メロンダウト

メロンについて考えるよ

僕が好きなことをブログに書かない理由は臆病だからです

めちゃくちゃ主観的な話であるが僕はあまり好きなことについて意識的に書かないようにしている。たまに書いたりするけどね。変に難しいことばかり書いている。これだけ小難しいことを小難しそうに書いていると小賢しい人だと思われているかもしれないし実際小賢しいだけなんだけど特に好きなことについてはあまり書かないことにしている。喋るのはテンション上げて口角を上げながら単純な言葉で好きなことを喋るほうが好きなんだけど文章になるとなにがしか意味や理由を与えたくなってしまう。悪癖だと思う。不特定多数に伝える前提を持つブログだと意味を与え色付けしパッケージ化しようとする。ちょうどプレゼントを包装するように。あるいはちょうど誕生日に食べるケーキにろうそくを刺すようにね。誕生日ケーキは誕生日を祝福する物体という意味が与えられることで純粋にケーキとは言えない存在になる。ケーキのようなポジティブな例ならいいけどそれが「人」だったりすると大変だ。優しい男性とか可愛い女性とかいう意味と好意を直列で繋ぐと非常に弱い関係にしかならないように思う。だから個人的に特に女性には簡単にかわいいとか言わないようにしている。経験的に形容しない関係こそが無敵の人間関係だと確信している。実際問題、人間関係の軋轢になる原因は他意と意味付けでしかないんじゃないかな。上下関係という意味とかおかしな人間を見る他意の目とかね。

昔、なぜ恋人同士は「別れる」のかと単純に疑問に思ったことがある。学生のように卒業という期間が決められている関係ではないし別れる必要性が僕にはまったく見出せなかった。若い時にそんなことを友人に話したら「いろいろ理由はあるでしょ」とひどく抽象的な答えしか返ってこなかった。喧嘩したとか嫌いになったとかいろいろあるんだけどあまりにも恋人は別れすぎるという僕の疑問を解消してくれる回答ではなかった。それからすこし成長しいろいろな人を見ると友人が教えてくれた「いろいろな理由」、その「いろいろ」こそが原因なんだろうなと思うようになった。つまり恋人は恋人を形容しすぎるから簡単に関係がぶっちぎれてしまうのだろうなあと。めちゃくちゃかわいいから付き合うならばめちゃくちゃが消えたら別れ、かわいくなくなれば別れる、形容好きの人達がかなり多いんだなと。だから僕はあまり人のことを形容するのはやめるようにした。好きなことについても理由などいらないし必要以上に説明したりするのもしたくない。(自分は)好きな理由を探しても与えてもダメだと思う。好きなことを形容した瞬間になにか意味を繋ぎ自分の好意が歪んでしまうかもしれない。それが怖い。ジャニオタがジャニーズを論評する危険性に比べたら、政治や社会について書くほうがどんなに気楽であるかと思う。たぶんそんなことは普通気にしない。みな好きなことを好きに語る。それが怖い。恐ろしい。僕は・・・臆病なのだ。