの理論は検索すればすぐに出てくる。それはパチンコを取り巻く状況と同じだ。

以前のような情報が浸透していない世界においてはギャンブルがライトな娯楽として成立するほどに人々はよくいえば文化的で悪く言えば無知だった。しかし今はそうではない。情報はそのゲームにおいて強烈な格差を生み、文化を淘汰し、勝ち組と負け組に二分する。

カジノが娯楽として成立するにはこの社会は情報化しすぎてしまっている。それでも中毒的に打つ人がいるので儲かりはするだろうがそれはIR法が想定している健全なカジノとは程遠いものとなるだろう。

結論としてはカジノやギャンブルはもうこの世界の「条件的に」健全な形での成功はありえないのである。