スーパーチャットがキャバクラと同じだと議論になってるみたいだけれど構造としてはほとんど変わらないと僕も思ってる。
イチナナライブやアダルト系のライブチャットなんかも同様だけど。個人的には何が悪いのかと思う。ただひとつだけキャバクラなどと違うのはVtuberやアイドルに課金するのが「肯定的」に考えられているところにあるのではないか。キャバクラに行ってお金を払うのはそういう取引を行う前提があるうえでお金が支払われているがVtuberに課金する行為はとても無邪気に行われているように見える。
それがどういうことなのかわからないで行われている点で不安になる。いわんや恋愛関係やコミュニケーションそれ自体を代替するサービスは溢れている。お金を払えばそういう関係を疑似体験できるのはいかにも資本主義らしい世界であるが
しかし一つ言えるのはそれは取引でしかないというお互いの了解のうえで成立していなければおかしなことになるのではないか。現実のキャバクラやホストなどの水商売でも取引関係を超えてしまっていろいろなトラブルが起きたりしているがスパチャも同様に結論としては虚無でしかない。虚無にお金を払ってもいいと思うし、あるいは虚無でないかどうなのかは個人の価値判断によるもなのだけどそれが虚無かどうかを知らずに課金するのはやはり健全なものではないのだろう。
話がズレるけれどVtuberへのスパチャだけではなくYoutube全体においても基本的には虚無なものに見える。どこかパチンコと同じに見えるのだ。
ザッピングして動画を漁ったり永遠と同じジャンルの動画を見続けたりレコメンドが大当たりするのを期待してYoutubeを開くのは良い台があるかパチンコ屋に見に行くそれと消費構造としてほとんど変わらないように見えてしまう。Youtubeを見ること自体が多くの人にとって暇つぶしであるがテレビと違うのはどんな番組が出てくるのかわからない点で人々が期待するところにある。テレビ番組のようにチャンネル表を見てこれを見ようではなくレコメンドされた動画が大当たりするのをザッピングしながら待っている状態はパチンコと酷似している。
実際、依存的に見ている人もかなり多いのではないだろうか。僕もパチンコを打っていたことがあるけれどYoutubeを見る感覚はパチンコのそれととてもよく似ている。パチンコでハンドルを握りながら大当たりするのを呆けて待っている感覚と目的もなくYoutubeをザッピングしながら右手でマウスをクリックするあの感覚はほとんど同じだと言ってもいい。
現にYoutuberをはじめ多くの動画もそういう消費構造に最適化されている。極端に長い動画ではなく単発的な動画を出すことによって視聴者にクリックさせるのが最も最適化された動画投稿の方法なのだろう。しかしこれも虚無と言えば虚無である。映画やアニメ、小説などの物語を愛するようなものとは違い、面白い動画にヒットするのを待っているそれはドーパミンに支配されたパチンコ依存症のそれとたいして変わらない。もちろん動画を出している当人達はそれが面白いと思っていて面白いが正しいと信じているのだろうけれどパチンコ屋に置いてある台は面白ければ面白いほど依存症になる危険性が高い。
だいたいがザッピングしてても時間の無駄といっていい動画しか出てこないけれど稀に面白い動画にヒットすることがあってみなそれを期待する。
パチンコ依存症を揶揄する例としてよくあげられる心理現象に人は押せば当たりが必ず出るものより何分の一かの確率で当たりが出るものにより強く惹かれるというものがある。
サルを完全に破壊する実験として有名だけれど
まず、ボタンを押すと必ず餌が出てくる箱をつくる。
それに気がついたサルは、ボタンを押して餌を出すようになる。
食べたい分だけ餌を出したら、その箱には興味を無くす。
腹が減ったらまた箱のところに戻ってくる。ボタンを押してもその箱から餌が全く出なくなると、
サルはその箱に興味をなくす。ところが、ボタンを押して餌が出たり出なかったり
するように設定すると、
サルは一生懸命そのボタンを押すようになる。
いわゆるドーパミンによって餌が出てくること自体に快感を覚えるようになると言われている。パチンコでも大当たりしにくい台、ギャンブル性が高い台ほど人気があるのはこの心理ゆえだと言われるがYoutubeで永遠とザッピングする視聴者の行動もパチンコやサルとほとんど同じだと言える。
ただこれもパチンコと違うのはこういう消費構造が一方で良いものだと思われているところにある。自分が知らない面白い動画を発見するのは新しい世界を見つけるものとして良いものだと考えられているふしがある。しかし僕にとってそれはとても無邪気な物の見方に見えてしまう。知らないもの、あるいはわからないものに惹かれるのは人間の好奇心ゆえでそれは一般に正しいことだと思われているがその「わからない」や「偶然」という心理ゆえに人はギャンブルに依存したりするのだ。
パチンコはギャンブル依存症という病名がある通り危険なものだという認識が一般に存在しているけれどYoutubeは違う。あまりにも無邪気に消費していることに元パチンコ依存症として違和感を持ってしまう。こういった人々の心理に最適化されたサービスはYoutubeに限った話ではなくまとめサイトやニュースなどのメディアも同様でどこもかしこもUIを最適化している。ビジネス上、UIを最適化するのは正しいけれどそれは供給者側に立った視点でしかなく消費者側から見た視点は別に考えなければいけないこともある。そう思っている。UIを最適化しなかったニコニコ動画は(当時から見れば)衰退してしまったけれど消費者から見るとあのUIは不便ゆえに依存的ではないのだ。僕も実際にもうニコニコは目的の動画がある時にしか開かなくなった。けれどYoutubeはたまに目的もなく開いてしまうことがある。
知的活動として好奇心をブーストさせ依存するYoutube、あるいは人間関係を代替してスパチャによって関係を強化するライブサービス。
いかにも資本主義らしい世界であるがそういう消費の仕方は危ないと誰かが言わなければいけないのだと思う。別に何が悪いわけでもない。スパチャでいくら送金しようが個人の自由だと言えばそれまでだしYoutubeを見続けても何も悪いことなどない。しかし悪いことではないけれど危険なことはこの世界にはたくさんあってたとえばパチンコをやることも悪いことだとは言えないけれど危険だったりする。そういうものがけっこう資本主義的な世界では勝っていたりして独占的にふるまっていたりするのだ。人間の心理が資本主義に最適化されたものであればいいけれど人間をいかに動機づけるかがサービス側の視点でそれに無自覚についていくのは危険だよと
子供にたいしては大人が言っているけれど大人にたいして言う人はいない。いずれにしろそういうものを無自覚に消費するのはとても危険な行為であって大人でも子供でも依存の前に立たされた人間は自制心など時にあってないようなものである。
それは別段サルと変わったりはしないと、経験的にそう思うのだ。