「日本に足りなくなったのはロックだ」、「ロックはほとんど死にかけている」、「今こんな時代だからこそロックを」、などタイトルを書いてみたがどれもしっくりこない。英語のほうがbetterだということで。
Weとか書くと主語がでかいと突っ込まれるのだろうがそんなことは知ったことではない。僕と僕が日々見ている人に足りないと僕が感じていることを思いっきり主観的に書いているだけだ。
そしてそれはまたそんなにずれた話でもないと思う。ロックンロールは全盛時よりもむしろ今必要とされるものだ
hideが亡くなってから17年と半年
当時、僕は小学校の高学年だった。ロックンロールを聞くには若すぎてhideが死んだということがどういうことなのかまったくわかっていなかった。正確な数字はわからないが後追い自殺者も相当な数がいたそうだ
引き合いに出して申し訳ないがAKBのメンバーが自殺してもおそらく自殺するぐらいの狂信者はいないだろう、それは信度の濃淡の違いなだけでどちらが健全かというとAKBのほうがはるかに健全だ
hide死亡のニュースには告別式に並んで泣き崩れる5万人のファンの映像が映し出されていたが誰か死んだにしてはおおげさだな、そんなことを思っていた。いや・・・そんなことすら思っていなかったかもしれない。ただいつもの意味のないテレビニュースかとそんな心持ちとも言えない気持ちだったのかもしれない。いや正直言えばそんなニュースなど気づいていなかっただろう
ただ後にhideが亡くなったことを知った喪失感によって醸成されたただの後付けの記憶だろう
僕がロックに傾倒していったのは中学のもう3年にまで進んでからだった。最初に出会ったのがBlankey jet city 、その前にもGLAYなどは聞いていたがロックンロールを僕に知らしめてくれたのがブランキーだった。リリィやガソリンの揺れ方に赤いタンバリンなどなど
好きな音楽は最初聞いた時にビビビっとくるというが僕がブランキーを初めて聞いた時にはエレキギターの音がただただうるさかった記憶しかない。けれど強烈なメッセージ性としゃがれた声と純ロックという表現はおかしいが飾り気のないロックなメロディーに僕は次第に惹かれていった
いっとき実際にベースを弾いてもみたがベンベンいうだけでリズムをとるだけなのは退屈だったのでやめた。僕は今風に言えば全能感という無敵感を得たいがために聴いているいるだけでよかったんだ、それ以上は何もいらないほど、何もしなくていいと感じるほど満足していて無敵だったんだ。
全能感を維持するためにロックを聴いていたんだ
ちょうど20世紀少年という漫画で主人公の子供時代に放送室から20th century boyを流して主人公ケンヂは無敵になったように
けれどケンヂの学校はいつもと何も変わらないまま、そして僕の日常も何も変わらないまま通り過ぎていった。「社会的」にはロックなんてしょせんそんなものだ
ただhideが亡くなった時には社会現象とまで言えるほどの参列者が葬儀や告別式に大挙した。ニュース映像を見返してみれば嗚咽をあげて泣き出す女性や過呼吸で倒れる人など化粧でごまかすようなフレームワークではなくもっと深部を震わせて個人の人生を何か決定的に変えるような音楽っていうのはたしかにあるんだと突きつけられる
はたから見れば狂信的と言われようがこの世に生まれて何も信じずに全てビッグデータや統計に客観性や世間の価値観や常識で固めて手頃に好きなものは漫画やアニメなんて平気な顔して生きていけるのは仮面的に見える
みんな何かにすがりついて依存して執着して手放したら死んでしまうほど何かを愛したりするのが怖いんだと思う、僕も怖い
怪しい宗教も怖い、ISISも怖い、AKBも怖い、はてブも怖い、結婚も怖い、打算的な女も怖い、上司怖い、クリスマス怖い、インターネット怖い、脱サラが怖い
そうして適切な距離感で適度に愛してるんだ、恋も仕事もうわっつらで笑い非情になることが最も低コストで高リターンだと知っているし
弱みを見せたら必ず落とし穴がある
狂信的に愛したアーティストが自殺したり裏切ればヤケ酒をしてアル中になるかもしれないからてきとうにそこらへんのポップミュージックを聞いてロックを中二病と罵る
本気で愛した男性、女性が事故にあって死亡しPTSDにでもなればもう歩いて行ける自信がないからてきとうにセックス、ではなく膣にペニスを入れる運動をするだけの相手を探す
そうして絶望を徹底的に忌避しつづけ「不幸」にはならない社会が形成されていくが
不幸になれない社会ほど不健康な社会はないんだよ
だからこそ今、ロックを聴いて無敵になり怖さを振りほどく必要がある
1日わずか10PVのこんなとこに書いても意味などないが
(もっとどんなバンドがいいのかという話をするつもりだったのにいつのまにか社会分析みたいになるのは悪い癖です)